合流

「悪かったなァ、ノアール。関所を通る方法として一番良いかと思ったんだが……」


 スマルトさんが心底申し訳なさそうに謝ってきた。これ、絶対勘違いしている。私がトープを好きだと思っているよ。


「わ、ワタ、私は何もトープが好きで抱き着いたわけでは無いですよっ。安心したので思わずと言うか、トープはお兄ちゃんですから。そ、そうだ。こんな所にいるはずがないから触って確かめようとしただけなんです。幻覚を見ているかもしれないって」


 必死になって言い訳すればするほど、皆の顔は生温かい笑みに変わっていく。自分でも墓穴を掘っているのは分かるんだけど、口は止まらない。


「妹の身から言わせてもらうと、その齢で兄に抱き着くなんて絶対にないわ~」

「そう言えばカナリーも子供の頃にはよく抱き着いていたけど、今は無いな」


 浅葱さんとメイズさんがそう言ったので逃げ道は無くなってしまった。パニックになりながらも何とか誤魔化す方法を探す。恥ずかしさでゆだっている頭をフル回転させる。……そうだ!


「浅葱さん!」

「うん、なーに?」


 私は浅葱さんにぎゅーと抱き着いた。いや、誰でも良かったんだけれど流石に男の人にやたらと抱き着くのはちょっと恥ずかしい。同性である浅葱さんなら違和感ないよね。


「いきなり知らない人に攫われて怖かったんですよー。抱き着いたのは一番最初に来たのがトープだっただけです。浅葱さんだったら絶対に何とかしてくれると信じてました!」

「目撃者は私だけだったもんねぇ。よしよし」


 思惑通り、浅葱さんは頭を撫でながら受け入れてくれた。嘘は言っていない。面倒見のいい浅葱さんなら、何かしらコンタクトは取ってくれると思っていたのだ。直接来るのは予想外だったけれど。


 ちょっと茶番くさいやり取りの後に体を離そうとしたけれど、浅葱さんはなかなか離れてくれなかった。それどころかさらに拘束がぐぐぐと強くなる。


「どーよ、トープ君。私の方が長く抱き着かれてるもんね」

「いや、そこでドヤ顔されても……ノアが窒息しますよ」


 トープの言うとおり、浅葱さんのハグは容赦なかった。頭をがっちりホールドされて口と鼻が塞がっている。酸欠で意識が遠のきそうになる寸前でようやく解放された。


「からかうのはそこまで。ノアール、スマルトが済まなかったの。わしの監督不行き届きじゃ」


 ベレンス先生の声は優しいけれど、少しだけ身が引き締まる不思議な力がある。それまでからかわれて火照っていた私も、少しだけ落ち着きを取り戻した。


「いえ、先生に謝られるようなことではありません。少し驚いたけれど直ぐにアトリエ関係者だと分かりましたから」

「こいつは絵の事になると突っ走る癖があっての。何度も言って聞かせとるんじゃが…」


 私の生い立ちについて、アトリエ内で詳しく知っているのは先生だけだ。マザーが念のために話したらしい。他の皆は孤児院育ちである程度だけ。だから、たとえさらった犯人がスマルトさんと分かっていても必要以上に心配してしまったと思う。


「攫った挙句に嫁にしようとするなんて山賊みたいな真似をするとはのう」


 山賊、と言われてスマルトさんはたじろいだ。宿屋の一件がまだ効いているらしく、私とガガエは顔を見合わせて笑った。


「心配して下さって有難うございます。それより本当にどうやってここまで来たんですか」

「あァ、俺もそれが聞きたかった」

「先生の伝手を使ったのよ。緊急時に関所まで跳べる転移魔法陣を使ってここまで来たの」


 マザーから聞いた事のある魔法陣だ。けれど個人で使うには特殊かつ複雑なもので、ヴァレルノ国内で常設されているのは関所と各領都や王都にある大神殿のみ。

 当然、只の一般人には扱えず高位の神官と、神官から許可の下りた者だけだ。


「領都の大神殿からですか。よく使用の許可が下りましたね」

「あそこの神殿長とは古くから付き合いがあっての。愛弟子の危機だと言ったら快く貸してくれおった」


 只の画家に扱える代物ではない事は知っている。メイズさんのニールグ家のように王族と繋がりを持つような貴族でも扱えないらしい。私の知らない肩書を先生は持っているみたい。魔力だって相当必要だったに違いない。


 あまり首を突っ込みたくないので、さりげなく別の疑問をぶつけてみた。


「有り難いですけど、どうしてみんなで来たんですか?」


 魔法陣を使うだけなら先生だけで済むし、スマルトさんを取り押さえるなら紫苑さん辺りが来ればいいだけの話だ。

 メイズさんは…流石にお説教を再開させるためだけに来たとは思えないし、トープや浅葱さんもここに居る意味が分からない。多分、一度に飛ぶ人数と使う魔力は比例するはずだ。 


 先生はにこにこしながら言った。


「滅多にない機会だし、皆でユニコーンを描きに行こうかと思ってのう。」

「画材も持って来たし、食料も持ってきたぞ」


 よく見れば皆、手に何かしら荷物を持っていた。先生とメイズさんは自分の画材セットだけ。紫苑さんはそれに加えて大きな荷物と手提げのカバンを持っていた。そのまま登山が出来そうな、大きなリュックだ。


「スマルトさんと二人旅よりは心強いですけれど……浅葱さんとトープは何故来たの?」

「酷い、ノアちゃん。熱烈なハグまでしたのにもう少し言い方ってものが」

「俺は顔料になりそうな物があったら採って来いって親方に言われた。浅葱さんは財務担当と関所を通る為の許可証を持ってきたんだ」


 浅葱さんは得意げな顔で紫苑さんに持たせていたカバンから封書を取り出した。中には手続きに必要な書類などがまとめてあるらしい。浅葱さんが持っているのは小さなハンドバッグ一つだけ。


「手続きはもう少し後ね。スマルト、馬車の中を見せて。足りないものを買って来るわ」

「俺の馬車に皆乗るのか」

「勿論だ。重量軽減の魔法陣もついておるはずだからの。異論は認めん」


 珍しく厳しく言い放つ先生に、スマルトさんはがっくりと項垂れた。食料や必要な生活用品の有無をチェックしながら、浅葱さんとスマルトさんがやり取りをしている。


「エルフの村を拠点にするつもりでしょ?ここからどのくらいかかる?」

「うまくいけば一日、うまくいかなければ三日だ。奴らの機嫌で道が変わる。そこから歩きになるな」


 あーだこーだとやり取りをしながら補充などの準備を進めていく浅葱さんとスマルトさん。紫苑さんとトープも馬車の中を整頓し、六人が乗れる場所を作るためについて行った。


 残るは私とメイズさんと先生、このメンバーで顔を合わせるとなればそれはもう、話題は一つしかないわけで―――


「ノアール、サインを書かなかったとメイズから聞いた」


 普段の好好爺然とした先生から背筋の凍るような低い声が発せられた。メイズさんの怒り方も相当怖いと思ったけれど、先生は怖いを通り越して恐ろしいと言う感情が湧いた。温厚な人を怒らせるとかなり怖くなるのを、身をもって知った瞬間だった。


「なぜ書かなかった」

「ひぐっ」


 メイズさんに怒られた時には流れた涙が、時を止められたみたいに目の淵で止まってる。足が震えて崩れ落ちそうだ。それでもなんとか言い訳をと、頑張って口を開いた。


「いっ今まで描いた絵にサインをする習慣と言うものがなくて、私はっ、きちんと絵を学んだわけでは無かったの…で…」

「誰かに言われて意図的にサインを書かなかったわけではない、と?」


 聞かれてコクコクと頷くと、先生の威圧感みたいなものが緩んだ。緊張が抜けて崩れ落ちそうだったけれど、何とか踏ん張る。いつのまにか後ろにちゃっかり隠れていたらしいガガエが視界に入った。


「脅かしてすまんのう。この時期だから金を積まれて自分の絵を横流しする可能性を考えておったんじゃ。以前にやらかした奴がおってのう」

「私はスマルトさんに聞くまでコンクールの話も全く知りませんでしたよ」


 先生とメイズさんは顔を見合わせている。怒っている気配はもうすっかり霧散してしまったが、今度は戸惑いが見え隠れしていた。

 今は冬の始めでコンクールがあるのは冬の終わりだと言っていたから、どんなに短くとも二か月はあると思っていた。学生時代も大体そのくらいで描き上げて提出していたから、大丈夫だと思っていたけれど。

 ……違うのだろうか。だんだん不安になってきた。


「浅葱から聞いとらんかったのか」

「初めてだからそろそろ準備し始めた方がいいよ。といってもここでは無理か」


 メイズさんと先生が簡単にコンクールについて教えてくれた。


 国内で毎年行われているコンクールでアトリエ・ベレンスの中では先生以外全員強制参加。締め切りまでは既に三か月を切っている。キャンバスの大きさは一律で油彩のみ。

 風景画、人物画、静物画。神話や歴史を描いた力作まで、テーマが指定されていないのでいろいろな絵が集まるらしい。


 初心者から大家まで参加できるコンクールで、ちなみに各アトリエのトップは審査員を務めるらしい。私は先生を見た。


「いくら教え子が可愛くとも審査に手を抜くことはせんよ」

「言っておくけれど、今後一年間の絵の値段もこれで左右される部分が大きいからね」

「え」


 となると、期間は短いかもしれない。私の血の気は思い切り引いた。 

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