花園6

 これから先も何度かこちらへ窺うので、その度に気まずい思いはしたくない。この家の問題が解決されれば良いと思いながら、数日が過ぎた。

 その間にガガエの絵も描き上げる。描いている途中は子供の頃の出来事が脳裏に浮かび、やっぱりなんだか泣けてきてガガエに心配をかけてしまった。


 サフランさんは新しい品種の花を献上するために王都にいるらしい。花を咲かせるのは一番の仕事ではあるが、勿論貴族の仕事はそれだけでは済まないという事だ。いくらカナリーさんが育てたとしても王の御前に出て褒められるのはニールグ家当主であるサフランさん。花にからめて貴族の催しに招かれるのも学会に呼ばれるのもそうだ。


 メイズさんが当主を継げば同じことが繰り返される。苦労して花を咲かせた奥さんの名前もきちんと残るのかどうか、怪しい。私としてはカナリーさんを応援したいが、社交が苦手なら当主になっても苦労はするのではないか、とも思う。


 夕食は家族そろって取るのがこの家のしきたりらしいが、この所カナリーさんと顔を合わせることは無い。メイドさんによると植物の世話もしているし食事もきちんととっているらしいから、多分私が嫌われてしまっただけだ。


 メイズさんと絵を描くだけの日々が過ぎる。聞いてみると言ったカナリーさんの本音は、兄であるメイズさんにも中々明かされないらしい。

 朝晩も段々と冷え込むようになり、この時期に花を咲かせる植物もそろそろ区切りが尽きそうな頃、嵐は突然やって来た。


 小春日和の昼下がり、屋敷の中で清書に取り掛かっていると見慣れぬ馬車が屋敷の前に止められて中から三人のご令嬢が降りたつのが窓から見えた。玄関ホールでカナリーさんともめているらしく、私たちの所まで響いてきたのでメイズさんと思わず顔を見合わせる。


「多分、アトリエ・ヴィオレッタの子たちだ。何度か顔を合わせたことがある」

「お仕事はもう断った筈ですよね。どうして今更……」


 二人プラス一匹でこそこそと玄関ホール手前まで移動して耳をそばだてる。


「そろそろお困りではないかと思いまして参りましたのよ。先日の無礼は許して差し上げますから仕事を進めましょう」


 見つからないように柱の影にいるのでこちらからも見えない。声だけ聞くと随分と高飛車なお嬢様のようだ。

 対応するカナリーさんも少し強い口調になっている。


「今更来られても花の時期は終わりに差し掛かっております。あいにくと後任は既に見つかっておりますので、どうぞお引き取り下さいませ」

「どちらに依頼なされたのかしら?ヴィオレッタ内で引き受けたと言う話は聞いておりませんわよ」

「ベレンスの方へ依頼をしました」


 まあ、と驚く声が他のご令嬢たちから上がる。何てこと、とか信じられませんわ等と話している声の大きさを聞く限りでは、リーダー格の女の子とその取り巻きといった具合だ。ちょっと悪役令嬢っぽい。

 彼女たちが仕事をしないから私たちに依頼が来たのに、自分たちが悪かったとは全く思っていないみたいだ。


「あなた、平民に描かせるつもりなの?王族主導の図鑑の編纂なのに」

「兄のメイズは貴族です。その兄が同じアトリエ内で助力を請うことは不自然ではないと存じます」

「メイズ様が戻っていらしているのね。お庭にいるのかしら。それともアトリエの方?」

「勝手に入らないでください。当主の留守は私が預かってます。許可なく立ち入るのならば―――」


 まずい。カナリーさんが止めようとしているがこちらへ来るのは時間の問題だ。メイズさんはともかく私の方は仕事を取り上げられたり、描き上がっている絵がもしかしたら破られるかもしれない。

 令嬢たちに聞こえぬよう、メイズさんがささやいた。


「ノアールは部屋へ戻って作業を続けて。夕食はそちらへ運ばせる。適当な所で切り上げて夜更かしはしないように。ガガエはノアールを見張ってくれ」

「ん、了解」

「メイズさんはどうするのですか」


 カナリーさん達の方に注意を払いながら、メイズさんは答える。執事やメイドたちもお嬢様たちを宥めているが、強くは出られないだろう。


「彼女たちの相手をする。もしかしたら暫くは作業できないけれど、大丈夫かい?」

「任せて下さい」


 私がくるりと踵を返し、メイズさんはそのまま玄関へ進む。


「まああぁぁ、メイズ様、お久しゅうございます。やっとお会いできましたわ」


 背後から華やいだ声が響いた。漫画的な効果を付けるならぱーっと花が舞っているに違いない。私の隣を飛んでいるガガエが両耳を塞いでいる。


「ノアールもああいう声、出すの?」

「あそこまで大きな声は出した記憶が無いかな」

「良かった。静かな方が落ち着くからね」


 ガガエに生活の管理をされるのは流石に私のプライドが許さないので、夕食は運ばれてくるなりしっかり取ったし夜も早めに部屋へと戻った。作業の速度はぐんと落ちたけれど、あともう少しだ。


 次の日の朝、メイドさんに様子を聞くと令嬢たちは夕食後には帰ったらしい。メイズさんは彼女たちの圧倒的なパワーに押し負けて、今日は仕事を休むとの事だった。

 人をもてなすのは、慣れなければ体力を使う。それが準備もろくに出来ず突然やって来た上に、ある程度の格と体裁を保たなければならないのだからきっと私の想像以上に疲れるのだろう。

 貴族って大変だ。


 指示は無いけれど、とりあえず今まで描いていない花を描こうと庭へ出るとカナリーさんがいた。花の手入れをしていて、私を見つけるとためらいながらも近づいて口を開く。


「あの、ごめんなさい」


 一瞬、何を謝られているのか分からなかった。真っ先に思い付いたのは、仕事を私からご令嬢に依頼し直すと言うこと。

 血の気が引いた。画材も労力も費やしてここまで頑張ったのに収入無しはとてもイタい。


「もしかして、クビですか?」

「いえ。そうでは無くてこの前のこと。あなたの気持ちをよく考えずに羨ましがってしまったわ」


 クビを否定されて、かなりほっとした。と、同時にカナリーさんの言葉を脳内で再生する。

 好きな事だけして生きる平民になりたかった、孤児でも絵描きになれるなら孤児でも庭師になれるはず、とカナリーさんは言った。

 平民や孤児に対する侮蔑の意なんてきっとなかったんだろう。置かれた状況から羨ましいと思うのも仕方がないことだ。言われた時には泣くほど傷ついたのに冷静になれば大したことではないと思える。


 こうして謝ってくれているのだから、再度怒りをぶり返して仲直りの機会を失うのももったいない。


「大丈夫ですよ、あまり気にしてませんから。私こそごめんなさい。亡くなったお母様の思いが私にわかるわけないのに……相手の立場になって考えるのは難しいです。それまでの人生も願いも本人でなければ分かりませんから。私がカナリーさんだったら趣味程度でも庭いじりが出来ればいいやなんて思いそうですけど、そんなに簡単に切り捨てられるものでは無いのでしょう?」


 趣味で絵を描けば良いと言う前世の両親が理解できなかったように、私はカナリーさんではないから理解できない。

 けれど草花に対する情熱は、描いていて物凄く感じられた。虫食いや病気がほとんどなく、花が咲いている期間が長い。バスキ村で春の祭りの時期に咲いていた花を、カナリーさんは秋にも咲かせている。


「ええ、出来れば仕事として携わりたいの。でもそれは兄さまを追い出す形になるし、私に務まるかどうか……」

「メイズさんはむしろ追い出されたいと思いますし、不安だったら周りに手伝ってもらえばいいんですよ。私だってそうでした。無理だと言われたのに絵描きになると小さなころから言い張って、結局こうして望んだ仕事に就けてます。でも自分の意志を明確にしなければ、周囲も手伝うことすらできませんよ」


 条件に見合う婿が必要ならば、いろいろな伝手を使えば良い。社交が苦手ならば、似たような立場で指摘してくれる友達を作れば良い。

 努力でどうにもならない部分は誰にだってある。周りを巻き込んで願いを叶えることは、しっかりと信頼関係が結べていれば絶対に悪いことでは無い。

 逆に誰かが困っていたら、自分が巻き込まれてあげればいい。


「そんなにうまくいくかしら?」

「んー。ファタルナの妖精は受粉するために召喚される。いわば縁結びの力がある。以前から育てているのなら、君の両親や先祖も良い縁を結べたはずだよ」


 それまで静かにしていたガガエが、不安そうなカナリーさんを慰める。初耳だ。私もガガエとずっと一緒にいればいい縁が結べるのだろうか。


「そう…そうですわね。貴族としては馴染めなかったかもしれないけれど、庭仕事をしている母様は生き生きとしてましたもの。父様や兄様に相談してみます!」

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