アスワド視点

 ノアールと言う女性画家から受け取ったカーマインの絵を側近に持たせ、父や蘇芳将軍の待つ部屋へと向かう。

 見張りに立たせていた騎士によると、二人はあまり恋仲とは思えない関係だったそうだ。

 画家とモデルの関係性によって絵が格段に良くなるのは多々あることだが、大切な者に迫る死に怯え苦悩に塗れて痩せ細る様子も見られなかったし、蘇芳将軍が破格の値で買い取るほど大層な絵には見えなかった。

 所詮は平民の描く絵だ。幼い頃より名画を目にしている我らが判断するのは酷かもしれない。

 尤も、精魂込めすぎて闇の御子が死んでしまってはこちらとしても損害なのだが、死ぬべき命が失われたところで痛くもかゆくもない。

 価値があったのはエボニーの研究だけで、本人に特別な力などなさそうだ。母上主導で編纂した植物図鑑の絵やサーカスのチラシ、或いは新人賞を受賞した物など何度か彼女の描いた絵を目にする機会があったが、特殊な絵の具を使った以外に何らかの効果が絵に現れる事は無かった。


 部屋の中には父上と蘇芳将軍以外に何故か母上と兄上と妹の姿も有った。そちらを見やると意図を汲み取ったのか、ここにいる理由を言い訳がましく話し始める。


「わたくしが依頼した花の絵を描いた方でしょう?どのように人物を描くのか興味があったのよ」

「犠牲になる者の姿を未来の統治者として見ておかなければとは思うけれどね。実物に会うのは気が引けるから」

「元婚約者が描かれているのですもの、どのようなものか見極めなくては。早く見せて下さいな、お兄様」


 王女の身として分別はついているが、カーマインへの恋心を捨てきれていない妹を可愛く思う。側近があらかじめ用意しておいたイーゼルに立てかけて布を取り払った。


「―――っ!」


 皆、同様に息を飲んだ。

 先ほどまでは本当に大した絵には見えなかったのに、全く印象の違う絵に見えた。

 巧妙に隠された魔法陣がうっすらと魔力を帯びているのが分かる。一つ一つは延命だったり幸運をもたらすものだったり他愛ないものだが、普通は描いてしばらくしたら魔力の光は消えてしまうものだ。魔法を防ぐ塔から絵を持ち出すことで一気に発動したらしい。


 先ほどは気付かなかったが、瞳が生きているように輝いて見える。新人賞を取ったと言う絵と同じ特殊な絵の具を使っているのだろうか。

 そのせいでカーマイン本人に真っ直ぐ見られているような気もする。思えば我ら王族はそのような経験があまりない。王族を正面切って見据えるのは不敬だと、大概は少し視線を逸らすからだ。

 表情は柔らかいのに無言で自分が責め立てられているように見えて仕方がない。


 描き手の思いが凝縮され過ぎて、目の前にある絵にはあたかもカーマインが聖人の様に描かれているせいもあるかもしれない。あの少女は確かカーマインに救われたと言っていた。だからこそなのだろうが、いささかやりすぎのようにも思える。

 沢山の魔法陣に囲まれて穏やかにたたずむカーマイン。美術品を見慣れた我ら王族からすれば、この絵はまだまだ拙いはずなのに。


 沈黙を破り、兄上が第一声を発した。


「この国は、この世界は、この者を失うのか。我らの手で死なせるのか。アスワド……いくらお前の策でもこの者を処刑するなど到底受け入れられないな」

「待ってください、兄上。描かれた魔法陣のせいでそのように思うだけです」


 私は焦って弁明をした。

 たった一枚の絵で状況が変わるなどあり得ない。しかも処刑前日だ。必要な手続きは既に王族全員のサインと共に済ませてある。今更撤回など出来るわけがない。

 兄上の為にアスコーネを手に入れる算段だったのに、これではすべてが水の泡ではないか。

 

「精神攻撃を受けぬ様わたくし達王族は万全の対策を取っていますよね、アスワド兄様」


 ヴェスタの言う通り、王族は生まれるとすぐに魔法陣を体に刻み込む。特殊な技術で魅了や呪詛の類を防ぐ物だ。それなのに、なぜこうも心を動かされる。なぜ、こんなに焦燥感が募るのか。

 ヴェスタもそれは同じようで、普段なら欲しいものはどんな手を使っても必ず手に入れ、入らない場合は壊す彼女がらしからぬ発言をする。


「わたくしのお相手にならなくても構いません。お父様、彼の処遇をどうにか覆す事は出来ないのでしょうか」


 ヴェスタの『お願い』を受けて、むうっと父上が唸る。国王と有れども父親だ。娘のお願いを無視するなど出来ないのだろう。

 蘇芳将軍はやり取りを黙って見ている。王族が下した判断が覆されようとしているのに彼は涼しげな顔をしていて、私の味方に付くかは分からない。

 残るは母上だが―――


「表向きは処刑した形を取り、国外追放の形を取ってはいかがでしょう?」

「母上まで……」

「恋愛感情を通り越してまるで崇拝しているようだわ。ここまで魅力を十分に引き出せる画家はいないもの。彼を傷つけたらもう二度と彼女は絵を描けないかもしれないわね。それはあまりにも悲しいわ」


 政治の話をしているのに絵画の話題にすり替えている。母上はやはり役に立たない。ノアールよりも優れている画家なんて掃いて捨てるほどいるのに、個人の感情を優先させる。


「民衆の不満を逸らすのはどうするんです?経済効果のある策も市場に影響を出すにはまだまだ時間がかかります。時間稼ぎをするための処刑だと納得済みでは無かったのですか」

「カーマインの追放を報告してアスコーネに協力を要請する他あるまい」

「そんな生ぬるいやり方で言う事を聞くとは思えません。恐怖を与えなかったから王族が見くびられる形になっているのでしょう。カーマインだって生かしておけば兵をあげて反乱を起こすかもしれません!」


 兄上を支える冷静な弟の仮面が外れ、父上たちに大声で反論すると言う醜態をさらしてしまっている。今までにしてきた記憶も無いからさぞかし皆驚いているだろうと思っていたら、父上は案外冷静だった。


「そなたらは良き友人ではなかったのか」

「ヴェスタを親友である臙脂から取り上げて平然としていられる奴が、私の友人であるわけがない」


 自分が不和の原因になったらしいと気付いた蘇芳将軍が、視線を逸らすのが見えた。けれど私が腹を立てているのはその後のカーマインの行動だ。

 もしも臙脂が自分の気持ちをカーマインに伝えていたら、カーマインは養父に逆らう事になる。きっとその立場を失うだろう。だから臙脂は言い出せなかった。

 カーマインが気づいて悩んでいたなら、私は惜しむことなく手を差し伸べただろう。

 親友の嘘を見抜けぬボンクラはいらない。私の駒に、必要ない。


「成長したと思っていたが、まだまだ未熟だな。ではそなたにもわかるように言ってやろう。この絵を描いた者は少なくともカーマインが生きるべきだと強く強く思っている。それは、分かるな?」

「ええ、これだけ魔法陣が描いてあれば、それは当然です」

「この者と同じように思っている民がどれだけいると思う」

「それは……」


 そんなの知ったことか、とは言えない。それは、あまりにも愚かな答えだ。


「我らが平民と接する機会はほとんどないので、これほど直接的な意見に触れる事もかなり稀有だ。この画家の意見が民の全てではないが、後ろには何万もの民がいると思え。それらを無視しカーマインを殺して後悔しても、生き返らせる術は無い……宰相を呼べ。明日の処刑場所と執行人の変更をする」

「父上!」

「アスワド、闇属性を手に入れるのは諦めろ。今後一切あのような実験を行うのは禁止だ。いいな」

「ギルテリッジだって巨大ゴーレムの製造に成功しているのに、何かあっても対抗できなくなりますよ」

「余計な戦力など火種にしかならぬ。寧ろそなたはその戦力を削ったではないか」


 父や兄に認められたくて、国の為に動いてきたのに。


 たった一枚の絵で、しかも魔法による強制的な力も無しに人の心を変えるなんて。七属性を手に入れても出来ないことがいとも容易く行われるなど有ってはならない事だ。


 蘇芳将軍がイーゼルから絵を持ち上げ、じっと見つめている。どこか微笑んでいるようにも見えるその姿に、ある考えが閃いた。最初からこれが目的だったのではないのか。王族に逆らわずして息子を助ける唯一の方法として、また、息子の故郷の兵士たちの敵討ちとして私に恥を掻かせたのではないか。あの画家に何らかの入れ知恵をしたのは蘇芳将軍なのではないか。


「将軍、まさかあの画家を呼んだのは―――」

「アスワド様は何でも理詰めでお考えになる。愚息は最期に知り合いの画家を呼んだにすぎません。私は少しでも慰められればと思い、依頼をしただけです。誤解無きよう。陛下、御前を失礼します。これに合う額縁を職人に依頼しなければ」

「うむ、息子殿の処遇は明日追って伝える。早めの登城をするように」


 深々と頭を下げたのち、絵を布に包み大切そうに持ち帰る将軍は親馬鹿と言う以外に何者でもなかった。

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