月と妖精
夜空に合わせた色で下塗りを済ませてから私は工房へと入った。
「バフさん、ユニコーンの角で作った絵の具は出来てますか?試しに使ってみたいんですけど」
「おう、量はまだ少ないが良い感じのが完成したぞ」
角の粉末に乾性油や樹脂などを様々な分量で混ぜ、取り敢えず白だけは完成したらしい。乾性油と言うのは簡単に言うと酸化しながら乾いて固まる油だ。例えば椿油やオリーブオイルは液体のままだけど亜麻仁油や紅花油などにその性質がある。その性質を利用して顔料を定着させるのが油絵。
私の知識は前世の物だしこの世界のどんな植物から油がとれるのは知らない。顔料との組み合わせによってさまざまな反応があり、魔力中毒になるような有毒性の物もあるので注意が必要らしい。けれど、今回は比較的楽に加工できたようだ。
「ただ、魔力の含有率が高くてな。人体に影響があるようなもんじゃないが、職人にほんの少しでも魔力があると反発して分離しちまうんだ」
魔力がどんな影響を材料に及ぼしているのかは、私には全く分からない。あれがどうなってそうなってと説明し始めるバフさんを押しとどめ、魔力があると分離する事だけ頭の中に留め置いた。
「その点、トープは魔力を全く持たないらしくてな。平民の純血ってわけだ」
「親方、それあんまり嬉しくない言い方ですけど」
「何言ってんだ。魔力を全く持たない奴ってのはかなり貴重なんだぞ。皮だろうが木だろうが石だろうが、魔力を全く持たない素材ってのは少ない。お前にしか扱えない物だってあるんだぞ」
「逆に魔力が必要になる時だってあるじゃないですか。だったらあった方が―――ってごめんな、ノア」
へぇ、魔力が無いとそんな利点もあるんだ。祈りが届かないなんて可哀想だと思ったけれどそれなりの理由があるんだね。ほったらかしにされたけれど思わぬ知識を得られた。
「ううん、部屋にこもりがちだから元気なやり取り見てるのは嬉しいよ。それより、魔力を持つ私が絵の具を使っても大丈夫ですか?」
「安定剤みたいなもんを入れてるから大丈夫だ」
……良かった。あんな思いをしたのに私が使えないようなことにならなくて。
値段を聞くと試作品だからいらない、その代わり使い心地などを教えてほしいとの事だった。材料の割合をもう少し調整してから商品として正式に店に出したいらしい。
白……か。
他の絵の具と混ぜて使う割合が多いけれど、どうせだったら単色で使ってみたい。トープも綺麗な白だと言っていた事だし―――そうだ!星を描くのに使おうっと。
それから期限まで時間を掛けて絵を仕上げる。完璧に失恋から立ち直れたわけでは無く気分に山があったり谷があったりしたけれど、真剣に絵と向き合っている間は忘れられた。
夜空の左隅に緑色の月を配置し、ファタルナの花を中心とした花畑を描きだす。月の色を変え、例えば全体を紫でまとめるのも楽しそうだが、学術的な虚偽を指摘されるのが怖くて見たままを描こうと思う。
花畑を水平では無く端に行くにつれ上へ上がる、魚眼レンズを除いたような構図にしてみた。もちろんこの世界のこの時代でどこまで受け入れられるのかは分からない。公に評価されるものだからこそ挑戦して見たくなった。
遠近法で手前の花は大きく、奥に行くほど細かく。その上を光る妖精が舞う。色がバラバラすぎないように全体を見ながら配色する。
星は筆をはじいたりして銀河のように描くのではなく、一つ一つ描いた。メインは花畑と妖精なので、邪魔にならないように少しだけ。白い点を落とし、周りを青で囲む地道な作業。
元々時間が無いのに花に妖精に星と細かい作業を必要とする題材を選んでしまった事に、時々心が折れそうになる。しかも、オークションの時に見たカタログの絵からして、もしかしたら場違いかもしれない。前世と変わらず油絵には暗いものが多く、夜だとしても比較的明るい私の絵は他と明らかに違う。
普通に果物なんかの静物画を描いた方が安心できると言うものだ。
日付は瞬く間に過ぎ、締切まであと十日ほど。
描きながら、なんで私は苦行の道を敢えて行こうとしているのだろうとふと疑問に思ったり。
夜寝ている時には描いてたはずの絵が実はまだ真っ白なんて悪夢を見たり。
トープも私の状況を悟っているのかあまり強く出ないので、気づけば朝食以外食事をとっていなかったり。
絵を描く上で一番きついのは、何をもって完成とするか自分の判断でしか決められないという事だ。方向性が間違っていないか、どこを手直しすればいいのか、或いは直す前の方が良かったのではないかなんて思い始めるとキリが無くなる。
そんな感じで締切前の漫画家みたいに気力だの精神だのがはっきりせずドロドロな状態だったから、その現象を発見した時は半分夢なのではないかと思った。
夜空の部分は納得いく出来だったので後は締切ぎりぎりまで花畑に手を加えようとしたその時、絵の上の方に何かがチラついているのが目に入る。
瞬きをしたり、目元を押さえたりしたがその現象は収まらない。
ユニコーンの角の絵の具で描いた星が、ピカピカと点滅を繰り返していた。
「とうとう目がおかしくなったのかなー。疲れてるのかなー」
ガガエすらいない部屋で一人、間延びした声を上げる。
ガラスのような成分が入っていて光を当てると反射すると言うのならまだわかる。けれど目の前では白い絵の具がちかちかと強弱をつけて発光していた。
まるで、本物の星が瞬くように。
しばらく見つめていたがどうにも疲れている自分の目が信じられなくて、アトリエから工房へとゾンビのようにもったりと移動した。
工房の中では皆が忙しそうに働いていて、まるで自分が死者の世界から生者の世界へと来たように眩しかった。
「おう、どうした。絵の具の追加か?」
「バフさん、ちょっと来て絵を見てください。トープでも良いですけど」
「んと、僕は?」
「ガガエも来て」
皆が顔を見合わせて首を傾げているのを横目に、私はまたもったりとアトリエに戻る。戻ったその先で、瞬く星空の絵を指さした。
「おお、ほぼ完せ―――?なん、だ…こりゃあ」
「やっぱり、私の目がおかしいわけでは無いですよね」
バフさんも初めて見る光景に驚きを隠せないでいる。トープはそのバフさんと私の絵を見比べ、ガガエは虫でも潰すように星の部分を手のひらでぺちっとはたいた。描いてから時間が立ち、触れたのもほんの一瞬の出来事なので手に絵の具はついていない。はたかれた星はそれでも瞬いていた。ちっちゃな手と絵を不思議そうに見比べてるガガエは、ささくれ立った私の心に癒しをもたらす。……可愛い。
「油絵の規定から外れるなんてこと、有りませんか?問題ありだったら夜空だけ塗りつぶしますけど」
「ああ、いや……トープ、先生を呼んで来い。審査も務める先生だったら判断できるだろ」
「了解ッス」
提出前に審査員に見られると言う、何ともむずがゆい気分だったが背に腹は代えられない。先生は他に用事もなかったのか直ぐに来て、絵を見るなりむうと唸って固まってしまった。他の色を混ぜると反応が無いことや星を描いた時の様子を説明する。
「この絵の具を公に商品として売り出すのは止めた方がいいのう。製法は秘匿し外に漏らさぬように。しかし作品を埋もれさせるのはあまりにも……」
「でしたら空の部分だけ直します」
はっきりとは言わないけれど作品が受け入れられているみたいでちょっぴりほっとした。先生の返事を待ってすぐにでも手直ししようと準備すると、先生は首を振った。
「いや、このまま出してみよう。他の審査員の反応が見たい」
「しかし、目を付けた連中がうちやノアールに危害を加えませんかね。画材では無く特別な技法によるものと勘違いした連中が湧くかもしれません」
「なぁに、領主に掛け合って画材の特許をとればいい。そのためにも出品した方が根回しはしやすいのだが……どうする、ノアール?」
おそらく描いた私の意見も取り入れたいのだろう。先生に聞かれてぼんやりしていた頭が急速にフル回転し始める。
「面白いのでそのまま出したいです。もしかしたら乾燥の過程で起こる一時的なものかもしれませんし、そうなると多くの人の目に晒された方が証拠となりますから」
「なるほどなるほど、やはりノアールはうちのアトリエ向きだのう。貴族的には特権として、商業的には独占するために隠す。観察するために危険を冒して公表するなど、他では選択肢としてまず考えられんからの」
先生は笑っているが、反対にトープはとても不安そうだ。
「危険、ですか」
「トープと僕がノアを守るから大丈夫、だね」
「お、おう!」
ガガエの言葉に気を取り直して元気に返事をしたトープ。いつの間にか私の知らない所で男の友情が育まれていて、いつの間にか守られる対象になっていた私は赤面するでも戸惑うでもなく。
「では空はこのままにして花畑をもう少し手直ししますね」
と、あくまで絵を描くと言う行為に没頭していたのだった。
締切三日前、夜空の端の方に黒でサインを入れて、私の作品の中では大作の部類に入る「月と花精」が漸く完成した。
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