花園4

 花の絵の魔法陣が光を帯びる。扱えないはずの召喚魔法はしっかりと発動してしまっていて、ふんわりまあるい光が浮かび上がった。

 その光の中に羽の生えた小さな人影が見える。光は徐々に収まり、やがて幼い顔立ちの妖精が現れた。

 肌の色は抜けるように白く、服や髪の色がファタルナの花と同じ黄色っぽい色あいだ。大きさは手のひらくらいかな。

 

「あっれぇ?朝でもないし、花が無いのに召喚されちゃった。なんで?」


 なんでって首を傾げて聞かれてもこちらが聞きたいくらいだ。メイズさんとカナリーさんは目を見開いたまま固まっていて、反応できそうにない。

 妖精は声を聴く限りでは男の子だ。足元の絵を見回し、次いで私の顔を見た。


「もしかして花の絵で召喚したの。すごいね、お姉さん」

「そうみたい。でも、私は召喚は扱えないはずなのよ」

「んーよく分かんないけれど、その首から下げている袋のせいじゃない?強い魔力を感じるよ」


 妖精が指差す先には、人魚の涙が入った袋。そうか、これで魔力が増幅されて使えないはずの召喚魔法が使えたのか。納得。

 妖精が一度伸びをすると、しわくちゃだった蝶のような羽がピーンと伸びた。ついで窓をみると昨夜、寝ぼけ眼で見たのと同じ光がカーテン越しにふよふよと庭を漂っている。


「ん、外で仲間が呼んでる。行かなくちゃ」


 止める間もなく、カーテンもガラスもすり抜けて外へ出て行ってしまった。妖精の姿が見えなくなると漸くメイズさんが落ち着いたようで、ふうっとため息をついた。カナリーさんも気が抜けたのかへなへなと座り来んでしまう。


「かなり不思議な現象だと思うんだけど、ノアールは随分と慣れているんだな」

「そうでもないです。ただわたしは不思議で神秘的なものを描きたいと思っているので……そうだ、こうしている場合じゃない、描かないと!」


 私が慌てて窓を開けて外へ出ると、とても幻想的な世界が広がっていた。清らかな緑色の月の光の下、丁寧に手入れされた花園の上で会話するように明滅を繰り返す妖精の光。きっと昨日の朝に咲いた花から召喚された妖精もいるのだろう。

 図鑑用の妖精を描くつもりで外へ出たが、この景色を描かずにはいられない。

 でも、いくら月夜でも細かく絵を描けるほど明るくはない。明かりを灯すための魔法陣を描きかけて、私は途中で手を止めた。


 ―――やめよう。この素晴らしい光景を光で邪魔をするのは何ていうか……無粋だ。


 元々、鉛筆だけのデッサンで光を表現するのだって難しいから、私はその様子をじっくり観察して目に焼き付けておくことにした。後で描ければいいや。


 光は、少し強く風が吹けば流されてしまう程に脆弱だった。まばらに飛んでいると思ったものはよく見ていると一対ずつになって、くるくる円を描きなら上昇し月明りの中へ次々と消えていった。

 一つだけを残して。


「何だか、あいつらと僕は違うみたいなんだ」


 残った妖精は私が召喚したものだった。置いて行かれたのに寂しがる様子も無く、しきりに首をひねりながらこちらへ戻ってきた。


「花に召喚された妖精は月夜に受粉を手伝ってその後つがいを求めるんだけど、僕は何故かお姉さんに魅かれてる」

「え」

「あ、恋愛とかじゃないよ。僕だって相手は同種が良いから。もしかしたら召喚主だからかもしれないね」


 びっくりした。状況だけ見れば月夜の花園なんてとてもロマンティックなんだけど、相手が手のひらサイズの妖精だ。可愛いけれど全くときめくことなんて出来ない。本人も否定しているし。


「一緒にいてもいい?」

「構わないけれど、大丈夫なの?仲間と一緒にいなくて」

「んー、多分、なんとなく、大丈夫。きっと僕は普通じゃないんだよ」


 歯切れがいいのか悪いのか分からない返事をした妖精を連れて、屋敷の中へ戻る。絵の続きを描こうとしたら道具は既にメイズさん達によって片づけられていた。


「二人も見に来ればよかったのに。とても綺麗でしたよ」

「ここから見てただけでも十分だよ。ノアールは得体の知れないものに対しての危機感が無さすぎる。妖精に連れて行かれたらどうしようかと思っていたよ」


 メイズさんが顔をしかめながら言った。神隠しだの取り替えっ子だの、確かに妖精のいたずらとされる逸話はこの世界でもある。孤児院に寄付された絵本の中にもあった。どうもここでの妖精は可愛いだけの存在ではないらしい。


「失敬だな。召喚主に対してそんなことするわけないじゃないか」

「連れてきてしまったのですかっっ!」


 遅れて屋敷の中に入ってきた妖精が憤慨するとカナリーさんが悲鳴混じりに声を上げた。


「大丈夫。私と一緒にいたいだけなんだそうですよ。えっと……名前、なんだったかしら?」

「僕の名前はガガエ。御存じのとおりファタルナの妖精だ。まだ若いけど悪さをするような連中とは一緒にしてほしくないな」


 妖精は心外だと言う様に肩を竦めたけれど、私はそれどころではなかった。


 息が、止まるかと思った。


 子供の頃に悲しい別れをしたゴブリンと同じ名前を持つ妖精が現れるなんて。これは、偶然の一致?よくある名前なのかな。もしかしてガガエの生まれ変わりだなんて淡い期待を持つのは、尚早すぎるかな。

 固まっている私にかまわずメイズさんが会話を続ける。


「花の妖精の名前にしては何ていうか……無骨な名前だね。誰に付けてもらったんだい?」

「知らない。人の名前にケチつけるなんて本当に失礼な奴だな。それより僕は名乗ったのに君たちは教えてくれないの?」


 ガガエがまず私の顔を見たので、私は反応を期待しながら名前を名乗った。


「私の名前はノアールよ」


 ノアって呼んで―――


『ギギゴ』

『ガンガエ』

『ノア、バイバイ』


 ダメだ。まだガガエだと分かったわけでは無いのに、何だか走馬灯みたいに記憶が蘇って涙が出そう。けれどガガエは懐かしむでもなく、何ともなしに言い放った。


「ふうん、髪が白いのにノアールって言うんだ。変わってるね」


 出かけた涙は引っ込んだ。……これは、同じ名前の別人かなぁ。

 内心がっくりしながらも、それを表面に出さないように笑顔で答えた。


「小さい頃は黒かったみたいなんだけどね。途中で白くなってしまったの」

「ん。苦労したんだね」

「えっとそれで……こちらがメイズさんにカナリーさん。お二人とも貴族です」

「よろしく。小さな妖精さん」


 メイズさんが挨拶をするとガガエはぺこりとお辞儀をした。和やかに紹介を終えて、今日はもうお開きになるかと思ったら、カナリーさんが険のある表情で私を問い詰める。


「ノアールさん、説明をお願いできるかしら。あなたも平民なのに魔力を持っているの?しかも魔法陣を扱えるなんて」

「ええと、はい。孤児だから両親は知りません。魔法陣は孤児院のマザーが神殿出身だから……」

「そのマザーはどうしてあなたに魔法を教えたのかしら。貴族も魔法を学ぶときには神殿から教師を呼びます。けれど孤児に教えるなんて聞いた事も無いわ。普通は神殿に入れるでしょう?」

「私はその時点でまだ孤児だと確定していなかったので……」


 突然の話題転換とカナリーさんの剣幕について行けず、しどろもどろに答える。


「カナリー、今日はもう遅いからそこまでに……」

「おまじない程度の魔法陣だったらいざ知らず、妖精を召喚できるほどの魔力を持っているなら貴族に協力すべきです」


 メイズさんが助け舟を出してくれたが、構わずカナリーさんはまくしたてる。私の置かれている状況なんて何も考えず、きっと義務を果たせと言いたいんだろう。狭い世界で生きて来たなら、それは仕方のないことだ。


 魔力を持った平民の子供は、神殿に入るか貴族の養子になるか二つの選択が出来る。貴族の血筋を持つ者しか魔力を持てないと言うのが通説なので、そのどちらに対しても忌避感はもたれない……はずだ、本来ならば。


 貴族の血が流れているとはいえ身分としては平民で、場合によっては魔力の発露が何代も後に起こる先祖返りだったらその貴族の血もほとんど残っていないわけで。そんな存在を貴族が自分たちと同じように扱うと思ったら大間違いだ。


 私は自分で選択して孤児院に残ることを選んだ。絵が描きたかったから。マザーも寿命の短いとされる闇の日生まれだから好きなように生きさせてくれた。

 魔法を教えてくれたのは、少しでも生き延びる可能性を増やすためだ。魔力を抑え込まず、時々使用して暴発を防ぐ。だから、戦争で使うような大きな魔法は教えられていない。


 ここまで健康で平穏に生きてしまったら、闇の日生まれ、なんて言い訳は通用しないんだろうな。


「ずるいです。私だって何にも悩まず自分の好きな事だけして平民として生きたかった。ノアールさんみたいに孤児でも絵を描けるなら私だって孤児でも庭師として生きられるはず」

「本気で言ってますか、それ」


 あまりに言い方が酷くて、怒りに目がくらんだ。

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