大森林3
ここに住むエルフたちは閉鎖的なのか、明け方ユニコーンの生息地へ出発する時もあちこちから気配を感じるだけで、モーブさん以外誰も見かけなかった。まだ早い時間だから活動し始める前なのかもしれない。美形と言われるエルフをもっと見たかったな。
日本の森に比べると木は大きいし昼間でも薄暗いし違いはかなりあるけれど、皆でぞろぞろと連れ立って森の中を歩いていると、まるで遠足のような気分になる。道らしい道は無くても歩ける場所は広く、何となく二列になって歩いている。
モンスター避けの魔法陣が刻まれている馬車はエルフの村へ置いてきた。ユニコーンに会えないと困るからだ。皆、最小限の画材と武器をそれぞれ持って歩いている。
案内役ははエルフのモーブさん。エルフらしく弓を装備している。隣を歩くスマルトさんは大きな剣でその後ろのメイズさんは貴族らしく細身のレイピア。横には戦えない浅葱さんで後ろを歩くトープも安っぽい剣を持っている。トープの隣に私で最後尾は先生と紫苑さん。紫苑さんは素手で戦うらしい。
私はいくつか未完成の魔法陣を持ち歩く。魔法のエキスパートになると発動条件を図形に組み込んで完成したものを持ち歩き、魔力を流すだけで使えるようになるらしい。そこまで教えてもらうには神殿に入るのが前提だ。
知らないうちに別の効果を呼び起こしてしまう図形になったりするかもしれないから、自力でたどり着こうにも周りにどんな影響を及ぼすのか分からないのは怖すぎる。
私だってマザーから全て教わったわけではない。エボニーの家で魔法陣がおかしいと思ったのも部分部分だけだ。絵を描くのが一番の目的なので、魔法は身を守る程度で良いと思っている。
エルフの村から歩いてどれくらい経ったのかは分からない。|それ(・・)に気づいたのは、メイズさんが真横を通り過ぎる時だった。巨木の影になって遠くからは見えなかったしあまりに動かなさすぎたので、先頭の二人は生き物だとも思わなかったんだろう。
人の背丈を優に超える岩にしか見えないそれは、僅かながらに呼吸していた。
「オーガだっ」
メイズさんが声を上げて武器を構えるが、オーガの方はやっと目の前に人間がいるのに気づいたらしく目をまんまるくして驚いていた。ちょっとだけ可愛いと思ってしまったけれど、その顔が段々凶悪なものに変わっていく。
「描いても良いですかっ」
「あほかっノア逃げろっ!」
私は魔法陣を描いても良いかと聞いたのにトープは絵を描くのと勘違いしたらしい。剣を鞘から出して私を押しのけようとした。確かにオーガさんを描きたいけれども、動きを止める方が先決だ。
「マザー直伝、痴漢撃退魔法陣(スタンガン)を食らえっっ!」
まだまだ動きが散漫なオーガの隙をついて、魔法陣を描いた紙をぺたりと脇腹の辺りに押し当てた。アトリエの皆が知っているなら遠慮なく使えると吹っ切れて、まだ誰にも使った事のない攻撃魔法を試す。
森の中で炎は厳禁。周りに影響を及ぼさず、手加減すればモンスターを殺傷する危険も少ない雷系の魔法はうってつけだった。
日本の妖怪で言うと鬼に近い感じのオーガは、がくりと膝をついたかと思うとズドーンと大きな音を立てて前のめりに倒れてしまった。ぴくぴくと痙攣しているので多分死んではいないだろう。ちょっと動きを止める程度のつもりだった私は、意外な展開に驚いている。間違っても痴漢相手に使うレベルではない。
「あれ、思ったより効果が強すぎた―――はっ、大変!これだと後ろしか描けないよ。もう一匹くらい出てこないかな」
「ノアちゃん……怖くないの?」
浅葱さんはメイズさんの背後でカタカタ震えていた。よく見れば目に涙を貯めていて、割と元気なイメージのある浅葱さんのか弱い姿にちょっときゅんとした。メイズさんが宥めようとして手を伸ばしかけ、紫苑さんを見て降ろす。
女性として浅葱さんの反応が普通なんだろうけれど、私が描きたいのは彼らのような人外の者だ。いちいち怖がってなんかいられない。
「怖くないです。私にとっては攫ったスマルトさんの方が有害なんで」
「そりゃァ、アレか。俺がオーガに似ているとでも言いたいのか」
「ああっ!成る程。このオーガ、何かに似てると思ったらスマルトに似てたのか」
ガガエがポンッと手を打って賛同してくれた。誰かがプッと吹き出し自然と皆に笑いが広まっていく。スマルトさんは納得いかないようだったが浅葱さんも恐怖の感情が薄れたらしく、笑っていた。
「さぁ、多分気絶してるだけなんで先を急ぎましょう。モーブさん案内お願いします」
「心得た」
それから何度かモンスターに襲われたが、私が思っているよりもアトリエの皆はとても強かった。先生が描いた結界を作り出す魔法陣の中に先生と私と浅葱さんが避難し、他が撃退するパターンになっていく。浅葱さんも徐々に慣れていって、皆を応援していた。
私も戦いに参加しようとしたけれど、オーガの時とは違ってかなり鈍くさいことを自覚することになってしまった。やっぱり私は冒険者よりも絵描きに向いている。各地を旅する時は誰かを雇うことにしよう。
撃退と言っても殺戮では無く、手加減して相手が逃げるまで戦うと言った感じだ。少しばかり時間が掛かるお陰で私は安全地帯で思う存分絵が描けた。トープもメイズさんやスマルトさんから手ほどきを受けて強くなったみたいだ。
―――けれど顔料が取れる部位を持つモンスターはしっかり殺していた。胆石のように内臓で生成される石で、生きたまま取り出すのは難しいらしい。
「ノア、嫌なら見なくていいんだぞ」
処理をしているのはスマルトさんとトープで、メイズさんと紫苑さんは武器を持ったまま辺りを警戒していた。血の匂いに誘われてモンスターが来るかもしれないからだ。
モーブさんは意外にも興味深そうに見ていて、浅葱さんは目を反らしてモーブさんの後ろに隠れている。
気遣って私に声を掛けたのはトープだ。けれど私は首を振ってしっかりと見守った。
食べる為なら仕方がないとも言えるけれど、このモンスターは絵を描く為だけに殺される。けれど血に濡れていく二人の手は汚らわしいどころか尊いと思えた。
そうでも思わないと、絵が描けなくなりそうだったから。
絵を描くことがとてもとても罪深いことのように思えてしまいそうだから。
先生を見るとやっぱり物言いたげな顔をして作業をじっと見ていた。そのうち私の視線に気づいて静かに微笑んだ。
「我々は素晴らしい絵を描かなくてはならんのう。そうは思わんか?」
「はい、そうですね。私も頑張らないと」
彼らの命を無駄にしない為にも、と簡単に言ってしまうのは人間の勝手な言い分かも知れない。だけど中途半端な絵は描けないなと思った。
体の他の部分は利用価値が無く他のモンスターの食事として、その場に置いておくらしい。スマルトさんに教わりながらトープが闇の神への祈りを唱えるが、ゴブリンのガガエの時のような現象は起きなかった。
魔力の有無の違いだろうか。それって、魔力を持たない人がどれだけ祈っても神様たちには届かないと言うこと……?
「先生は祈りの言葉で何か不思議な事を起こしたことはありますか?」
「魔力を持つ者は生まれた日の属性の神への祈りで反応があると神殿関係者から聞いた事がある。持たぬ者は」
小声で聞けば私と同じようにぽそぽそと返事をし、最後に首を振った。紫苑さんや浅葱さん、メイズさんやトープがどれだけ良い行いをしても神様へ祈りは届かない。祈りは人間が使う魔法とも違うし、気晴らし程度のほんの些細なものだけど。
少しだけ、この世界の残酷さを知ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます