肖像画10
その晩、私は夢を見た。
カーマインとの別れの挨拶をし、前世も含めこれ以上ないってくらいに精神を削りながら絵を描いていたのでかなり弱っていたのかもしれない。刑の執行を忘れるくらい夢中で描いていたつもりだが、頭の片隅にはこれで最後と強く刻み続けていたみたいだ。
食事も睡眠もきちんととれていたし、体の表面には変調など一切なかったからおそらくトープ達は気付かなかっただろう。
目の前には前世の最期に引きずり込まれたような闇が広がっていた。
もしかして私、死にかけている?
以前に感じたような恐怖が全くないのは、もしかしたらここにカーマインが現れるかもしれないと言う希望的推測のお陰かもしれない。
周りを見回していると暗闇の中なのに何故か見える人影を見つけ、私は泳ぐようにもがきながらも闇の中を移動した。
黒い髪に黒い服を着た闇の神が、七人の女神たちの絵を描いていた。初めて会うはずなのに、私は彼を闇の神だと知っている。その事に違和感も何もなく、理由を無理やりつけるとしたら『夢の中』だからとしか言いようがない。
闇の神自体は女神たちが取り合うのも分かるほど美丈夫だが、描いている絵は正直微妙だった。デッサンが狂いまくっていて、これが本当に女神の姿だったらかなりのホラーだ。
手足があらぬところから出ている。顔のパーツは福笑いをしているようだ。ピカソでも目指しているのだろうか。
どことなく青の女神はシアンさんに似ていて、赤の女神は少年時代のカーマインに似ているような気もする。この絵でそう判断するのは二人にかなり失礼かもしれないけれど、『夢の中』だから思ってしまったものは仕方がない。
うまくいかずに腹を立てているのか、闇の神はしかめっ面だ。曲がりなりにも絵描きとして食べている私は、恐れ多くも神様にアドバイスをした。
「まずは実物を見ながらでないと、とても難しいですよ」
「実物がいないのだから仕方あるまい。……ノアールか、良くない傾向だな。ここは生きた人間が何度も来る場所ではない」
「前回も今回も来たくて来ているわけではありません。あなたのせいではないのですか?」
私の方へと向き直る闇の神に気を取られた瞬間に、絵も筆もいつの間にかなくなっている。夢の中だからかな。
「前回のあれはこの世界の土着の神の仕業だ」
「どちゃく?」
「我らが外界より来る前から存在していた古き神だ。異形の者、混沌、空虚。善悪の概念も無いので、時々我らから見ればいたずらのような事をする。見つけるのが遅くなり転生させるより他になかった。済まぬ」
神様に頭を下げられて私は慌てた。
「いえいえ私こそ記憶を持ったままの転生などさせてもらって感謝してます。お陰で人生の続きを楽しんでいる最中の様なもので。それで今回はどうしてですか?」
「魔法陣の描きすぎと、根の詰め過ぎだ。魔術だの魔法だのと言うのは、形のない魔力に指向性を持たせる方法だ。生まれる前の場所から鉛筆を召喚してしまった事があっただろう」
「ええと、そう言えば……」
前世で使っていたのと全く同じものが現れたから、ちょっと気持ち悪かったんだよね、確か。七不思議のひとつが実在したのだから鉛筆も神隠しにあったとか、実は付喪神が付いていて後を追ってきたのかななんて思ってたりもした。
「魔法陣を学ぶ前の出来事だ。あの時お前は無意識に魔力を使い土着の神と同じことをしていた。今回もカーマインの運命を捻じ曲げようとしただろう?魔法陣以外にも無意識に魔力を使って」
頭からさーっと血の気が引いて行った。
そんな得体のしれない神様と同じことをしていた意識なんて無い。私は絵を描いていただけだ。
「私、とんでもないことをしようとしてました?」
「ああ。あそこは魔法効果を封じる場だから直ぐには効果は出なかったようだ。ただ消耗はきっちりとしていたらしい。今だって本体のままではなく夢の中でここに来るにとどまっているが、我が子ながらひやひやしていた」
「我が子……」
「実の子供だったら女神たちの大戦争が起きる。単なる例えだ。闇の日生まれだからな」
頭を大きな手で優しく撫でられ、まるで幼い頃に戻ってしまったような気がした。ノアールの実の父親が闇の神だと言われても、私はきっと信じてしまう。だってそれほどに手と顔が父としての愛情に満ち溢れていたから。
離れた手を名残惜しく見上げた拍子に、自分の白い髪が視界に入った。ついでだから聞いておこう。
「どうして私が白髪のままか、ご存知ですか?」
「前世での名前が七月。七つの月は女神たちの象徴、そして私に対して姉妹は光の女神と呼ばれている。そなたがノアールとして存在している限り、白だ」
「私が闇の日生まれなのに長生きである理由は?」
「前世での寿命を上乗せしてあるからな。この世界が迷惑をかけた詫びもある」
「髪の毛、死にかけると黒くなるとかありません?」
「それは、知らん」
ふいっとそっぽを向く姿がとても人間らしい。楽しくてもっとお話ししたかったけれど、闇の神に止められた。これ以上ここにいては流石に本体に支障が出る、と。
「さあ、帰りなさい。そなたらが神話としている物語はまだ続いているのだから、いずれ会うことも有ろう」
もっと聞きたい事はたくさんあったのに、思い出す前に闇の神の姿はどんどん遠ざかっていく。「待って」と声に出して喚いたが、徐々に自分の視界も意識も薄れて行った。
処刑当日―――
夢から覚めてしまった。現実の方がむしろ悪夢だ。あそこにいれば最後にもう一度カーマインに会えたかもしれないのに。
「行かないのか」
ホテルの部屋の隅っこで体育座りをして丸まっている私に、トープが声を掛ける。刑が執行されるのは城門前の広場だ。
……行くわけがない。人が殺されるところを見に行くなんて。
悪趣味な風習はどこの世界でも同じだ。王族の政が悪くて民が苦しんでいるのに、憎む対象を別に用意する。民は民で自分ではどうしようも出来ない鬱憤を晴らすために、一人の人間へ責を押し付けて破滅していく様を見てを喜ぶ。
ある意味下剋上を成功させたカーマインは格好の的だっただろう。田舎領主の息子が中央に出てきてうまく立ち回っていたが、身を滅ぼしてしまう。
先生は処刑後の遺体解剖に立ち会うために出かけ、浅葱さんは紫苑さんと一緒にホテル内のレストランへ出かけて行った。私が絵を提出したので今日にでも蘇芳将軍からの支払いがあるかもしれない、との理由でホテルにいるが、二人とも甘党でスイーツが目当てのようだ。
膝の上にガガエがちょこんと乗っているので顔を伏せる事も出来ない。トープが背中合わせで座る気配がして、背中越しに体温が伝わってくる。
「ごめんな。泣いてる妹の願いも叶えられないなんて、兄ちゃん失格だなぁ」
「泣いてない。都合の良い時だけ兄貴面しないでよ」
「ん、文句が言えるなら大丈夫だね」
絵を描き終えてしまい、署名集め、貴族への呼びかけ、神殿への嘆願などまとも(・・・)な手段での策は尽きた。
けれど。
もしも。
エボニーが使っていた魔法陣を使ったなら。
カーマインを巻き込んでしまったら元も子もない。けれど少し離れたところで大量に人が死ねば、刑の執行だって遅れるかもしれない。広場の端の方で使えばそれは直ぐに伝わって、首切り役人の手だって止まるはずだ。
今なら間に合うかもしれないと言う思いと、なんて恐ろしい考えだと拒絶する思いが交差する。助けられたとしてもその後を想像すると、立ち上がれない。何にも、出来ない。
うずくまる私の耳に、響き渡る鐘の音が聞こえた。それが刑の執行の鐘だと気づいた私はますます体を強張らせて小さく丸まった。
―――ごめんなさい、カーマイン。助けてもらったのに恩返しできなかった。
コンコンとドアをノックする音が部屋の中に響く。帰ってきたのは浅葱さん達かな?私はもそもそと顔を上げるとトープが扉の方へと移動して、開く音が聞こえた。
もう、どうでもいいや。あまり根を詰めると死にかけるらしいから、後の人生は適当に絵を描いて過ごそう。描けるかどうかわからないけれど。
私が自堕落になる決意をしていると、トープがばたばたと慌ただしく戻ってきた。
「おい、ノア。ノアっ、お前、いったい何をしたんだ」
トープの声に顔を上げると、先生以外にもう一人、フードを深くかぶった人物がいた。
パサリとフードを取ると、赤い髪が現れる。昨日まで絵のモデルをしていた人が、今頃は死んでいる筈の人が、目の前に、いた。
信じられない。まさかまだ私、夢を見ている?
驚いて見開いた目からほろっと涙が落ちた。いや、もしかしたら幽霊かもしれない。
確かめる為に駆け寄るとカーマインが両手を広げたが、私は抱き着かずにべたべたと肩や腕、頬を触った。感触があるので幽霊ではない。
「どういうことですか」
「王族全員と蘇芳将軍が、君の描いた絵を見て心変わりしたらしい。ただ、格好がつかないから表向きは処刑で、実質は国外追放だってさ」
「私、そんなすごい絵描きました?」
「ああ、あれはとても素晴らしい絵だった。ノアールさんと言ったかな?息子を助けてくれてありがとう」
カーマインの後ろにもう一人、中年の男性が立っていた。カーマインを息子と言うからにはこの人が蘇芳将軍だろう。体つきががっしりしていて、二十歳過ぎの息子がいるようには見えない程若々しい。
「延命や祝福の魔法陣を描きまくったんだって?抗議文みたいなものじゃないか。これから王族に目を付けられるかもしれないから覚悟した方がいいよ。それともノアール、僕に付いて来るかい?」
「え?」
「どうせだったらあちこち旅をしながら見て回りたいんだ。いろいろな場所や生き物の絵を描きたいと言っていただろう?」
行きたい、行きたい!だってそのために絵を描き始めたんだもの。興奮で血圧急上昇中な私に、先生の「うぉっほん!」と言うちょっとだけわざとらしい咳ばらいが聞こえた。お陰で少しだけ熱が冷める。
「ノアール、わしは言ったな。『これ以上何か事を起こして助けようとするのなら、破門と言う形でアトリエを出て行ってもらう』と。既にわしの仕事が一つ減った」
眼光鋭く睨みつけられる。これは怒っている時の顔。緊張して私がピシッと背筋を伸ばすと、先生は予想に反してにぱっと笑った。
「破門、じゃな」
「はい、望むところです」
「残念じゃのう、どこへでも好きな所へ行くがいい」
言いながら先生の顔はちっとも残念そうではない。寧ろにこにこ笑顔がこぼれ落ちそうだ。私は遠慮なくカーマインに返事をした。
「行く、行きますっ!私を連れて行ってください」
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