大森林5

 先生はそのまま角を高くまで持ち上げた。すごい力だ。それにつられてユニコーンも立ち上がらざるを得なくなり、座っている私の足の上から離れた。よだれが糸を引いて気持ち悪い。


「仕方のない習性とは言え、やりすぎではないのか、のう?」


 ユニコーンが怯えている。足は後ずさりしようとしているが、角が捕まれている為離れられないらしい。漸くセクハラ……じゃない、じゃれつき?から解放された私はほっとして切り株から立ち上がる。

 見上げた先生の目つきはとても鋭くて、ユニコーンには恐ろしく見えるかもしれないけれど私にとっては頼もしかった。


「つ、角は止めてくれ。もうじき繁殖期だ。だから情緒不安定なんだよ」


 ユニコーンから、軟弱そうな男の声がした。口元ははくはくと動かしているけれど聞こえている音に合っていない。どちらかと言うと、頭に直接話しかけているような感じだ。


「やっぱりしゃべったっ!ガガエも聞こえた?」

「ん、今度は確かに」


 良かった、幻聴じゃなかった。


「繁殖期は確か春のはずじゃが。その立派な角も繁殖期の後に落ちる、だったかの」

「うぇ、なんでじーさんそんなことまで知ってんだ」

「知り合いのユニコーンから教えてもらったからに決まっておる。そやつはお前と違って女性に対しても紳士的だったがの」


 先生も聞こえているらしい。私にすり寄ったユニコーンはどうやら残念な性格だったようで、先生が以前会った方が普通みたい。私もそちらの方が良かった。

 口調が軽いこともあって、ユニコーンに対しての畏怖とか憧憬がガラガラと崩れ落ちていく。先生の知識を聞いていなければこれから偏見の目で見てしまいそうだ。


「ユニコーンが話せるのは常識なんですか?だったら私を囮にしなくても描かせてねって頼めば良かったのに」

「嬢ちゃん、分かってねェな。嬢ちゃんがいなかったら俺らはそっこー逃げる。じーさん、いい加減開放してくれ」


 先生は余程腹に据えかねたのかまだ離さない。そのうちぽきっと折ってしまいそうだ。先生の後ろからモーブさんが止めにかかった。


「済まない、他の個体とは大分性格が違うようだがこう見えても一応神聖な生き物なんだ。それ以上の手荒な事は止めてくれないか」

「ノアール、どうするかの?」

「私は、絵を描かせてくれればそれでいいです。あ、でも角をとっても支障が無いのなら慰謝料として後で欲しいかも」


 皆も描いているのに対価が絵のモデルだけでは割に合わない気がする。顔料になりそうだし、バフさん達工房の人に良いお土産になるかもしれない。


「絵のモデルか。オッケー、いい感じに描いてくれよ」


 角を離してもユニコーンは逃げなかった。先生に助けてくれたお礼を言った後、私は皆と同じような位置で絵を描く準備を始める。よだれで汚れた白い服も脱いだ。

 荷物を持ってくれていたのはトープだ。


「ノア、助けられなくて済まなかった」

「助けようとしてくれただけで十分だよ。浅葱さんのハグは力強いからね、無理もない。他の人達は私が嫌がるのを見てるだけで何もしてくれなかったもの。……絵を描くために目の前の人を見捨てる様な画家にはなりたくないなぁ」


 スマルトさん、メイズさん、紫苑さんが一斉に目を反らした。


 何日も掛けられるならこの場で油彩も良いけれど、やっぱり水彩を選んでしまう。冬がそこまで来ていると言うのに枯れていたり色づいている木は無い。足元に生えている草も青々としていてまるで夏の森を見ているようなのに、暑くないのがとても不思議だ。


「モーブさん、この辺りの木は紅葉したり葉を落としたりしないんですか」

「ああ、だからユニコーンの生息地になっている。緑の女神の加護を受けているとの言い伝えだが実際は落葉樹が生えていないだけだと思う。でも、大森林の中でも特殊な一帯で少し北へ行けば豪雪地帯なのに、この辺りはくるぶしまでしか積もらないんだ」

「そうなんですか……あ、モーブさんも後で描かせて下さいね」

「私を、か?それは構わないが」


 日の光が差し込んでいる為、緑もいろいろな表情が出る。その中に一頭だけで立たずむ、角を持った馬。

 黙って立っていると本当に美しい馬だ。緑色の世界に浮き上がるような真っ白な、光を浴びて輝いているような馬。なんだけど。


「なんか、うまく描けないや」


 神秘的な生物の裏の顔を知ってしまったので、どうも描ききれない。特に、顔。澄ました顔をしていても本当は変態だぞと絵で表したくなる。背景は何度だって描きたくなるのに主役であるユニコーンがこれでは―――


「もう少し光の当たらない所に行ってみてくれないか。向きはそちらで、そうだ」


 私が悶々としている間にも、ある程度の時間で次から次へとユニコーンの配置を変えていく。

 光の加減で、印象ががかなり変わる。暗い場所だと肌は青白く、より一層幽玄な獣に見えた。


 もったいない、もったいないよ。変態拒否フィルターのせいでユニコーンがまともに描けないなんて。私は無心になって描いた。変態だろうが何だろうが相手はユニコーン、私が描きたいと思っていた題材だ。

 普通は対象の神髄まで描くべきなんだろうけれど今回ばかりは封印する。私はそう決めてがむしゃらに描いた。


 木漏れ日の明るさも弱まり、肌寒さを感じ始めた頃。


「そろそろ帰らないと流石に夜の森を歩くのは危険だ」


 モーブさんの一声で皆は筆を止めて、帰る支度を始めた。

 約束通り角をもらおうとすると、ユニコーンは最後の抵抗を試みる。


「やっぱり、これからメスにアピールしなきゃならないのに今切られたら……!」

「自業自得じゃの、ほいっ」


 どこに隠し持っていたのか、先生は短剣を取り出すといともたやすくユニコーンの角をすっぱりと切ってしまった。ショックを受けてしばらく口をぱかっと開けていたユニコーンだが、やがてふっと気だるげにため息をついた。


「いい、いいんだ。ノアールちゃんが欲しがってくれたんだ。大切に傍に置いてすりすりしてくれると思えば、今年寂しいのは何とか乗り越えられる」


 名乗ってもいないのにちゃん付けで呼ばれた。不快さを感じる。仕返しとして角の行く末を教えてあげよう。


「工房の親方のお土産にするつもりなんだけどね。バフさん、すりすりするほど喜んでくれるかな」

「ちなみにがたいの良いひげ面のおっさんだ。きっと石臼ですりすりしてくれるだろうな」


 トープも一緒にとどめを刺して、ユニコーンは蒼白になった。いや、もともと白いんだけど。


「あ、あんまりだぁぁぁ。うわぁぁぁぁん」


 泣きながらユニコーンはそのまま森の奥へと走り去ってしまった。最後まで神聖さの欠片も無い馬だった。一同でその様子を見送り、誰とも無しに踵を返してエルフの村へと向かう。

 体力よりも精神面で物凄い疲労感だ。


「関所で密猟を疑われないようにエルフの許可証を書いておこう」

「あ、お願いします」

「出立は明日で良いんだよな、スマルト」

「ああ、今晩も泊めてくれ」


 帰りは何故かモンスターが出なかった。そう言えばユニコーン描いている時も全く見かけなかった。角に魔よけの効果があるのなら、口惜しいけれどあの変態ユニコーンでも神聖な生き物だと認めざるを得ない。

 生え変わりで落ちた角はエルフの収入源になるらしい。薬や顔料などいろいろな用途に使われる為、大森林以外のエルフの村や他種族との交易には欠かせない。


 密猟者はほとんどが人間で、生え代わりの事など知らないから殺して採ってしまうそうだ。そのため、エルフが管理する森の一帯以外で生息する馬は稀になった。エルフも積極的な保護活動をしているわけでは無く自然に任せている為、外からああ言った特殊な個体が入ってくることもある。彼は最近やってきた個体だろうとモーブさんは歩きながら教えてくれた。


 少し、可哀想な事をしてしまったかな。

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