壁画

 予約していたホテルはパレードを行う大通り沿いの老舗ホテルだ。料金は先生の依頼主である神殿持ち。七階建ての建物に入れば、赤い絨毯のロビーが広がっていた。

 扉が蛇腹式の、私からしてみればレトロなエレベーターがあるのにとても驚く。どうやらこれも魔力によるものらしい。


 ドアマンについてエレベータを下りるとかなり広い部屋に案内された。最上階の一つ下、という事は……


「も、もしかしてスイートルームですか?」

「ああっと、予約する時はワンランク下だったんだけどね。料金はそのままでいいからってホテル側から申し出があったの」


 先生たちは王都へ来るたびにこのホテルを利用していた常連であることもあって、パレードの集客を見込んで少しでも多く泊まれるように、大人数の私たちの部屋を開いている部屋へランクアップしてくれたらしい。

 広々とした部屋の中にはゆったりと座れるソファやテーブルがあって、誰かを招くこともできそうだ。寝室は別になっていてベッドはシングルサイズなのに結構大きい。壁紙も絨毯も老舗とだけあって上品なデザインで、壁や天井から下がっているランプもどこか懐かしさを感じさせるもの。


 滅多にない機会だから、泊っている内にスケッチしておこう。


 一通り部屋を廻った後に、窓から大通りを見下ろす。道の両側には七階建ての建物がずらーっと並んでいて、左手の奥には街全体の門が、右手にはお城が見えた。

 ここからお城を描くのは少し無理がある。街並みだけを描くにしても窓から見えるのは向かいの建物だけなのでつまらない。せっかく高い視点からの絵が描けそうなのに、いちいち身を乗り出せば視点が安定しないだろう。椅子とイーゼルが置けるくらいの狭さで良いから、ベランダのような物があればいいのに。


「こんなに高いとパレードはちょっと見辛いですね」

「その時間だけ二階のレストランを開放してくれるらしいわよ。あ、将軍家にここに滞在するって連絡入れておくからね」

「はい、お願いします。どのようにして連絡を取るのですか?」


 電話もスマホもない世界だ。気軽に着いたよーって知らせるのも難しいはず。エレベータはあったけれど公衆電話みたいなものは見当たらなかったし……

 浅葱さんは人差し指をピッとたてながら答えてくれた。


「アトリエに使いの人が一度来ているから場所もある程度は知っているし、全く繋がりがないのとは違うね。直接お屋敷に行って門番の人に言伝やお手紙を預けるとか、あとはここ、結構高級なホテルだから同じことをロビーの受付に任せることもできるかも。珍しいね、ノアちゃんがそんなの気にするなんて」


 精霊石を使った通信手段を期待していたなんて言えない。そんなものが存在するかも分からないからうかつに口に出せるわけがない。


「何か道具を使うのかなって思っただけです。相手は貴族ですから」

「ああ~なるほど、聞いたことはあるけれど流石にそれだけのために貸してはくれないでしょ」


 あるんだ、通信手段。いつかお目にかかれるかもしれないね。





 私の画材などはホテルに置いて、皆で図書館に行く。国で一番大きい図書館と言うだけあって、蔵書の数が半端じゃない。味気ない日本の一般的な図書館と違って、アーチ状の天井だったり、吹き抜けになっていて一階から二階部分の本棚が見えたりと、絵に描きたくなるような構造だ。広い空間の中、床や壁、天井などにいくつか魔法陣が見える。おそらくは本を保存する為の物だろう。


 神殿と同じように身分を問わず入れる場所だが、ぼろぼろの服をまとったものはいなかった。王都には学校もいくつかあって、識字率は低くは無いはずなのに利用する者は少ない。かなり立派な図書館なのに、完全に宝の持ち腐れだ。時間があれば過去の作品や美術史に関する本を読み漁ってみたい。

 入口から入ってすぐ、ロビーにあたる部分にその壁画はあった。


「紫苑さん。本当に、ただの修復ではないんですね。これがまるっきり無くなるんですか」

「ああ、何年かに一度、前の女神を塗りつぶして新しく描き直すんだ」

「なんてもったいない……」


 美しいその壁画を見上げる。色もまだ褪せてはおらず、顔料が剥離している部分も見当たらない。

 絵の中央には長い藍色の髪の女神が左手に本を広げ、右手に杖を掲げていた。

 理知的で意志の強そうな目。薄い唇は引き締められていて、慈愛よりも物事をはるか遠くまで見通す聡明さを感じさせる。

 一目見て、見事だと言わざるを得ない絵だ。


「知識は上書きされるもの。いつまでも頑なに古い知識にとらわれておってはダメだと、先人の教えによるものだと理解できてはいても………………もったいないのう」

「あ、先生もそう思いますか」

「うむぅ。新しく描いた絵もそのうち誰かに塗りつぶされなければならない。死後なら文句も言えんが、生きているうちにそれが行われるとなると時代に合わず古臭い絵だと言われるようで、何とも、こう、寂しくなるのう」


 古きをたずねて新しきを知る。古く失われた知識に重要な秘密だってあるかもしれないのに、と言おうとしたが先生の言葉の後では古臭いことを認めてしまうような気がして、黙っていた。


 ……スケッチブックだけでも、持ってくれば良かったな。消されてしまう前に、古い方の絵をざっと模写しておきたい。


 皆で立ち尽くしていると図書館の司書らしき人が声を掛けてきた。エルフの知的涼やか美人なお姉さんだ。浅葱さんが対応する。


「アトリエ・ベレンスの方でしょうか」

「ええ、あなたは?」

「私はこの図書館の司書をしておりますクラレットと申します」


 藍色の神官服を少しアレンジしたような制服を着ているクラレットさんへ、軽く自己紹介をしていく。挨拶が一通り終わると、クラレットさんは頭を下げてきた。


「非常に申し訳ございませんが、フレスコ画に使う予定の原料が未だに届いていない状態でして」


 この図書館には魔法陣が仕掛けられているので、それに適した材料を毎回図書館側が用意するらしい。フレスコ画の場合は漆喰が必要なのだが、漆喰は水酸化カルシウムや炭酸カルシウム―――主に石灰岩から作る他、貝殻やサンゴ、卵の殻などからも取れるカルシウムを加工しても出来る。……前世の知識のままであるならば。


「噂によると同盟国イーリックの敵国ギルテリッジが、よりにもよって戦争で使うストーンゴーレムを石灰岩で生産したそうなんです」


 ストーンゴーレムは知っている。魔術で石を人型に組み立て操るモンスターだ。

 岩の材質に触れる物語やゲームは、あまり聞いた事が無い。石ならストーン、鉄ならアイアン、木ならウッドゴーレムといった具合に大まかな分類なら知ってるけれど。


「しかも純度の高い物ばかりを使ったそうで」

「それは……さぞかし白くてかっこいいゴーレムが出来上がったでしょうね」


 残念そうなふりをして頷きながら、トープがちょっと興奮している。まるでロボットアニメに憧れる少年のようだ。

 確かに想像するとカッコいい。戦場で暴れる真っ白で無機質な巨人。見上げる状態だからきっと青い空に映えて……やばい、描きたくなってきた。でもとっても不謹慎。自重しなければ。

 思わぬところで思わぬ形の戦争の影響を知った。農産物だったり、ただ単に流通が滞るのならわかるけれど、ストーンゴーレムかぁ。ファンタジーならではと言うか、ちょっと間抜けと言うか。


「そう言うわけで、本格的な作業に入られるにはまだ時間が掛かるかと思われます」

「いや、まだこの図書館に来たばかりであるからの。寸法も図っておらぬし、下絵もまだなので問題ない」

「そうですか。もしも目途が立ちましたらまた声をお掛けしますが、何かあればお申し付けください」


 しばらくこの絵に手が加わらずに少しだけほっとした。本格的な作業が始まる前に写しておきたいな。

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