お嬢様

 ホテルに戻るとどこから聞きつけたのか、ヴィオレッタお嬢様がロビーで待ち構えていた。もちろん一人では無く、護衛らしき人が付いている。ここは王都なのにどうして、と思う間もなくつかつかと歩み寄られて思わず身構えてしまった。


「ノアール、カーマイン様の肖像画を描くお役目を譲りなさい」


 挨拶もまともにせずいきなり命令形で言われて、内容を飲み込むのに間が空いた。それでも、咄嗟に判断できるような話題ではない。見かねた浅葱さんが助け舟を出してくれる。


「ここでは人目もあるので、上にとってある部屋で話したらいかがでしょう?先生、構いませんよね?」

「ああ。護衛の方もいっしょにどうぞ」


 話し合いに十分なスペースのあるスイートルームで良かった。本来の価格なら|専属の客室係(バトラー)が一人付くらしいけれど、浅葱さんはそれを断っていて自分でお茶を入れている。ヴィオレッタ様と先生、それから私の分。トープと紫苑さんは貴族とは距離を置きたいらしく別室に移動した。

 それにしても随分手馴れているな、浅葱さん。もしかしたら貴族に仕えていた過去でもあるのだろうか。


「まずはどこから情報を仕入れたのか教えてもらっても構わぬかの?」

「あら、新人賞を取った者が将軍家から指名を受けたことは、かなり噂として出回っている情報でしてよ」

「そうではなくて、ノアールがここに居る情報は、どうやって?」

「そのような些末な情報はいくらでも使いをやって調べられますわ。でも……そうですわね。少し礼儀を欠いた事は謝ります。私はこの上の階のペントハウスに滞在しておりますの」


 自分の居場所を明らかにして、敵意が無いことを示したつもりらしいけれど。寧ろペントハウスに私を招待して話し合いをしたほうが良かったのではと思ってしまうのは、ちょっとしたやっかみだろうか。入ってみたかったな。


「カーマイン様の肖像画の件ですけれど」

「それは、私の一存では出来かねます」

「あら、どうしてかしら」


 まず、相手が貴族で私は平民だという事。依頼と言う形ではあるが他のお客様でもほとんど断らない私が辞退すれば相手がどう思うか。また相手から断られたとしてもそれなりの理由が無ければ私に問題があると見なされ、今後の仕事に影響が出てきてしまう。

 けがをしている、病にかかっている、図書館の依頼のように必要な道具が用意できない、等々。流石にヴィオレッタ様が闇討ちするようなまねはしないと思うけれど、危険を予想していて一人では出歩かないようにしていると言えば、眉をしかめられてしまった。


「そこまでは考えていませんでしたわ。でも、有り得ない話ではないですものね」

「それに、全く身に覚えのない依頼と言うわけでもないのです」


 カーマインとは既知の間柄であることを伝えておく。


「私は幼い頃にカーマイン様と何度か面識がありまして、画家に成る夢を話していました。新人賞受賞の知らせを受けた、おそらく御本人からの要請だと思います」


 私の生い立ちと面識に付いて簡単に話す。孤児院で面倒を見てもらったので恩返しの意味でも一度は依頼を受けたいと言うと、ヴィオレッタ様は納得したようで肩の力を抜いた。


「将軍家を出資者として見ているわけでは無いのね。お抱えの画家に成ろうとしているのかと思ったわ」

「新人賞を頂いたくらいでそれほど図には乗れません。一度だけのつもりですのでその後はヴィオレッタ様にお譲りします」

「え?ああ、私に譲りなさいと言っているわけでは無くて、他の方に譲りなさいと言っているの」


 ヴィオレッタ様も小さなころから面識があったらしい。貴族と言うのは結構狭い世界で、婿入りしてきた父の母が代々領主に仕える家の生まれだったと教えてくれた。と言っても私はその辺り詳しくないからあまりピンと来ないのだけれど。

 それでも、私なんかよりもずっと傍で努力するカーマインを見てきたと言うのだけは伝わった。


「あの方があの場所で生きるには、後ろ盾となるものがたくさん必要なの。肖像画一枚を画家に描かせるにしても有力な宮廷画家と繋がりを持てれば、そこからまた地盤を固めることに繋がるわ。いくら優秀だとしてもアンツィアに居た頃と違って、気を抜けば足元を掬われかねないのよ。平民であるあなたにはわからないでしょうけれど。ベレンス先生の方にも宮廷画家から接触はございませんでしたか?」

「探られるような会話はされてしまったのう。ただその時は正式な依頼では無くただの雑談の中での話題であったから、濁しておいたが」


 先生はそこで紅茶を一口飲み、ふうとため息をついた。


「もしかしたら画家としての能力以外にノアールの価値を見出してるのかもしれぬ。が、未だに将軍家やカーマイン殿本人と接触できていない今では何とも言えん」


 成人しても生きている闇の日生まれ。平民の魔力持ち。初心者程度の魔術教育しか受けてないから、騙して魔術を使わせる。貴族に仕える様な技術だって何も身に着けていない。

 自分で言うのも悲しいけれど、私に絵を描く以外の価値なんてほとんどない。

 ……やばい、魔力を搾取される感じしか思いつかない。


 もちろんその辺りの事をヴィオレッタ様に馬鹿正直に話すつもりは無く、やはり適当に答えるしかできなかった。


「どちらにせよ、今は連絡待ちなので動くに動けないとしか答えられません」

「分かりました。皆さまにはそのようにお話しいたします」

「皆さま、とは?」

「あら、御存じなかったの。平民の画家がいきなり名指しで将軍家に取り立てられるのは、何か裏があるのではと邪推する者がいるのよ。当主か息子二人の誰かの愛人になるのでは、なんて話まであるのよ」

「あ、あいじん……」


 自慢じゃないけど色気も何にもないよーっ。愛人ってもっとこう、美人でお化粧もお洒落もばっちりで男の人の目を意識した服を着て胸とかくびれとか―――

 自分に無い物を心の中で羅列していたが、当てはまるぴったりな人が目の前にいることに気付いてしまった。その美人さんは頬に手を当ててほうっとため息をつく。何だかちょっぴり悩ましげ?


「わたくしもお役にたてるならば肖像画を描いて差し上げたいものだけど…」

「まさか愛人の座を―――」

「違うわよっ、失礼ね。私なら正妻を目指します。婚約した王女だって同じ年なのだから私にも……てそうではなくてっ!私にはもう婚約者がいるのっ!」


 なんだかとても可愛い癇癪がさく裂した。浅葱さんがヴィオレッタ様の背後でによによしている。

 ヴィオレッタ様はコホンとわざとらしい咳をして話を元に戻した。切り替えが早く、至って真面目な顔だ。


「いろいろとね、箔を付けておきたいの。ニールグ家が王家に取り立てられているように、私もいざと言う時の為に伝手を持ちたいの。ヴォルカン様に悟られないような、ね」


 展覧会で合った限りではあまり悪い人には見えなかった。だから、領主よりも王家と繋がりを持とうとする人達が今ひとつ理解できない。


「領主様より王家、ですか」

「忠誠か出世かってこと?別にヴォルカン様を蔑ろにしているわけでは無いわ。領地ごと守る盾になりうるかもしれないもの。少し難しかったかしら?」

「……貴族の世界は、理解はできても感情はついて行けませんね」


 近くにいる人への思いやりよりも、その人を含んだ領地全体の未来の利益を取る。それは、理解できる。


 私の知っている貴族たちは感情が割と豊かで、ほんの少しだけ、必死になって貴族であろうとしているようにも感じた。メイズさんはかなり自由だけど、ヴィオレッタ様、カナリーさん、サフランさん、そしてヴォルカン様。唯一の例外はエボニーだ。


 外側から見ているだけなのでそう思うのかもしれない。それが、彼らにとって必要であることも理解はできる。すれ違ってしまうことも、覚悟の上。

 でも、無理をしているようにも見えて、少しだけ泣きたくなる。貴族の世界に入り込めばそれはもっと顕著になるだろうから、一線を引いておきたいと思ってしまう。

 

「素直な意見ね。でも、嫌いではないわ。明日のパレードはご一緒してもよろしいかしら」


 突き放したような意見にもヴィオレッタ様は動じず、ふんわりと笑顔を返した。

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