花園7

 メイズさんと王都から戻ってきたサフランさんに家を継ぎたいと伝えたカナリーさん。私もドキドキしながら見守っていたが、メイズさんは喜びサフランさんは大きなため息をついた後にこう言った。


「分かった。それがカナリーの願いなら私は父親として全力で支えよう」


 それまで不安そうに返事を待っていたカナリーさんの顔が、ぱあぁぁっと明るくなる。


「本当ですか、お父様」

「ああ、よく考えればメイズの嫁を探して一から教え込むよりは簡単だ」


 良かったですねと声を掛けると、カナリーさんは笑顔で何度も頷いた。家族が味方をしてくれるのとそうでないのは大違いだ。

 マザーもフリントさんもトープも、大変だと教えてはくれたが反対はしなかった。それが、どれだけ支えになったことか。


 私からはメイズさんが絵を描くのを反対していたように見えたサフランさん。実はその逆で、頭首の座に付いたとしても仕事としてやっていけるなら、自分のように劣等感を持たずに済むと密かに応援していたらしい。

 だからオークションで絵を買おうとしていたんだ。



 最後の花なので一人でスケッチしていると、またお嬢様ズがやって来た。前庭ではなく新しい品種などを取り扱っている奥の庭まで入り込んでいる。

 近くにメイズさんやカナリーさんはいない。誰かに案内されているでも無しにここまで入って来れるものなのかな。


「御機嫌よう、あなたがメイズさんの助手ですの?」

「ええ、ノアールと申します」


 機嫌を損ねるのも怖いので、メイズさんに指摘された通り頭を下げないカーテシーをしてみた。終わると三人のお嬢様は私に視線を注いだまま、黙っている。


 あれ、私また間違った?もしかしてこの人たち、割と貴族の中でも身分の高い人達なのかな。

 冷や汗ダラダラ、心臓バクバク。取り敢えずへらりと笑ってみると、リーダー格っぽいお嬢様が口を開いた。


「貴族のしきたりについてはどちらで学ばれましたの?」

「へ?あ、きちんと学んだことはございません」


 メイズさんの時は何とか誤魔化したのに、本当のことを話してしまう。あれだ、きっと徒党を組んでいる女の子に苦手意識があるんだ。前世でも同性の友達がいなかったわけでは無いけれど、終始べったり引っ付いてはいなかったからなぁ。


「絵を見せて下さいな」

「は、はいどうぞ。まだ下描きの段階ですが」


 スケッチブックを渡すと「まぁ」とか「これは…」なんて言いながら三人で覗きこむ。

 破られるのか?高笑いしながら「所詮は平民が描いた物ですわね」とか言いたい放題言われるのか。びくびくしながら待っていると、普通にスケッチブックを返された。

 何だか拍子抜けしてしまう。


「本当に残念なこと。メイズ様も貴女もヴィオレッタに入ればよろしかったのに」


 ……………………あれ………もしかして実力を認めてられている?


 私がスケッチブックを持ったまま固まっていても、お嬢様はその話題はもう終わったようで絵については何も言わなかった。


「本日はご当主のサフラン様に用事がありますの。カナリー様が呼びに行っている間、こちらへ通されました」

「はぁ、そうなのですか」


 私が返事をしたきり、女の子が四人もいるのに奇妙な沈黙が続いた。不思議に思って首を傾げてみると、一人が不機嫌さを全身で表して私を叱責する。


「んもう、もてなすことが出来ないなんて所詮は平民ですわね。お茶を出すなんて期待してません。何でもいいから話をなさい」

「え、えええぇ!?」


 無茶ぶりされた私はあたふたと当たりを見回して話題を探す。花の深い知識が無いので説明は出来ない。別のアトリエに所属する人達に絵の話をするのは、いろいろとまずいだろう。困った困ったと目を泳がせていると、ガガエが目に入った。


「あ、この子はガガエと言って、ファタルナの花の妖精です」

「んぇ、僕を巻き込むのか」

「まぁ、かわいらしい。妖精は芸術の才能を高めると言いますわね」

「それはリャナン・シーだね。女性型で、気に入った男に憑りついて芸術の才能を本人の精気と引き換えにして高めるんだ。コボルトやノームなんかも妖精の部類に入るんだよ。家妖精は知ってるかい?」


 妖精談議に花を咲かせ、ガガエの方がうまくおもてなし出来ている。本来なら反省するべきだろうけど、面白くて私もついつい聞き入ってしまった。

 それから数分も経たないうちにカナリーさんから声が掛かる。


「お待たせいたしました、こちらへどうぞ」


 お嬢様三人は連れだって屋敷の中に入って行った。見送った私はスケッチを再開させる。どうして私に相手をさせたのか聞きたかったけれど、仕事を優先させた。

 一緒に取り残されたガガエにも、お嬢様たちの相手は嫌なものではなかったようだ。


「キャーキャーうるさい人達かと思っていたらそうでもなかった。お話がいっぱい出来るのって、いいね」


 私は片言だった前のガガエを思い出して、気持ちがほんわか暖かくなる。名前のみの偶然の一致かもしれないと理解していてもやっぱり事ある毎に思い出が浮かんできそうだ。


 令嬢たちが通されたのは私が描いている場所のすぐ近くの部屋だったらしい。わざわざ耳をそばだてなくても、開かれた窓から話し声が聞こえてくる。


「私の四番目の兄は庭いじりが趣味です。現在独身で恋人も居らず、社交的ですがとても誠実です。四番目なので家の中でも任せる仕事が無く婿に出す予定なのですが、カナリーさんのお相手にいかがかしら?」

「私たちにはすでに婚約者が居りますし、素敵な方ですよ」

「先日メイズ様からお話を伺いました。会ってみるだけでも―――」


 なんと、カナリーさんの縁談話らしい。兄本人には言ってあるがまだ親には言っておらず、彼女たちの独断で持って来た話だそうだ。断っても大事にはならないようにと、貴族として同じような不自由を感じている彼女たちだからこその配慮らしい。


「ガガエ、すごいね。もう縁を結んじゃったの」

「ううん、僕たちはいるだけで何かをするわけじゃない。カナリーさんの決断があったからこそ開けた縁だよ。結婚相手だけじゃなく良い友人も持てそうだね」


 私が友達になっても、何も与えられない。一緒に悲しい思いをするだけだ。少し寂しいけれど、カナリーさんが幸せになれそうで良かった。




「よし、これで最後だね」

「これから冬ですから暫くはお休みです。ノアール様はまた春にいらしてくださいね」


 清書も描き終えて、今期の仕事が終了した。リストを見ながら一枚ずつカナリーさんが確認すると、メイズさんは花の右下にサインを書いているけれど、私の絵の方にサインが無いことを指摘した。


「そう言えば、今まで書いたことありません」

「え……ちょっと待って。自画像にも、鶏の絵にも、サーカスのポスターにも書いていないのかい?」

「はい」


 絵に直接サインする習慣は、前世ではまだなかった。当然だ。高校生が描くコンクールや文化祭の展示では、裏側に学校名や学年と組を加えて書くのが普通だったから。

 メイズさんは両手で顔を覆った。


「浅葱も紫苑も先生すらも気付かなかったという事か……なんてことだ」

「あのー、やっぱりまずいですか」


 返事がちょっぴり気の抜けた声になってしまったと思ったら、メイズさんがものすごく怖い顔をして私の両肩をがしっと掴んできた。


「いいかい?サインとは画家にとって自分の作品であることを証明する一番の手立てだ。完成品だと示す意味もある。例えば鶏の絵に別の人間がサインをしたらどうなる?」

「……盗作?」

「にすらならないんだ。その時点でその絵は君が描いた物ではなく別の誰かが描いた物になる。いくら君が主張しても誰も信用しない」


 一度自分の手を離れて収入も得たなら、その後いくら転売されても結局画家の手元にお金は入らない。それだけ見れば誰の名前でも良いと思うかもしれない。でも、作品を認めてくれた人から入る仕事は間違いなく無くなる。


「自画像は四枚そろって出したオークションの記録があるからまだいい。サーカスも原画と版木はアトリエに残っているから何とかなる。けれど鶏の絵は!あれほど素晴らしいのに未だに君の名が出てこないのが不思議だったんだ」

「そんなに良かったですか、私の絵」


 私の呑気なその一言は、メイズさんの逆鱗に触れたらしい。穏やかで女性に手を挙げなさそうなメイズさんが、私の両頬をむにっと優しく摘まんだ。メイズさんのお仕置きはこの程度かと思っていたら、徐々に外側へと引っ張られていく。


 美人が怒ると物凄い迫力だ。間近で見ているのだからかなり怖い。

 それ以上にもちろん痛い。涙目になるほど痛い。痛いとも言えないほど痛い。


「兄様、暴力はいけません!」


 カナリーさんに止められ、メイズさんはパッと手を離した。それでも怒った表情が崩れることは無い。


「君が前と似たような鶏の絵を描いたとしよう。でももう既にサインが為されていればそれは盗作になる。全く同じタッチ、同じ構図であれば贋作扱いされるかもしれない。君が得るべき収入と名声は誰かのものになってしまうんだ。―――君はもう既に一人前の画家なんだ。自分の作品にきちんと責任と自尊心を持ちなさい」


 最後の言葉が、心にずんと響いた。そっか、もう一人前なんだ。一応その心算だったのに人に言われて本当に理解するなんて、分かっていなかった証拠だ。


 メイズさんが手を放すと、次から次へと涙がこぼれた。ガガエが熱を持った頬を小さな手で擦ってくれる。カナリーさんはタオルを渡してくれた。


「兄様の怒った顔初めて見た……と、とにかく、こちらの絵にすべてサインをお願いします」


 一枚ずつ自分のサインを描いていく。文字数も少なく家名が無いので直ぐに終わった。


「さあ、アトリエに帰ろう。全て話して先生たちに説教を食らうと良いよ」

「兄様、待って。今日は最後ですから夕食を―――」

「いいや、今すぐに帰る。着替えも必要ない。馬車の手配を頼む」


 凄絶な笑みを浮かべるメイズさんに、カナリーさんが敵う筈はなかった。

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