肖像画5

 監獄として使われている塔とは言え、来客が全くないわけでは無いようだ。私が少しずつ絵を描き続けている間にも、捕らわれている者に会いにいろいろな人が来る。


 今日は、王女ヴェスタ。カーマインの婚約者である彼女がお供もつけずにやって来た。

 王女が部屋に入っただけで空気が華やぎ、豪華ではなくとも普段着ドレスの裾が歩くたびにふわりと揺れて、まるで城で開かれるパーティー会場にでもいるような気分だ。お姫様を見慣れてない私は、それだけで魅了されてしまいそうになる。

 慌てて立ち上がり会釈をするけれど、そのままで、と片手で制された。けれどカーマインが立ち上がってしまったので筆を一度置く。


 王女の前で片膝をつくカーマイン。絵になるなぁ。絵にするべきだろうか。肖像画よりもこっちが描きたいなぁ。勝手にスケッチしたら怒られるだろうか。

 そんなことを考えている間に挨拶を終え、いつの間にか二人とも座っている。

 ……描き損ねた。


「あなたとわたくしの婚約は解消されることになりました」

「そうですか」


 椅子は二つしかなく、そのうち一つは私が使っている。もう一つは王女が使いカーマインはベッドに腰掛けていた。

 婚約破棄は予想通りのようで淡々と返事をするカーマイン。対する王女の顔は私からは見えない。

 私は先に背景に色を載せることにし、何か助けられるヒントを探して耳をそばだてながら空気になる様に徹した。


「王家としては将軍家との関係を断ちたくないので、あなたの義弟と婚約し直すことになりました」

「私は将軍家に養子に出された身ですので、血筋としてはそちらの方が正しい判断かと―――」

「わたくしを諦めるのですか。あなたらしくもない」


 声色からすると少し気が強めかな。でも意地が悪そうと言う感じではなく、意志の強そうな、真っ直ぐに育ったお嬢様な感じもする。話している内容は自信過剰に思えるけれど、カーマインを奮い立たせるための策かもしれない。

 一言で言うならば、可憐。所作だって一つ一つが美しく洗練されている。

 どう逆立ちしたって敵(かな)いっこないから嫉妬する気も起きないよ。


「あなたが命乞いをしてさえくだされば、わたくしの一存で死刑を取りやめにすることも出来るのですよ」

「権力はそのように使う物ではありません」

「どうしてわかって下さらないのですか」

「この状態を引き起こしたのはあなただ。始めから義弟を選んでいればこんな事にはならなかった」


 ―――お、重い。

 前世も含めればアラフォーな私の方が酷く幼稚に思えてしまう。いや、いきなり大人な恋愛をしろって言われても無理なんだけどね。

 どうやら蘇芳将軍が無理やりカーマインに話を持って行ったのではなくて、王女が選んだ末でのことらしい。

 王女側が好意を持っていて婚約の話はうまくいっていたわけだから、死刑になる様に仕向けたのは王女ではなさそうだ。

 むしろ嫌がるカーマインが事件を起こしたようにも聞こえる。

 ……本当に犯人なのかな?


「選択肢があるならば自分で好きな方を選びたいと思うのは我がままでしょうか」

「我々の置かれた位置をきちんと見ているならば選択肢など始めから無かったでしょう」

「兄の暴走を止められるのはあなたしかおりません」

「田舎貴族に高望みしすぎです。死刑を止められるとおっしゃるならばあなたも殿下を十分止められるでしょう」


 暴走って何の事だろ。死刑を止めることが、イコールお兄さんの暴走を止めるなら、犯人は第一王子か第二王子?

 言い合いはなおも続いている。助けるためのヒントになるかもしれないので聞いておかなくては、とは思うのだけれど……


「だったら優しくしないでほしかった」

「主の妹のお守りをしていただけですよ。命令通りにね」


 聞いているうちに、只の痴話げんかになってきた。

 でも……そうか。王女様なら何とかできるのか。後でこっそり接触は無理かな。優しそうな王女様だから何とかならないかな。


「生きたいとは思わないのですか」

「親友であり主である彼の為ならば俺は死ねます。あなたの為には生きられません」

「私の為ではなくとも彼女の為ならどうかしら」


 それっきり会話が聞こえなくなった。彼女って誰?と思ってカンバスから顔を上げると、二人とも私の方を見ていた。聞き耳を立てていたのがばれてしまったかと、慌ててカンバスの方に顔を向けて描いてる振りをする。


「死ぬ前に肖像画を残したいと言う理由なら宮廷画家をこちらでも用意できるのに、どうしてこだわるのか気になって調べてみたの。あなたが命を救い、のし上がるきっかけになった大切な女の子なんですってね」


 王女は椅子から立ち上がり、ゆったりと私の方へと歩み寄ってきた。高級な香水でもつけているのか、品の良い香りが鼻をくすぐる。


 そんな言い方をされると物凄く大切にされてそうだけど、今までずっと放っておかれたから違うのに。

 カーマインからしてみてもおそらく私が画家をしていると知ったのは偶然だろうし、大分勘違いされているようだ。


 王女は私の後ろに立ち、両肩に手を置いた。首をそのまま絞められそうな、際どい位置だ。


「あなたが死んだらこの子も殺すわ。出自ではもう死んでいてもおかしくないのよね?」


 頭の上から思いもかけない言葉が発せられて、思わずごくりと唾を飲み込んだ。怖い、王女様怖いよ。何でそうなるの。


「ノアールは関係ない。嫉妬するならまるっきり見当違いだ」

「そうですよっ。今までずっと放っておかれたし、お礼や近況報告をしようにも手紙を送っていいのか分からないし―――」

「黙りなさい。平民が何を勝手に発言しているのかしら……あら?あらあらあら」


 王女は私の首からぶら下がっていた二本の皮ひもに気付き、手繰り出して人魚の涙を二つとも服から出した。

 わざわざ私の前に回り込み、目を細め唇を細い月のようにして笑う。可憐で聖女のようだと思っていたらその笑顔はむしろ、魔女のようだった。

 先程以上に背筋が凍りつく。


「ふふっ、お揃いのペンダント。貴女、もしかしてカーマインにプロポーズでもするつもりだったの?」

「……人の婚約者を奪うようなまねは致しません」


 辛うじて答えられた。魔法を封じる塔の中なので光が瞬いていないせいか、これが人魚の涙とは気づいていないみたいだ。


「でも今は破棄されて独り身よ?今、この場でするならずっと一緒にいられるようにしてあげる」


 生きたまま、とは言っていない。王女の今までの言動からするとおそらくは死を以て、と言うことなのだろう。

 それでものろのろと私の体は動き出し、座ったままのカーマインの首に人魚の涙を掛けようとする。

 トープの顔が頭を掠める。何か言ってきそうなガガエもいない。塔の中だからか、精霊は全く反応していない。


 好きだからって気持ちで行動しているんじゃない。助けなきゃって使命感の方が強い。

 生きてほしい。諦めないでほしい。


 ……なんか、嫌だな。

 求婚って相手の反応を気にして緊張したり、幸せになることを願ったり。少なくてもこんな―――仕方がないなんて気持ちでするものではないよね。

 でも言葉を口にせずに済む方法があるのは気が楽だ。


 手が震えるたびに、銀細工に光が反射する。私はどうやら緊張しているみたい。

 戸惑いながら動く気持ちを知ってか知らずか、首に掛かる前にカーマインは私の手を止めた。


「王女の言ったのは一緒に死刑にすると言う意味だよ。分かってる?」


 諦めて、手を下ろす。こんな状況だから本当に仕方がないけれど、拒絶された。今度こそちゃんと、失恋した。

 王女の前で泣くのは嫌だ。泣くのは、ホテルに戻ってから。


「カーマインこそ、知ってますか?闇の神の国は何もない場所なんですよ。色も見えないし音も聞こえない。指先の感覚も足が地面に着いている感覚も無い」

「ノアール、まさか記憶が―――」

「そんな場所からカーマインは救い出してくれたんです。そんな恩人をどんな形であれ助けたいと思うのはおかしいでしょうか」

「だからって命まで懸ける必要はないだろ。僕は死んでも君はまだまだ生きて絵を描き続けろ」


 肖像画の主が死んだらきっと本格的に絵が描けなくなる。そうしたら死んだも同然だ。

 同じ死ぬなら誰かと一緒に死ぬのも悪くない。もしかしたら私が今まで描いた絵に価値が出るかもしれないし。


「なんか、つまらないわ。恋のお話よね?プロポーズよね?もっと盛り上がる筈よね?頬を赤らめたり目を潤ませたり抱き着いたりキスしたりするものでしょう?なんでこの子、こんな決死の覚悟なの」

「ヴェスタが言ったんだろ!脅されて盛り上がれるはずがない。状況も考えろ」


 あ、名前呼びだ。しかも呼び捨て。喧嘩してるけど仲が良さそう。ちょっぴりショック。


「あなたとわたくしの仲なのだから冗談だってわかってるでしょう?」

「ノアールは知りませんよ、貴女のそんな奇特な性格。ごめんな、ノアール。こんなことさせて」


 こんなこと。私の結構必死なプロポーズがこんなこと。一緒に死ぬのも悪くないなんて思ったくらいなのに、「こんなこと」扱いされた。

 カーマインの申し訳なさそうな顔に思わず聞いた。


「死刑も冗談ですか」

「や、それは本当」

「つまらない、つまらないわぁ」


 王女は心底がっかりした顔で首を振り、そのまま引き上げて行ってしまった。

 こちらこそ処刑前の悲愴で劇的な別れが繰り広げられると思ったのに、とばっちりできっちりと失恋させられてがっかりだ。

 『塔での別れ』―――絵の題材になりそうだと思ったのにな。人物はカーマインと王女。でもあんな王女は描きたくない。


 …相手が私なわけがないでしょ、うん。

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