大森林4
魔力が無いと言うだけで祈りが神様へ届かないトープ達。食前の感謝も届かないなんて祈り損だ。
前世では神様は居るかいないか分からないような存在で、一方的に祈って事態が悪化しても別になんてことはなかったけれど。
魔法や祈りなど不思議な現象を通して存在が見え隠れするこの世界では、とてつもなく差別されているように思う。
魔力とは貴族の血が…云々で貴族が差別するならともかく、神様が差別するなんて酷すぎる。そうなると人工の精霊石で魔力無しでもいろいろできるのは、便利と言うだけでなく誰もが平等に人間扱いされている気がして、とてもいい方向に技術が進んでいるような気がする。
なんて、この世界について考えたりはするものの、私がどうにか出来る事はない。どんどん強くなって神に弓引くつもりも、神殿で学んで真理を追求する心算も無い。
やりたいのはただ絵を描くだけだ。結局そこに落ち着いて何だかすっきりしたところで、少し開けた場所に着いた。日の光が他よりも多く差し込んで、なんだか神々しい。
「あれがユニコーンだ」
ユニコーンから見えないように木の影に隠れながらモーブさんが示す先には、確かに長い角の生えた馬がいた。一メートル弱程の長い角が額に付いている。暗い森の中でぼんやり燐光を放つように白くて綺麗で、とても神秘的な生き物、の…筈なんだけど……
「ぶひひひーん、ぐるぉーーぅんぶろっぶろっ」
白目が見えるまでかっと見開かれた目。歯茎がむき出しになるまでめくれ上がった口。逆立っているような鬣。足は地面を何度も蹴りつけてコケなどの小さな植物が巻き散らかされている。
まだそれほど寒くは無いのに息が白く吐き出されて、遠目に見ても物凄く興奮しているのがよく分かった。
「荒ぶってるな…」
「なんか、今まで会ってきたどのモンスターより怖えぇ」
紫苑さんやトープもドン引きなほど、ユニコーンは気性が激しかった。何頭かいるならば縄張り争いかと考えるけれど、見える範囲には一頭しかいない。長い角を振り回して、一体何と戦っているのか。
スマルトさんが荷物をごそごそ漁り、真っ白でゆったりとしたローブを突然私の頭からかぶせる。
「流石にその服は絵にならねェからな。ちっとはましだろ」
「え、私込みの絵なんですか。聞いてませんよ」
「ユニコーンを大人しくさせる為には傍にお前がいないとダメだから、仕方ねェだろ」
言われるがままにもぞもぞと袖を通す。ユニコーンはまだぶるんぶるんと激しく動いているのにも拘らず、スマルトさんは私の背中をそっと押した。
「よし、ノアール。行け」
「嫌です。無理ですよ、あんなのに近づいたら蹴られて死んじゃいますって」
「大丈夫、お前はマタタビだ。見つけた途端に奴らは大人しくなる」
「本当ですか?」
「ああ、手なずけたらあそこの切り株に座ってくれ」
「どうして浅葱さんではいけないんですか?」
空気が凍りつき、皆の動きがぴたりと止まる。怖くて思わず口にしてしまったが、寧ろアトリエのみんな―――特に紫苑さんが怖かった。どうやら聞いてはいけない事を聞いてしまったようだ。
「年齢的に乙女って齢じゃないからねぇ」
浅葱さんが遠い目をしている。
謝ろうと口を開きかけた時、メイズさんがにっこり笑いながら言った。それはもう、冷気漂う極上の麗しい微笑でした。
「浅葱はオーガであれだけ怖がったんだ。君なら平気だろ?」
「そそそそそうですよね、絵を描く為だもの、頑張って行ってきます。お願いガガエ、付いて来て」
「ん、了解……怖がってるノア、ちょっとかわいい。怖さの基準が変だけど」
ゆっくりゆっくりと距離を縮めていく。後ろで紫苑さんが「馬なら|馬酔木(あせび)じゃないのか」とスマルトさんに言っているのが聞こえてきた。他人事だと思って呑気なものだ。
ふっとユニコーンが近づく私に気付きこちらを向いた。なんか首に青筋が浮き出て見えるような気がする。せわしく動かしていた足を止め、ふしゅーふしゅーと荒ぶっていた鼻息が段々と穏やかになっていく。
鼻筋に手を近づけて撫でると気持ちよさそうに目を細めた。ラクダやキリンのようにまつ毛がとても長い。競走馬のような綺麗な肉付きだけど少し小柄かな?
よく見れば可愛いと言えなくもないけれど―――いや、可愛いくない。ううん、むしろ気持ち悪い。なんていうか、酔っぱらったおじさんみたいな感じがする。手を放すとマタタビを嗅いだ猫みたいに私の腕や背中に鼻先をこすりつけてきた。その度に生温かい息がかかる。
内心ひいぃーと悲鳴を上げながら逃げ腰になりつつスマルトさんの言った通り切り株に座ると、ユニコーンは遠慮もなく私の膝の上に顎をのせ、自分の膝を折り曲げて座った。
皆が一斉に近づいて、三メートルくらいの距離から絵を描き始めている。割と間近にスマルトさん達がいてもユニコーンは気にもならないようだ。女の子一人居ればこんなに無防備になってしまうので、捕獲するのは物凄く簡単だそうだ。
好奇心に駆られて一メートルほどの長さのある角も触ってみた。嫌がるかと思ったけれど大人しいままだ。感触は象牙のように滑らかで、幽かに魔力を感じられる。
「ユニコーンと戯れる乙女、か。ノアール、そのまま馬の首筋の辺りに左手を当ててみて。右手は切り株に置いて、ちょっと首を傾げて」
「こんな感じですか」
メイズさんの指示に従ってポーズを取るが、手持無沙汰になってそのうちあることに気付いた。
―――あれ……?皆は絵をざかざか描いているけれど、私は?いつ描けば良いの?
「あの、私も絵を描きたいんですけど」
「ちょい待ち、後で立った姿を描きたいからその時な」
スマルトさんはそう言ったけれど、これだけ近くですり寄られてたら描ける気はしない。でもここまで来て諦めるわけには行かない。犬みたいに待てをするか、或いは魔法陣を駆使して動きを止めて絵を描くか。
考え事をしていると、違和感を感じた。
「……ん?」
足に湿り気を感じて下を見ると、膝のあたりがよだれまみれになっていた。思わず首筋に当てていた手を放せば、馬はこてんと首を倒し、そのまま太ももの上ですーりすーりと鼻先をこすり始めた。
ひいいいいぃぃぃぃぃ~
気持ち悪さが頂点に達し、ぞわぞわと背筋を何かが駆け上がる。服を着ているのでじかに触れてないとは言え、生温かさも余計に気色悪さを増している。
「はぁぁーええにおいだなぁぁ乙女のかおりぃぃぃはぁぁぁぁ」
馬から息に混じって変な声がかすかに聞こえた、ような気がする。
「が、ガガエ、なんか聞こえた?」
「んーん、何にも。…大丈夫?」
「大丈夫じゃない」
やばい、幻聴まで聞こえてきた。だめだ、もうぎぶあっぷ。
「トープ……助けて……なんかこの馬、変態っぽい」
涙声で助けを求めたら、トープは稲妻にでも打たれたかのようにとても衝撃を受けた顔をしていた。その顔がとてもやる気に満ちたものに変わり、すくっと剣を持って立ちあがる。
絵を描いていないモーブさんがそれに気づいて手で制した。
「おい、待て。ユニコーンを傷つけることは許さないぞ」
「そうだそうだ、俺ァまだ描き切れてねェぞ」
「浅葱、とめろ」
絵を描きながら紫苑さんが短く言うと、浅葱さんはトープに後ろから抱きついた。
「はぁーい。トープ君、お仕事の邪魔したらダメだぞ~。じっとしてないと秘密もいろいろ暴露しちゃうよ?」
「放せ、ノアが初めて俺に助けを求めてるんだ!初めてなんだぞっっ!ここで助けなきゃ男がすたる!ノアを助けて俺は幸せになるんだ」
なんかトープの変なスイッチをいれてしまったらしい。でも浅葱さんの強すぎるハグを邪険に振り払うことも出来ず一生懸命にもがいているが、こちらに来れそうもない。
ガガエが鬣を引っ張ったり体当たりしているけれど、ユニコーンは相変わらず私の太ももの上ですりすりしている。紫苑さんやメイズさん、スマルトさんは絵を描き続けていて、トープは浅葱さんに抱き着かれていてる。
誰も助けてくれないんだ。チカンにあった時の心境ってきっとこんな感じなんだ。だったら自分で何とかするしかないか、と思ったその時。
「止めんか、けだもの」
先生が角を鷲掴みにして、私の膝からユニコーンの首を持ち上げていた。
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