花園5
「私が絵を描けているのは本当に運が良かったからです。たまたま孤児の数が少ない時期にバスキ村の孤児院に引き取られたため手厚く育てられました。絵を描いたり食料にならない観賞用の草花を育てる仕事なんて、孤児にできるはずがありません」
自分で稼いで画材を買えた。経営の母体である神殿に収支報告が必要だとは言え、細かいお金はマザーに取られてもおかしくはなかった。農村だったから食べ物も融通してもらえた。自発的にお手伝いはしても過酷な労働をさせる人なんて周りにいなかった。
並べていけばきりがないほど、自分がどれだけ恵まれていたのかが分かる。
「本来の孤児がどのような生活をしているのかご存知ですか?ろくに食べられずまともに寝られず教育も受けられず、がりがりに痩せて本能だけで生き伸びようとする。服だってボロボロなんです。靴なんか履いてません。でもそれを恥だと思う余裕が無い程生きるだけで精いっぱいで……あなたは本当にそんな生活を望んでいるのですか。こんなに恵まれているのに?」
チビちゃん達が孤児院に来た時の光景を今でも覚えている。保護しようとする大人を信じられずに逃げ回っている子の話も聞いた。実際に悪い大人もいるので、孤児がどの道を選んで生きるのが正しいとは言えない。
それに、私はエボニーにしっかりと利用された。貴族の務めを果たすと言うなら、私はエボニーの意図通り、闇の神を降ろし兵器として扱われなければならなかった。あまり深く考えないようにしてきたけれど、既に開拓村の人が亡くなっている。計画が実行されていたら何倍もの人が死んでいたはずだ。
事情も知らずにあれこれ言われるのは腹が立つ。過去をぶちまけて説明できればいいのに、そんな事をしたらきっと絵を描けなくなる。
そもそも、私が不幸自慢をしたからと言ってカナリーさんの不満が無くなるわけでは無い。自分の置かれた状況を改善する方法が見つからなくて、八つ当たりをしているような物だろう。
私は出来るだけ過去を明かさず、納得してもらえるように少し論点をずらして話をした。
「魔力を持つ孤児を貴族は物としてしか扱いません。私は身を以てそれを知っています。昔、出会ってしまった貴族がそうだったから。記憶を失う程、髪が白くなって今も戻らない程恐ろしい目に合いました」
「そんな事は……私の母だって平民だけど父と結婚できたのよ」
「そのお母様がされた苦労をご存じないだけではないのですか。現に今、カナリーさんは私を絵描きのノアールとしてでは無く、分不相応な魔力を持つ平民としてしか見ていないでしょう?同じ扱いをお母様が絶対されてないと言い切れますか」
指摘されたカナリーさんは、目を見開いた。悲しいことにどうやら図星だったようだ。
身分差があるから対等とまではいかなくても、仕事相手として見てもらえていたのに。こちらとしては同年代の女の子が周りにいないから、友達になれたらいいなくらいに思っていたのに。
自分で言い出したのに改めて大きな溝を感じて、視界が少しずつ歪む。
「私は、貴族に対して偏見を持たないようにしてきました。職業柄、縁を切るなんて出来ませんから。悪い人ばかりではないと自分に言い聞かせて来たのに、出来ればどうかそれを台無しにしないでほしいです。私、カナリーさんとはこれから仕事をしていく上で親密な関係を作れると思ってましたが、不遜な考えでしたね。申し訳ございませんでした」
涙が出ないように最後まで言いきってから、急いでその場を後にした。扉を閉めた途端にぼろぼろ泣きながら、与えられた部屋に戻る。ガガエが心配そうについてくれているけれど、構っていられるほど心の余裕が無い。
部屋に戻ると私を担当しているメイドさんは涙に気付いたが、何も言わず自分の仕事をしてくれた。驚いた事にガガエの寝床まで用意してある。とても気の利く、優秀なメイドさんだ。
布団に入るころには涙も止まり、漸く落ち着いた。枕元には小ぶりのバスケットに布団が敷かれていて、ガガエが横になっている。
「ごめんね、ガガエ。会ったばかりで変な事に巻き込んでしまって」
「んー、それぞれの事情ってもんがあるから仕方ない。ここは、ノアの家じゃないって事は何となく分かった」
「あ、えっと、このお屋敷へは絵の仕事で来ていてね……」
簡単にアトリエやお仕事、身の回りのことを説明した。
もしも、このガガエがあのガガエでも転生前の記憶なんて無い方が良いに決まっている。私を覚えているという事は死ぬ前の数日を覚えているという事だから。それは、ガガエにとっても私にとっても辛いことだ。
だから、絶対に自分からは言い出さない。出来るだけ別のガガエとして扱おうと心に決めた。
……カナリーさんだってエボニーとは別物だ。メイズさんだって。カーマインがいたから貴族を一括りにして憎まずに済んだ。傷つける人がいれば助けてくれる人もいるんだ。
それでも昏い気持ちはまだまだ拭えない。だけど仕事はきちんとしなくては。考えが泥沼のようになってしまいそうなのであまり深く落ち込まずにしっかりと寝て、次の日に備えた。
「おはようございます。妖精さんは何を召し上がりますか」
「ん、どうもお気遣いなく。僕は魔力や花の蜜を糧とするので」
目蓋を晴らすこともなく目覚めた朝は、そんなやり取りから始まった。カナリーさんと顔を合わせるのが少しだけ怖い。と思っていたら、庭にいたのはメイズさんだけだった。
「今日は用事があって来れないけれど、カナリーから指示は受けているよ。妖精の絵も描いてくれってさ」
もしかしたら顔を合わせにくいだけでは、と思う。けれど考えてみればこちらも不敬に当たることを喚き散らしてしまったので、少しだけほっとした。
昨日と同じ様に、早い時間は庭でスケッチをする。傍にガガエがいて興味深そうに私が描くのを見ているので、とても微笑ましい。
「妹が済まなかったね。もう十分に大人だと思ったらまだまだ子供みたいだ」
「いえ、こちらこそさらりと流せばよかったのにむきになってしまって。貴族相手にあれではまずいですよね」
「他の貴族ならね。できれば、世界を広げてやってほしい。いろいろなものの見方が出来て選択肢が増えるのは悪いことではないから」
カリカリと鉛筆を走らせるメイズさんの顔は、妹を思う兄の物だった。そこに、貴族と平民の差なんてない。
―――花園育ちのお嬢様。メイズさんは家を出て野を知る機会があったけれど、きっとそちらの方が貴族としては異質だ。
今描いている花のように手間をかけて育てられ、種を野に放つ機会もなく採取されて外側に世界が広がっている事など知らずに朽ちる。
透き通るように美しい花弁を幾重にも纏った花を、丁寧に描いていく。開ききっていない状態が一番美しいとされているから、この時点で摘まれたり、描かれたりする。
カナリーさんの本音が花のように深い部分に隠されているならば、まだ私に見えていないのかもしれない。近づきたかったら、平民からは決して見えない貴族の苦労を私も知らなければならない。
昼食をメイズさんと二人で摂りながら、状況をもう少し詳しく聞くことが出来た。
「僕が当主になった場合は相手は魔力を持っていれば平民だろうが貴族だろうが構わなくなるけれど、カナリーが当主になった場合は貴族であることに加えて、入り婿や女性が働くことに抵抗のない男でなくてはならない」
「それは、お相手の選択肢がかなり絞り込まれるのでは……」
「ああ、父はそれを心配している。継いだは良いが結婚できず。後継ぎが出来ないのでは魔力以前に我が家がつぶれてしまう」
平民との一番の違いはきっとそこだろう。先祖から受け継いだものを次の世代へと渡さなければならない。女性には子供を産む義務が課せられる。それくらいなら私でも分かる。
「それでも僕がカナリーを当主に押す理由は、僕が継いでカナリーが嫁に行った時を心配しているんだよ」
「どういう事ですか」
「元々平民だった母からは貴族女性として学ぶことも出来なかった。マナーや振る舞いなど表面的なものは先生から学べても、内面はどうしても手本がいない。庭師の仕事をしていた変わったお嬢様。王族からの覚えは目出度いけれど、社交の駆け引きはろくに経験していない。でも、魔力だけはある。膨大な量では無くて貴族として仕事ができる程度のね」
母親から学べなかったカナリーさんは社交については全く知識が無い。パーティに参加してお相手を見つけて結婚する、なんて思っていたらそんなに簡単なものではないようだ。
招待が無ければパーティにもお茶会にも参加することは出来ない。参加できないのなら開けばいいのだが、サフランさんには頼れる様な女性親族はいないので、こちらから招待するのも難しい。
唯一、アトリエ・ヴィオレッタで繋げそうだった同性の付き合いもカナリーさん自ら断ち切ってしまった。
「そんな女の子が他所の貴族へ嫁に出されたらどんな扱いを受ける?うちと同じように植物の仕事をしている貴族には丁度いい相手はいないから、社交だけが女性を支える仕事なのに」
「子供を産む道具、或いは出世のための踏み台としての生殺し……?」
「それなら少しでも立場を保てる我が家にいた方が良い。養子をとると言う手立てだってある。僕の考えはおかしいかい?」
私は首を振った。リスクを少ない方を勧めるのは家族として当然だ。
でも、どちらも本人の意見ではない。
「カナリーさんの意見は聞きましたか?サフランさんとメイズさん、両方の言い分は理解できますが選ぶのはカナリーさんであるべきです」
「そう言えば……聞いた事が無いな」
家同士のつながりが関わってくるため、結婚は本人よりも親の意見が通される。恋愛感情が通されるのは周りに反対される要素が無い貴族同士だけだ。
それでも、仕事が大事な要素になるならそれを行う本人の意思だって重要になってくる。
「どちらを選んでも、助けてあげてください。だってそれが家族と言うものでしょう?従わないから突き放すなんて家族とは呼べませんよ」
「ノアール、君は……」
メイズさん何かを言いかけて、止めた。一瞬だけ、哀れむような目を向けられる。
私はそれに気づかないふりをして笑った。私にとって家族は、エボニーよりもマザーたちだ。
「分かった、聞いてみよう」
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