車中泊

 街道を通る馬車の邪魔にならないように、スマルトさんは道から少し外れた場所に馬車を停めた。簡易的な竈を作り魔法陣が書かれた紙を敷く。赤の塗料を追加して魔力を流せば、調理に丁度良い火を起こす。スマルトさんはそこまでの作業を手早く黙々とこなすと、顔を上げて私に聞いた。


「魔法を使っても驚かないんだな」

「ええ、私も使えますから」

「そうか。これはベレンスに用意してもらったんだ。俺はほんの少しだけ魔力があるが知識の方はからきしだ。……魔力のことはあんまりおおっぴらにしない方が良い。平民の魔力持ちなんて、戦になりゃァ真っ先に使い潰されるからな」


 どうして私はこんな恐ろしげな風貌の人に馴染めるのだろうと不思議に思っていたが、きっとフリントさんと同じような経験をした人なんだ。


 スマルトさんは、先生よりは年下だろうけれど紫苑さん達よりは幾分か年上に見える。ぼさぼさに見える伸ばしっぱなしの髪の毛には白髪が所々に見えている。いろいろな過去を持っていて、今は一番やりたいことを楽しんでいるみたいだ。


 夕食は少ない干し野菜を戻し塩で味付けしたスープと、乾パンのような物だった。この世界に来た時に初めて食べた物の方がまだましなくらい。

 器もスマルトさんの物しかないのでコップを借りている。


 文句なんて言えなかった。黙ったままスープを食べていると、スマルトさんが頬をポリポリと掻きながら提案した。


「あーでもこの分だと食料が尽きるな。明日は補給も兼ねてどこか町に泊まるか。食事ももう少しまともに出来る」


 戦争の話で沈んでいただけなのに、どうやら粗末な食事に怒っていると勘違いしたらしい。


「部屋は勿論別でお願いします。誰かさんに攫われたせいでお金も持ってないので、支払いはお願いしますね」

「……ちゃっかりしてんな」



 馬車は速度アップと敵を寄せ付けない魔法陣が施してあるらしい。周囲数メートルにはモンスターは近寄って来れないそうだ。火を始末して荷台で横になり、毛布にくるまって眠ろうとしたが、毛布は凄まじい匂いがした。


 スマルトさんに紙と塗料を借り大きめの魔法陣を描いてその中に毛布を放り込む。水による洗浄と風による乾燥を組み合わせた、言うなれば乾燥機付きの魔法洗濯機だ。マザーが洗濯物の量が多い日や雨が続いた日などに使っていた。

 ぐるぐるとまわるわけでは無いので、毛布を洗浄した後、ついでに自分も息を止めて陣の中へ入る。水流が足元から湧き上がり最後にしゅぱーんと余分な水分を弾き飛ばして終わり。


「おォ、かなり便利なのを知ってるな。俺もいいか?」

「ええ、どうぞ。息を止めて下さいね」


 入れ替わりスマルトさんも体験するが、なんだか微妙な表情だ。服ごと汚れは取れている筈なのに見た目もさっぱりした感じが無い。


「綺麗になってはいるんだろうが、風呂上がりの爽快感はないな」

「ええ、だから私もどうしようもない時にしか使っていません」


 熱がある時などは仕方が無く使うが、絵を描いていて時間が惜しい時でも入れる時には入る。

 魔法陣を消そうとしたらガガエにクイっと袖を引っ張られた。好奇心に満ちた、キラキラした目。


「ンと、僕も入れる?」

「どうぞどうぞ」


 ガガエも魔法陣の中に入った。……そもそも妖精って水浴びする物なのだろうかと疑問に思っていると、ガガエの洗浄が終わる。

 魔法陣から歩いて出て、羽ばたこうとするが体が浮かない。見た目は何ともないので、初めは犬が水に入った後によくやるぶるぶると同じことをしているのかと思った。


「は、羽がなんか変なんだ!飛べなくなっちゃった」


 泣きながら私を見上げるガガエ。手に乗せて羽に少しだけ触れてみるが、全く原因が分からない。


「きっと羽の鱗粉なり油分なりが取れちゃったんだね。一応回復魔法を使ってみようか」

「もしそれで飛べないようなら、大森林で拠点にするエルフの村で聞いてみれば良い」


 私たちが慰めの言葉を掛けると、ガガエが大粒の涙をこぼして頷いた。今までちょっと澄ました感じだったから、なんだかかわいい。本人からしてみれば飛べないのは命取りなんだろうけれど。


 別の紙に回復の魔法陣を描いてガガエの背中にぺたりとつける。暫くしてから離し、ガガエが羽を羽ばたかせるとしっかりと宙に浮いた。


「ん、大丈夫みたいだ。もう二度と水には入るもんか」

「そうだね、濡れた布で体をふくくらいにしておこうね」


 回復魔法で回復したという事は、羽にダメージがあったという事だ。何度も濡らしていれば取り返しのつかない状態に陥るかもしれない。

 私も一応気にかけてあげよう。




 馬車を直ぐ動かせるようにスマルトさんは前の方で、私は後ろの方。目的が目的だから変な事をされる心配はないけれど、それでも緊張してなかなか寝付けなかった。


 冬ももうすぐだ。季節に取り残された虫が消え入りそうな声で鳴いている。うとうとし始めた頃、獣が争うような鳴き声が聞こえた。


「ギゲェ」

「グゴッガギグンガ」


 馬車の近くには寄ってこないみたいだけれど、ちょっと怖い。起き上がって幌の幕を上げてこっそり覗くと、黒い物体がいくつか草むらで走り回っているのが見えた。暗くてよくみえないが人間よりも小ぶりの生き物のようだ。

 ガガエも光らずに隣に浮いた。


「あれ、ゴブリンだね」

「ガガエ、見えるの?」

「ん、本当は夜が活動時間帯だから夜目は利くんだ」


 私も目を凝らしてよく見ていると、小さな一匹を集団で追い回しているようだった。何回も小突かれて小さくて弱いものが逃げていく。前のガガエもそんな感じで独りぼっちだったのかな。


「多分小さいのは余所から流れて来たな」


 真後ろにいきなりスマルトさんの声がしたので驚いた。音も気配も全くしなかったのにいつの間にか近づいていたみたいだ。


「声が他より高いから北西の方の出だろ。戦地から逃げ出してこちらへ来たはいいが、縄張り争いに負けたってところか」

「そんな事も分かるんですか」


 スマルトさんはああ、と低い声で答えた。自分のこめかみの辺りをとんとんと叩く。


「モンスターの図鑑を手掛けたこともあるから、知識は全部頭ん中に入ってる。人間よりもモンスターの方が鼻が利くからな。戦地に弱いモンスターが取り残されるなんてあまり聞かないだろ?」

「戦、ひどくなるんですか」


 孤児院のチビちゃん達は早い段階で親を亡くし、戦地に近くてもまだ神殿が機能している状況で引き取られてきた。

 これからはきっとそうもいかなくなる。

 何処か遠い国の出来事でいられたのに、いつかバスキ村やディカーテが戦場になる日が来るのだろうか。戦時中の日本みたいに、絵を描いてなんていられなくなる時が来るのだろうか。


 ふとした瞬間にほんの少しずつ戦争の影を感じるのが、とても怖い。どうかこのまま、平和なまま死ぬまで絵を描く人生が続けばいいのに。


「ヴァレルノの国王にはイーリックの高位貴族の姫さんの血が混じってるからな。同盟を結んでいるようなもんだろ。まぁ、援軍を派遣する程度だとは思うし、やばくなる前に神殿の本部が調停に入るだろうよ」


 只の宗教団体かと思っていたけれど、国連のような役目も果たすのか。子供の時からたまにマザーに連れて行かれたけれど、思ったよりもまともな団体みたいだ。

 

 話をしているうちにゴブリンの叫び声は聞こえなくなって、スマルトさんはのそのそと前の方へと戻っていった。


「明日も朝早くから馬車を動かすからな。速く寝ろよ」

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