誘拐?

 アトリエについた頃にはもう日は暮れていた。馬車を戻らせるとメイズさんは私の腕を掴んでまずは店の方へと立ち寄る。扉を少し乱暴に閉めたので、音を聞きつけて奥から直ぐに浅葱さんが出てきた。


「おかえりー、早いね。あれ、なんか一匹増えてる?」


 ガガエを見た浅葱さんの呑気な声がとっても心にしみる。


「浅葱、先生と紫苑はいるか?大事な話があるんだ。浅葱も聞いてほしい」

「うん、二人ともアトリエの方にいるよ」

「わかった、呼んでくるからノアールをここで見ていてくれ」


 メイズさんは怒った顔のまま、店の奥へ入り中庭へと出て行った。不思議そうな顔で見送った浅葱さんが、俯いた私を覗き込んでくる。


「何やらかしたの、あんなに怒るメイズ初めて見た。ノアちゃん。ほっぺ赤いよ?」

「……今までの作品、サイン書いてなくて」


 ぼそぼそと小さな声で答えたが浅葱さんにはしっかり聞こえたらしい。


「……あちゃー、それはそれは……」


 浅葱さんもそれっきり絶句してしまった。やはりそれほど重大な事だと改めて認識すると、ますます気分が落ち込んでくる。


 紫苑さんも先生も呆れるのかな。それともメイズさんのように怒るのだろうか。怒られるだけならまだ良い。もしかしたら画家として自覚が持てないならアトリエを出て行けと言われるかもしれない。


 悪い方へ考えながらそのまま黙って待っていると、店の外に馬車が止まる音がした。もう夜なのにお客さんかなと思って振り向くと、入ってきたのは紫苑さんよりも大柄で髪の毛ぼさぼさ、髭はぼうぼう、服はよれよれで背中に大きな剣を背負った男だった。


 一見すると、オーガやトロールなどのモンスターに間違えそうだ。普段ならそんな人にも恐怖を感じないのに、今の私はかなり沈んだ状態だ。思わず後ずさりすると店のカウンターにぶつかった。横で浅葱さんが手をひらひらさせながら男に声を掛ける。


「あら、おかえり。久しぶりだねぇ」

「浅葱、こいつが手紙にあった新入りか。丁度良かった、連れてくぞ」

「え、ちょっと待って。待ちなさいっっ」


 私に是非を問う声もなく無遠慮に担ぎ上げると、その男は、店を出て馬車に私を放り込んだ。悲鳴を上げる間もなく直ぐに馬車は動き出す。


 先ほどまで乗っていた豪華な馬車とは違い、幌が付いているだけの荷馬車だ。誘拐の二文字がチラついて慌てて起き上がろうとするが、馬車はとても速い上に質が悪くて揺れている為、なかなか起き上がれない。


 街の門で丁度止まったので起き上がり、馬車の縁へ駆け寄ろうとするが何かに躓いて転んでしまった。あっと思った時には既に馬車は走り出す。


 自分のトロさが憎い。外に門番がいるのだから大声で助けを求めればよかったのに。


 暗闇の中、後方の幌から垂れさがっている布の隙間から、あっという間にディカーテの町明かりが遠ざかるのが見えた。速いので馬車から飛び降りて逃げ出すことも出来ず、とても怖い。

 トープ、暫く会っていないから心配していないかな。助けに来るのは無理、だよね。離れた方が良いかもなんて思ったけれど、意図しない形で遠ざけられるとは思いもしなかった。

 メイズさん家では画材を借りて描いていたから、今は手ぶらだ。魔法陣を描いて対処しようにも何にも出来ない。


 エボニーの顔がチラつく。同じような事を考える輩かもしれない。でも、私だって成長しているんだから。

 一つの可能性を頼りに、名前を呼んだ。


「…ガガエ」

「ん、大丈夫。傍に居るよ」


 ぼんやりと体が光り、姿が浮かび上がる。その返事だけでどれだけ安心できたことか……私は思わずガガエに抱き着きたくなったけれど、潰してしまいそうなので取り敢えず頭を撫でた。

 ガガエに明かりになってもらって私の周りに積まれた荷物を見てみると、ほとんどが画材のようだった。絵の具のチューブが乱雑に入れられている箱、使い込まれて色が染みてるパレット。ちょっとかび臭い筆や落としきれなかった土がついたイーゼル。膠や顔料っぽいものが入った瓶まである。新品ではなくある程度使われている物からして、絶対に商人では無い。


「浅葱さんと知り合いみたいだったよね」

「ん、見た目はちょっと怖いけど危険な感じはしないよ」


 商人ではないのにアトリエに出入りすると言う条件に、一人だけ思い当たる人がいる。未だ顔を見たことのない、もう一人の画家。噂によると画家よりも冒険者に向いている人。

 私は何とか馬車の前方に移動して、馬の手綱を握っている男に声を掛けた。


「あのー、もしかしてスマルトさんですか?」

「うん?あァ、自己紹介がまだだったか。いかにも俺がスマルトだ。お前はノアールだったな」

「随分攫うのに手慣れているみたいですね」


 チクリと嫌味を言ったら、悪びれる様子もなくガハハと笑った。


「いう事を聞かねェガキを扱うのは慣れてるからなァ」


 ……ガキ。紫苑さんにも同じようなことを言われた。確かに画家としての自覚が無かったガキかもしれないけれど。

 私が落ち込んでいると、状況を飲み込めないのかガガエが袖を引っ張った。


「あ、この人はアトリエの仲間だよ」

「何だ妖精が付いているのか、それはなお良いな」

「この子はガガエって言います。それであの、どちらに向かっているんですか?」

「ウォルシーだ」


 ウォルシーと言うのはルングーザ大陸の最東端にある国だ。その西側に私たちの住むヴァレルノと言う国がある。


「隣の国じゃないですか。私、通行証の類は持ってませんよ?というかそんなに長旅になるなら準備だって必要なのに」


 街道を真っ直ぐに進むとしても、ディカーテはヴァレルノ国内でも西側にある。そこから王都を含む街をいくつも通るので出国するだけでも一週間はかかる筈だ。

 ちなみに、王都の名前は国名と同じヴァレルノなので大概は「王都」で済ませる。


 着替えもお金も持っていない。もちろん自分の画材も持っていない。途中の景色だって描ける機会がもったいない。


「馬車に仕掛けを施してあるからなァ。こいつなら三日だ。許可証は何とかなるだろ」

「急ぐ必要があるんですか」

「あァ、冬の終わりに行われるコンクールは知ってるか?」


 私はいいえと首を振った。まだ誰からもそんな話は聞いていない。


「ディカーテで毎年行われるものでなァ今年はユニコーンを描いて出品しようかと思うんだが……」

「ユニコーンっ!」


 幻想(ふぁんたじー)生物、きた!人魚、妖精に続いてユニコーン!あ、もちろんゴブリンも忘れてないよ。順調順調、ふふふふふ。

 スマルトさんは私の勢いに少し驚いたのか、少しばかりたじろいだ。


「あ、あァ、ユニコーンを描きに大森林へ向かっている。ユニコーンって言うのは一本角を生やした白馬で、清らかな乙女がいないと大人しくならないんだ。だからお前を連れてきた」


 そこまで言って、スマルトさんは私を上から下までなめまわすように見た。いや、馬車に座っているから上から下までは無理だけど、なーんかちょっと、やらしい目。思わず私は後ずさる。


「な、なんですか?」

「お前、男性経験はないな」


 疑問形で無く断定的に言われた。と言うか初対面の女性に向かってなんてことを聞くんだこの人。ユニコーンとの対峙に必要な条件だと分かってはいるけれど……。

 手を腰に当て、無い胸を張って答えた。


「私、こう見えても成人してますけど」

「ないんだろ」

「絵を描く以上モデルとそう言う関係になる事だって」

「ないんだろ」

「こ…好意を寄せてくれる男性もいますけど」

「手も繋いだこともないだろ」


 トープと手をつないだ事くらいあった様な……私が思い出そうとしているとスマルトさんがガハハと笑った。


「考えてる時点でバレバレだ。大人しく認めておけ」

「えーそうですよないですよそれのどこが悪いんですか」


 前世も含めて絵ばっか描いてたからないんだよこんちくしょー。地団太が踏めないので代わりに馬車の縁をバンバン叩きながら反論する。


「セクハラですよセクハラ!考えてみればユニコーンだって失礼な話ですよね。乙女の前にしか出てこないとか、随分と女性を見下していると思いますけど」


 セクハラと言う言葉が通じるかはこの際置いといて。ただ女の人に寄っていくのなら、まだ可愛いと思う。でもユニコーンはそこからえり好みしていくのだ。


「そう言ってやるな。例えるならマタタビに群がる猫みたいなもんだ。あいつらを作った女神さんに文句言え」


 ああ、それならわかる。普段どれだけつんとお澄ましした猫もでれっでれになるんだよね。

 私のユニコーンの知識は前世の物だけど、作り手が女神ならもう少しなんとかならなかったのかな。


「ところで夜通し走るんですか?」

「いや、そろそろ止める頃合いだな」

「え、だってここ……」


 辺りには家の明かりも何もなく、馬車の明かりしか見えない。空には糸のように細い月が頼りなく輝いている。さわさわさわと風に揺れる草の音と空気の流れから、森では無く開けた場所なのは分かる。


「野宿だ」

「……メイズさんの家に戻りたい……」

「ノアール、僕らみたいな妖精や不思議な生物を描くには避けて通れないよ」


 ガガエが慰めてくれるけれど、まるで天国から地獄に突き落とされた気分だ。

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