肖像画9

 カーマインを助ける為に塔の外で出来る行動は無くなってしまい、残る手立てとしては私がどのような絵を描くかに懸かっている。王族の反応を頼りにするのはおそらく自殺行為で、何かを働きかけて事態が好転するよりは悪化する確率の方が高い。

 それでも絵に何かを込めるだけならば、いくらでも言い逃れは出来る。もちろん王族に害をなすようなものを描くつもりはない。けれど無実の者を平気で処刑に追い込む王族なら、何かしら文句を言ってきても不思議ではない。仕上げた絵が廃棄されることのないように気を付けて描かないと。


 問題なのはむしろカーマインの今の状況だ。王子の来訪から一夜明けてカーマインの表情はほんの少し回復したが、やはりどこか暗い。詳細を知っている人間に会うのと知らない人間に会うのでは心構えも違ってくるのは、理解できる。そんな顔をさせてしまったのは私だ。


 会話も何もないままこの重たい空気にさらされて処刑の日を迎える。そんな状況で絵を描けるほど、私の心は強くない。

 恐る恐る、カーマインに話しかけてみた。


「初めて会った頃のように、神話を教えてもらえませんか」


 カーマインは無視することもなく、普段通りの声で返事を返してくれた。私の罪悪感も少しだけ薄れる。


「ネリさんから一通り教わっているだろう?本職に教わった方が間違いも少ないし、貴族の都合の良いように解釈された物も混じってるからおすすめはしないよ」

「私はカーマインに教わりたいんです。ダメですか?」


 首をかしげて見せるとカーマインは軽く微笑んで、仕方がないと言いながらもあの時と同じ優しい声で語り始めた。


「赤は末っ子で炎と戦いを司る。橙と黄色は双子の女神で、どちらも豊穣だけど橙は実りで黄色は金銭だね。緑は植物で成長を、青は水と時間、それから音楽も。藍色は風と知識、そして魔術。紫は一番上のお姉さんで雷。芽吹きや恋愛、それから美術を司る」


 マザーに習った通りの、基礎のお話だ。神殿の色が濃い孤児院から離れた日常生活では、少しずつ教えから遠ざかっていく気がしていた。もちろん食前の祈りやちょっとしたまじないなどはあちこちにある。魔法と言う形で現象を直に感じる経験は、平民にとってほとんどない。絵を描くためにアトリエに引きこもっていると、ここがファンタジーな世界であることすら忘れてしまいそうだ。


 苦しい時の神頼み。普段は薄っぺらい信仰心も今だけは敬虔な信者なみになる。


「赤の女神は嫉妬して闇の神を閉じ込めてしまいます。闇の神はそこで死者の為の国を作りました。女神たちは闇の神に会いに行くただ一つの手段は死ぬこと。当然そんなことをすれば世界は滅びます。闇の神は自分に会うためだけに死を選んだ女神たちを転生させました。もちろん、赤の女神を含めて」


 ……あれ、少しだけ違う?


「で、彼女たちがやたらと死の国に来ないように闇の神は自分の欠片も時々転生させたんだ。それが闇の日生まれの子どもたちだよ。でも他の女神と違って魂の内側に死を抱え込んでいるから短命だって言われてる」

「転生の話はマザーの教えの中では聞いてませんね。七色の月になって闇の神に会いに行くのは聞きましたけれど」

「僕も子供の頃はそうだった。偉才を持った女性を女神の化身と考えることで周囲の男性は矜持を保ったのかな、なんて思ってる。転生先が同性だとは限らないのにね」


 ふと、思いつく。闇の神は短命の子供たちを嘆いて、だから外界より取り込んだ命に欠片を宿して転生させた。私の前世の残りの寿命分と合わせればそれなりに生きるかもしれないから。


「まぁ、単なる言い伝えかもしれないし。こうして目の前に特例がいるからね」

「確かめる手段はなさそうですよね」


 私の考えだって単なる想像にしか過ぎない。実際に神様に会って聞いてみないと確信は持てない。でももしもそのために生まれて来たのなら、伸びた寿命分を何か意味のあるものにしたい。せめて、カーマインを助けるくらいはしたい。

 人一人救えないで何が転生者だ、と言う考えは驕りかも知れない。でもそれしかすがるものが何もない。前世だったら引き受けてくれる弁護士を探したりとどう行動すればいいのかある程度予想はつくが、今世では本当に役立たずの知識だ。だって弁護士なんてものが存在していても王族に喧嘩を売る人はいない。


 この塔において魔法は封じられていると知っても、肖像画の背景の部分に魔法陣を描いては魔力と願いを込めていく。おまじないとしているされるような気休め程度の物だ。長寿、幸運、女神たちの加護……。あらゆる物を背景に溶け込むように忍ばせる。


 私の中に死を遠ざけるものが存在しているのなら、少しでもカーマインに分けられますように。


 集中し始めて会話が無くなってしまった私を見るカーマインの表情は、いつの間にか温かいものになっていた。最初に助け出してくれた時のような、優しい顔。私はそれをただ、絵の中に閉じ込めていくだけ。

 いつの間にか死刑囚を描くと言う悲しい覚悟は頭の中からすっぽりと抜け落ちていた。


 描きたい。ただその欲求だけが私を突き動かしている。ずっとずっと、待ちわびていた時間。

 お陰で一日一日が過ぎていくのが早く感じられた。処刑の日を数え鬱々とした気持ちで描いてたら、きっと良いものは描けなかった。


 絵が完成したのは刑の執行日の前日だ。塔まで受け取りに来たのは、第二王子アスワド。国王にも披露し、政治的に問題無しと判断した上で蘇芳将軍に手渡されるらしい。

 運び出すための準備をしながら、カーマインとアスワドに絵を見せた。


「ノアールにはこんな風に見えているのか。なんて言うか……かなり、照れるな」

「中々男前に描けてるな。男性画家の絵とはまた違った味がある」


 自分の描いた絵が大勢の目に晒されるのは何度か経験して慣れた。けれどモデル本人にこうしてじっくり見られるのは、別の意味で照れる。

 告白にも似た感覚だ。心の奥底にひた隠しにしている想いにもしかしたら気付かれてしまうかもしれないと、期待と緊張が入り混じった感覚。

 アスワド様も一応は褒めてくれたらしい。絵は布に包まれて塔から持ち出され、私はそれを黙って見送る。


 目の前から絵が亡くなった途端、カーマインとの別れの時だとじわじわとこみあげてくる。いつの間にか、絵を完成させれば目の前にいる人がいなくなるだなんて思えなくなっていたのが、ここへ来て打ち消されていく。

 カーマインが何気なく最後の別れをし始めたせいもあるかもしれない。


「明日は来るのか?」

「いいえ。おそらく先生がこちらの方に来ると思います。私はホテルの方で待機してますから、ですから……」

「会えるのは今日が最後、か。報酬の方は将軍から支払うと思う。フリントさんやネリさん、それからアトリエの人達にはヨロシク言っておいて。あ、あとついでにラセットも」


 声に詰まってしまった私の言葉をカーマインが紡ぐ。相槌を打つことしかできないのにさっさと別れの閉めに入ろうとしているカーマインが少しだけ憎い。


「参ったな。何か形見になるようなものを挙げたいけれど、残念ながら手元に何もないんだ」

「……にも、いりませ……から、約束を」

「え、明日には死ぬってのに今から?何を?」


 涙声を堪える為に私は深呼吸をし、カーマインを真っ直ぐに見た。

 生まれ変わりは、ガガエで証明済みだ。決してありえない話ではない。記憶を残すのは奇跡に近いかもしれないけれど、それでも一縷の可能性に望みを懸ける。


「もしも私が生きている間に生まれ変わったら、必ず会いに来て下さい。どんな姿になっても、私は描きますから、もう一度絵のモデルになってください」


 カーマインは呆気にとられたようだ。ポカンと口を開けるちょっぴり間抜けな様子が、少年だった頃を思わせる。その後、少しだけ意地悪な顔に変わった。


「気持ち悪い虫でも殺さずに描いてくれる?ちゃんと僕だって気付ける?」

「それは考えてませんでした。ゾンビとか魔王とか、蛇やカエルまでは考えていたんですけど」

「会える前に死んでるかも。もしかしたら料理に入っているお肉かも知れないよ」

「何てこと言うんですかっ、そんな悲しい再会は嫌ですよ!いや、でも料理をおいしそうに描くのも画家の腕の見せ所かもしれないか……」


 私がぶつぶつ言い始めるとカーマインは声を上げて笑う。余程ツボにはまったのか、お腹を抱えて涙が眼の端に浮かぶまでになった。ここまで笑う姿を今まで見たことが無い。もしかしたらいろいろ溜まっている鬱憤を全部吹き飛ばしているのかもしれない。


 だって、明日には。

 明日には、笑うことも泣くことも出来なくなる。


 今から刑の執行まで一人でいて、泣くのは簡単でも笑うのはきっと難しい。

 笑いのツボもいまいちよく分からず釈然としなかったけれど、カーマインの笑顔を引き出せて何だかとても良いことをしたような気がした。


「いやー、明日には死ぬってのにここまで笑うとは思わなかったよ。……有難う、ノアール」

「どういたしまして。こちらこそ、御指名頂いて、有難うございました」

「ああ。ノアール、次に会う時まで元気で」


 一度深くお辞儀をした後、くるりと踵を返して私は部屋を出る。

 部屋の扉が閉まるその瞬間まで、カーマインは私を笑顔で見送っていた。

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