関所

 コリピサは地図上で町扱いされているがほとんど村と言って良い規模だった。日が暮れて少し経ったくらいの時間なのに、出かけようとしても店はほとんど閉まっており宿屋の食堂で夕食を取る。

 旅行の醍醐味の一つであるその地域の買い物が出来ないのは、ちょっとショックだ。

 朝食時の会話でも、冬に差し掛かるこの時期に市場は立たないと言われてしまったので、スマルトさんは食料を宿でお金を払って分けてもらった。かなりの出費だったらしい。


「早すぎるな」

「ディカーテは一年中出てましたからね」


 緯度がこの世界にあるのか知らないけれど、同じ国の東西でこうも気候が変わるのは不思議だ。


「ああ、北の方にある山脈が王都を越えたあたりで切れているからな。この辺りは北風をもろに受けるらしい。ただ、それにしても早い」


 旅慣れているスマルトさんは以前にも同じくらいの時期にここを訪れていたが、その時はまだ農作物が出回っていたらしい。

 首を傾げながらも支度を終えた私たちは、馬車に乗って関所を目指した。



 この世界の国境を区切るものは、国によって違うらしい。

 魔法で仕切られている国。万里の長城みたいな石造りの壁で囲っている国。そして川や山脈に囲まれている為、何もしていない国。


 ウォルシーは大森林の西の境がそのまま国境になっている。と言っても植物は枯れたり伸びたりして変化する為、隣接する国との話し合いの元に目印のような物が等間隔に建てられていて、魔力による壁を作っているそうだ。

 ヴァレルノから続く街道はそのまま大森林を通り、東側の海岸沿いにある首都へと延びている。


 国境と街道が交差する場所に関所が建てられていた。ただの門では無く、横に長いちょっとした砦のようにも見える。石造りの頑丈な建物で、宿屋や店などもついていて内部は町のようになっていた。

 西から旅をしてきた者はここで支度をし体力を回復させて、大森林へと入って行くのだ。

 ウォルシー側からの希少生物の密輸などもここで防いでいる。


 関所を通るには身分証と通行証が必要だ。

 身分証は出身地の役所でもらえる戸籍抄本の様なものだ。孤児院に預けられるときに神殿が登録しているはずで、おそらくバスキ村出身になっていると思う。

 通行証はどういう目的で国境を超えるのかによって変わってくる。そちらはアトリエと役所のやり取りで出してもらえるはずだ。


 馬車で直接乗り入れて、手続きの間も預かってもらえるくらいに関所の中は広い。


 いくつか扉のある出入国の手続きを行う部屋で、スマルトさんが書類を書いている。必要なものを全く持っていない私を、スマルトさんはどうやって通すつもりなんだろう。


「ノアール。嫁、妹、娘のどれがいい?」

「……は?」

「俺の一押しは嫁だな。絵を描いて稼ぐことに理解がある上に、一緒に旅にも付いて来てくれる。極め付きは幼な妻!ノアールは条件にぴったりだ」

「……は?」

「まァ、関所を通る為だけの方便だから本気で惚れられても俺が困るわけだが。隣の部屋に祭壇があって、神官が常駐しているから簡単な式ならあげられるぞ。齢が離れすぎて妹は無理だし、ノアは成人しているから子供は無理だな」

「ちょっと待ってください。それって嫁一択ですよね。と言うか話が全然分からないんですけど」


 スマルトさんの話をよくよく聞いてみると、身分証や通行証なしで通れる方法はいくつかあるらしい。一つは神殿預かりの孤児として連れ出す方法。戦火で親を失った孤児に身分証を出せと言っても無理な話だ。許可証を持った神官が一人いれば、本部と情報をすり合わせながら何人でも連れだせる。


 二つ目は養子縁組を組むこと。三つ目は結婚。妹は年が離れていない時の養子縁組に近い対処法だ。

 どちらも理不尽な暴力やら縁談から逃れるための一時的な処置として、関所で認めてもらえるらしい。もちろん本格的なものとなればその後に複雑な手続きをしなければならない。


 日本での記憶が有る身としては随分とおかしな決まりだ。それにしても私への気遣いが微塵も無いスマルトさんの嫁になるのは絶対に嫌だ。切羽詰まっているわけでもないのに野宿させられたのは断然許せない。


「嫁を選んだ場合は直後に離婚してしまえばバツイチになるわけですよね。それはちょっと……」

「問題はそこじゃないよ、ノアール、正気になって。ファタルナの妖精である僕が言うのも何だけど、こんなのは結ばれるべき縁じゃない」


 ガガエも必死になって止めてくれる。うん、そうだよね。流石にそんなあっさりと決められるものでは無ない。第一まだ会ったばかりだし、私の都合を考えずに誘拐まがいのようなことをする人と結婚なんて出来ない。


「スマルトさんとは結婚できません。ごめんなさい」

「俺と一緒にいればドラゴンも遺跡も描き放題だ。浅葱や先生からの手紙に描いてあったが、ノアールは俺みたいな画家を目指しているんだよな?」

「え?それはまあ、そうですけど……」


 自分の中にある柱みたいなものがぐらぐらと揺れる。スマルトさんに恋愛感情なんてもちろん欠片も無いけれど、いつかはアトリエを出て冒険まがいの事をしながら絵を描くつもりは、少なからずあった。

 持っていける画材が、スマルトさんの馬車があれば増える。旅慣れたスマルトさんが付いて来るなら、安心して僻地にも行けるではないか。


 絵を指導してもらえるかもしれない。今まで使った事のないような新しい顔料を採取できるかもしれない。見た目はあれかも知れないけれど、そもそも私の理想の顔など考えたこともない。インドア派な私に対して、相棒はアウトドア派な方が良い。


 ―――あれ?私にとって、もしかしてピッタリな相手?


 そう思うと、でっかいドワーフみたいなスマルトさんも、なんだかかわいく思えてきた。目が合うとにぱっと笑みを浮かべて「どうだ」と聞いてくる。


 これ、口説かれてるのかな。甘さとか全っ然感じないしときめいたりもしないし……あれ、でもずっと一緒に絵を描いていられるって言うのは魅力的かも。おばあちゃんになっても一緒にずっと好きな絵を描けるのは、とても嬉しい。


 疲れているせいかまともな判断が出来そうにもない。ここでずっと足止めされるなら、とっととアトリエに帰る為にも……


「沈黙は肯定っで良いのか?なら、隣の部屋へ―――」


 腕を引かれながら神官の待つ部屋へと促されたその時、私たちが入ってきた扉が勢い良く開いた。


「ちょっとまったぁぁぁーっっ!ノア、早まるなっ」


 スマルトさんの声を遮って現れたのは、何故かトープだった。私たちが入ったのとは別の扉から走ってきて、私を抱えながらスマルトさんから遠ざける。遠慮があるのか紫苑さんみたいにうまく持ち上げられないので、私の足はずりずりと引きずられていた。なんだか抱きしめているようにも見えるかもしれない。


 お、おう?何だかトープがカッコ良く見えてるぞ?これが吊り橋効果ってものか。


「全く油断も隙もない。ノアっ、知らない人に付いてっちゃダメってマザーに教わっただろ」


 トープ、なんかいろいろ惜しい。流石にその齢でそれは無いだろう。大人なのに言動が子供のままだ。それにしても加速付きの馬車に乗っている私たちにどうやって追いついたんだろう。


 うん、これはきっと白昼夢。結婚を承諾してユニコーンを描くか、拒否するかの二択を迫られて追い詰められている私が見ている夢だ。やばいね、自分でも気づかないほど精神的に結構参っているのかもしれないね。


 助けてくれる夢ならカーマインが適任だと思うけれど、トープで我慢するか。

 素面なら絶対にやらない。けれどほっと一息つきたくてついつい魔が差した私は―――


「そこは無事で良かったとか言いながら抱きしめるものだよ」


 そう言いながら私はぎゅむっと抱き着いた。流石は夢、トープなのにものすごい安心感だ。下手したらマザーやフリントさんと同等か、それ以上かもしれない。男の子だから成長が早い早い。いつの間にか背丈を抜かれていたどころか、抱き着いている目の前にはトープの鎖骨がある。


「おおーっ、ノアちゃんてばなんて大胆」

「気のない素振りは気を引く手段か。女性とは複雑だな」

「ああやって甘えられると怒れなくなっちゃうんだよね~。サインの件で叱ろうかと思ってたのに」


 なんかアトリエの皆の声が聞こえる。夢なのにくっきりはっきりきっぱりと。

 あれ?これもしかして、現実?

 頭の上の方から「ノア…」と心底困り果てているトープの声が聞こえるけれど、喜ぶでもないその戸惑いっぷりが脳内で急速に現状を理解させようとしていた。


 ―――私、今、何してる?


 トープに抱き着いている。何故かいるアトリエの皆の前で。多分関所の手続きの係りの人もいる前で。体温が一気に冷え、現実に引き戻された私は怖くて顔が上げられない。


「大丈夫か?」


 微動だにしない私を心配して、トープがやけに優しい声を掛けてくる。


 どうしよう。逃げるにしろまずはこの腕を放さなければならない。離れたくないなんてロマンチックな事では無くて、腕を放したら皆の、トープの顔が見えてしまう。それが嫌だ。


「いけっ、トープ君!そこでノアちゃんをぎゅっとハグしろっ。頭なでなでもOKよっ」

「黙れ浅葱うるさい。スマルト、なぜノアールをさらった」


 紫苑さんが追及を始めて皆が首をスマルトさんの方へと動かす気配がしたので、今のうちと思い離れた。

 さりげなく、何食わぬ顔をして会話にいつの間にか混じるのよーと思いつつ、トープと目が合わないように下を向きながら方向転換をする。


 良し、大成功。


「なぜって、そりゃァユニコーンを描くのに必要だったからだ。ノアールが」


 そこで話の中心にいたスマルトさんが私を見たので、皆もつられて私を見る。紫苑さん浅葱さんメイズさん、そして先生、もちろんトープも。


「あ……」


 後でガガエに聞いた話によると、まだ落ち着いていなかったのに皆に注目されてしまった私の顔は、火を吹いたように真っ赤だったらしい。

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