アンツィアの大神殿

 国の東西を結ぶ街道がどうして領都アンツィアでは無くディカーテを通っているのか。それはこの地域が歩んできた歴史が関係してくる。

 昔、この辺りは小さな国が乱立していた。戦争の結果だったり、或いは同盟から発展したものだったりといろいろな手段であちこちの国が併合される時期があった。

 アスコーネ領もそのうちの一つで、今の領主一族はもともと王族だったらしい。

 時期や相手を見誤れば大国に囲まれた小国状態になってしまう。苦渋の決断だっただろうが反抗勢力も無く平和的に解決できたようだ。

 ただバスキ村一帯を含む肥沃な土地や、芸術を重んじる様な余裕を持つ豊かな国だったため、中央からはある程度の力を持つ領地として敵視されていた。国家事業として街道を整備する時にも、直接領都ではなく南側のディカーテ沿いを通る様に王命が下されてしまう。

 経済効果が分断されるのは想像しやすい。それまで少し離れた郊外の町として扱われていたディカーテに移り住んだ貴族の中には、ニールグ家のように領主を通り越して王族に目を掛けられている貴族もいる。


 それらのせいで、領主一族には王族に反感を持っている者がいるとの噂が絶えない。私達庶民には真偽を確かめる術はないし、藪蛇にならないよう口を噤んでいるのが実情だ。

 私が転生したのは絵を描く為であって、下剋上をしたり国を動かしたり文化を発展させたりするつもりは無いからそう言った事には一切無関係だとばかり思っていた。


「こんな一瞬で長距離を移動できるなんてすごい」

「ああ、俺も初めての時は驚いた」


 トープが頷きながら言った。


 関所から領都への神殿へ魔法陣を使って移動する。ウォルシーとの境目の関所で働いているエルフもいる為、魔力補充は大した時間もかからず飛べた。他の関所からだとそうもいかないらしい。

 魔法陣のある部屋から移動すると、他の神官とは違う服を纏った老人が待ち構えていた。


「ああ、ベレンス。戻ったのか」

「マロウか、助かったよ。うちのアトリエの期待の新人、ノアールだ。無事に彼女を連れ戻せた。礼を言う」


 おそらくこの人が先生の伝手(・・)なのだろう。お年を召した神官で、どこかで見たことがあるような―――


「ノアール……ああ、棺桶の」


 マロウ神官の言葉で私も一瞬で思い出した。名も無き村で棺桶から助けられた時に、カーマインたちと一緒にいた神官のおじいさんだ。


「お久しぶりです。マロウ神官、その節はお世話になりました」

「今は神殿長だ。その後の状況も聞いてはおるが……まだ生きていたのか。今からでも遅くは無い。神殿に入るのならば歓迎しよう」


 全てを知っているかのような口ぶりと好好爺の顔の奥に見えるものに、少しだけ背筋が冷える。周囲にはアトリエの皆がいるのに、一人で対峙しているような気さえしてきた。


「どこまでご存じなのですか」

「ネリから万が一の時の為に全て報告が上がっていた。お前に掛けられた術もこちらできちんと把握しておる」

「マロウ、引き抜きは勘弁してほしいのだが」


 先生が間に入り窘めるとマロウ神殿長はふんと鼻を鳴らした。仲が良いのか悪いのか。互いに尊敬しあうと言うよりは腐れ縁なのかもしれない。


「今日は客が多い。出口まで案内しよう」


 マロウ神官に付いて歩いていると吹き抜けの巨大な礼拝堂のような空間に出た。壁に沿って二階部分に通路がぐるりとあり、私たちはそこにいた。一階の広間を見下ろすような形になる。広間には、なぜか百人ほどの兵士が整列していた。


「イーリックへ派遣するための援軍だ。全く嘆かわしい」

「神殿が軍事行動に手を貸すのか」


 先生が驚いているところを見ると、この場所に軍隊がいることはかなりおかしいことらしい。


「同盟国の民間人の保護を名目に魔法陣の使用をヴァレルノ国王から嘆願された。王都では無くアスコーネから出立させるあたり、思惑が透けて見えるがな。ノアール、あそこにいるカーマインは覚えているか?」


 遠目に見ても目立つ赤い髪のその人は、金属のシンプルなプレートメイルでは無く騎士が纏うような装飾の施された鎧姿だった。兵士の中にいるのではなく、集団の前に立っている。流石にこの距離だと顔がはっきりとは見えないけれど、位置関係から偉い立場にいるのはよく分かる。


「モンスターや盗賊の討伐だけでなく、政治的な立ち回りにも力を入れていてな。戦果を挙げれば次期将軍とされるほどまで上り詰めおった」

「あの兄ちゃんあんなに偉くなったんだな。フリントたちにも報告しないと」


 いつの間にかトープがそばに来て私と同じように下を覗き込んでいる。平民だと本当に細かい情報まで伝わってこないのが実感できた。


 ―――貴族の養女に成れるように口をきいてあげようか。

 ―――尊敬する人の傍に行きたいだけだ

 ―――王様になること。……嘘だよ。ちょーっと偉くなりたいなーとは考えているけど。

 ―――約束したんだ、友達と。

 

 この世界で生きた年数に対して、会っていた時間はわずか四日ほど。なのにこれほどはっきりと覚えていられるなんて自分でも不思議だ。

 カーマインは兵士に何やら告げると、兵士たちは移動し始めた。年齢にしておそらく二十代半ばと言う若さでそこまで上り詰めるのに、どれだけ努力したのか私には計り知れない。


 ……目的を果たすために頑張ったんだね。私も負けていられない。有名な画家になっていつかカーマインの肖像画を頼まれるように、頑張ろう。


 私が心の中でひそやかな決意を固めていると、頃合いを見計らってカーマインに一人の女性が近寄るのが見えた。


「あれは…ヴェスタ王女。わざわざ婚約者殿をここまで見送りに来たのか」

「噂は聞いていましたがついに決定したんですね。王からの信頼まで得た者ですからこれから飛躍的に伸びるでしょう」


 神殿長に続くメイズさんの言葉がやけに遠くに聞こえる。


 ヴェスタ王女は遠目に見てもとても可憐で、絵の具の匂いのする私がどうあがいても太刀打ちできない魅力的な少女だ。


 ……太刀打ちって、何。私、王女様に対して何を張り合おうとしているの。


 再会を決意したばかりの私の胸にチクリと痛みがもたらされる。命の恩人を懐かしむ心は、どうやら自分の気づかないところで本気の恋心に発展していたらしく、今更になってやっと気付くことが出来た。


 出会った時点でカーマインは既に十代半ばだから、婚約するのはむしろ遅すぎるくらいだ。それに元々住む世界が違う。あちらは貴族で私は孤児、しかも孤児院に引き取られる前の養い親は犯罪者。

 そもそも貴族の養女への道は自分から断ったはずだ。面倒臭い選択を避け、大した努力もしないで好かれようなんて都合の良すぎる勝手な考えに、自分で嫌になった。


「本当に立派になったんですね。自警団の手伝いをなさっていた頃が懐かしいです」


 顔にも言葉にも隠したい感情が出ないように私は務めた。恋愛話を騒ぎ立てる浅葱さんや、トープには絶対に知られたくない。


「あ奴らは出立用の魔法陣へ向かったがすぐに第二陣が来る。神殿から出るなら今のうちじゃ。馬車も早いのを手配してある」

「何から何まですまんの」

「いやいや、神殿長就任祝いにもらった絵は素晴らしいものだった。他に必要なものがあるなら何でも言ってほしい」


 長い付き合いで友人として接している為か、時々思い出したように年より言葉になったり抜けたりする先生たち。私はそれを聞き流しながら、ぼうっとした頭で皆に付いて歩いた。


 マザーから聞いていた七つの塔のある大神殿に居ながら、その外観をじっくり眺めたり、絵を描くこともせずに。


 この日、私は失恋とも言えない失恋をした。

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