トープ視点
「トープ、ノアがまだ何にも描けていないみたいなんだけど」
ノアに懐いている妖精のガガエが、工房に来るなり真っ先に俺のところへやって来た。扉も空いてないのに壁をする抜けるなんて便利なことが出来るらしい。
ガガエに関して思う所はいろいろあるけれど、ノアの味方ではあるし、こうして俺とも普通に話しているので変に気にしない事にした。
それにしても、もう一週間もたつのにカンバスは真っ白なままって……
画家たちの邪魔にならないよう、この時期はアトリエへは極力立ち入らないようにと言われている。
「朝飯もしっかり食べてるし、昼飯は分からないけれど夜も部屋に戻っているみたいだし、会話の受け答えだっておかしいところなんてないからな。具合が悪いって事は無いと思うけど……」
三度の飯より絵を描くのが好きなノアが描けないなんて病気じゃないかと一瞬思ったが、そんな様子は全然なかった。
アトリエ内の画家がこの時期に一斉に描いているのはコンクールの絵だ。今まで依頼主の好みと金額で評価されることはあっても、複数の人間に、しかも他人の絵と比べられるなんてのは無かったから戸惑っているのかもしれない。
ノアは初めてだから他の仕事を受けていないけれど、何度も経験している紫苑やメイズは合間にもう一仕事しているはず。スマルトは描いた物を売るって形だからどうか知らないけれど。
「やっぱり今までと勝手が違うから悩んでるんじゃないか?芸術家って感じだな」
「うーん、理由はそれ以外にも有りそうだけどね」
ガガエの相手をしながらも作業の手は止めない。
大森林から持ち帰ったユニコーンの角は魔力の影響を受けやすく、職人の中で魔力の全く持たないヤツは何人かいたが、俺が担当になってしまった。配合を少しずつ変えながらの実験の全工程を、一人で行わなければならない。
動物性の原料なのにあれだけの白さを出せたのには少し驚いた。いろいろな顔料を混ぜ込んで色の確認も面白そうだけれど、角は一本しかないので取り敢えず白だけだ。
「なんて言うかな。ノアが少しずつ繋ごうとしていた縁を、諦めて断ち切ろうとしているような感じ。僕にとっても感覚的なものだからうまくいえないんだけど」
「もしかしてカーマイン……あの神殿で見かけた赤い髪の兄ちゃんの事か?」
「ん、よく分かったね」
ガガエの声が暗いような、気遣うような声に変わった。こんなちっちゃな妖精に心配されるのかと、少しだけ笑ってしまう。
「ノアは、カーマインに二度も命を救われてるからな。本物の姫さんが傍に居ると知って気落ちしてんだろ」
「あれ、てっきりやきもち焼くかと思ったのに」
「妹を助けてくれた恩人だからな。もしかしたら俺の知らないところで孤児院ごと救ってくれている人なのかもしれないし」
領都アンツィアよりも可能性は低いとは言え、逆恨みで孤児院が焼打ちにあったり、もっと酷ければ村ごと被害にあったかもしれない。それほど狂った貴族だったらしいし、周囲の人間もあまりまともな奴じゃなかったらしい。背後関係は無いと断定されたけれど、今になって思えば巧妙に隠されただけかもしれない。
でも、子供の頃はそんな事思いつきもしなかった。
ノアが戻ってきた時には単純に嬉しいと思ったし、話を聞いた時には何もしなかった自分が情けなく思えた。カーマインはそのまま俺やノアにとって英雄になったんだと思う。
「多分普通の憧れだけじゃなくて絵のモデルになってほしいって部分もあると思うんだ」
「ん?」
「ノアは昔っから絵のモデルになりそうな奴しか見ないんだ。いたずらしてちょっかい出しても、ずっと傍に居ようと俺が工房に入っても、スマルトに攫われて助けに行っても全然興味を向けてもらえないし―――」
言ってて自分で泣きそうになってきた。ノアにとってのカーマインは、多分俺にとってのノアみたいなもんだ。生きるための道しるべってだけじゃなくて、きっとそこには恋心もあるんだろう。
まあ、それは本人に聞かないと分からない物なんだけど。
「だからカーマインに相手がいるって知って、やっと失恋したって気付いたんじゃないか?」
「えっ、ノアちゃん失恋したんか。だったら今が狙い目か?」
同じ職人仲間のダスクがいきなり会話に混じってきた。俺より二つ上で嫁募集中らしい。仕事に関しては見習いたいところもあるけれど、それ以外は寧ろ浮ついた話しか聞かない。
「兄としてはダスクさんにだけは渡しません」
「イヤ、俺じゃなくてトープの話だよ。このままずーっとその関係でいるつもりか?」
「傷心に付け込むなんてそんな卑怯なまねできないッス。せっかく小さい頃にダメダメだった信頼度が漸く普通辺りまで回復出来た…かもしれないところなのに」
話しをしながら、少しだけ昔を思い出す。殴るわ食べ物取るわ、散々なことをしでかしてしまった。話を聞いてくれるだけでも奇跡なんじゃないかって思えるくらいだ。そんな俺が想いを打ち明けるなんて、かなりタイミングよくしないと気まずくなるのが目に見える。
まだまだそんな勇気もないのが現状だ。
孤児院を出る一年ほど前の事、マザーにどんな仕事に就くのか聞かれた時に言われた言葉がある。その頃にはディカーテでどんな仕事があるのか分かっていたので、迷わずノアと同じアトリエの工房で働くと告げた。
勉強はマザーに教わった。護身程度の武術はフリントに教わった。家族もいないから、高望みさえしなければ自由に生きられる。ノアがいなかったら冒険者になっていたかもしれない。この時期だから傭兵になって、戦地に行っていたかもしれない。
「仲の良い友達と一緒にいる為に仕事を選ぶのは、あまり感心しません。もしノアが画家を辞めてもトープは工房で働き続けられますか?」
「それは―――」
ノアがパン屋になるって言ったらパン屋に通うと思う。服飾関係だったら顔料では無く染料に力を入れてしまうかもしれない。ディカーテにいる限りは何かしら接点は持てると思う。他の町に行くと言われたら……手の打ちようがない。
環境ががらりと変わってノアが不安だろうからと言う理由だけで傍に居てやりたかった。思えばなんて上から目線、そして弱みに付け込む酷い考え方。
今ならわかる。多分ノアは俺が傍に居なくても立派な画家になっていた。俺自身が工房の仕事にやりがいを感じているのはせめてもの救いだ。
急に不安になった俺の顔を見てマザーはため息をついた。
「ならば一つだけ、ノアの傍に居られる理由をつけてあげましょう」
マザーに提示されたのは、ノアに関する報告書を送ることだった。情報屋として神殿に雇われるような形になるそうだ。間にマザーを挟むから、傍から見ればマザーに近況報告をするだけのこと。
「ノアは確立されてない術式を受けたことは理解していますね。本来なら神殿で経過観察をする為に監禁されるのですが、この数年間、なんの兆候もないので外で生きることが許されています。ただ、いつ何が起こるのか分からないので見守りは必要です。それをあなたが私に報告してください」
「でも、俺、魔力が無いから感じ取れるかどうかわからない」
「魔力の揺れが一番現れやすいのは心です。ノアが物凄く落ち込んだ時や怒っている時などは注意していてあげて下さい」
近くで物がいきなり壊れたり、複数の人がけがや原因不明の病気になったり。緊急時にはディカーテの神殿に駆け込むなど対処法もしっかり教わった。
ノアに黙っているのは少しだけ辛い。でもマザーから頼まれなくても手紙はノアの話題ばかりになりそうだから、結局のところは変わらないかもしれない。
「ノアが立ち直ったら、きっとユニコーンの角で作った絵の具を欲しがると思うんだ。だから―――」
「お前って本当に健気だなぁ。これだけ尽くしているのに脈なしだったら、俺なんてその辺の石ころ以下だ。ここには画家以外にも職人と事務と食堂や掃除のおばちゃん達までいるのに、多分お前と浅葱姐さんと親方しか覚えてないぞ」
否定できない。名前どころか顔すらも覚えていない可能性がある。だってノアだから。
興味のあるものにしか意識を向けない所は昔から変わっていなくて、自分はどちらに分類されているのかと思うと時々不安になる。
「なぁ、ガガエ。俺とノアの『縁』はどんな風に見えてるんだ?」
「ん、気になる?…ふふふ、教えなーい」
ガガエは笑いながらふよふよと飛び回わり、そのままノアのいるアトリエの方に飛んで行ってしまった。
関所では再会を喜んで抱き着かれたのだから、せめて兄と妹くらいとしての絆はあるはずだ。……と、思いたい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます