花園2
お屋敷出入り用の服装から絵を描くための服装に着替えて庭に出る。食事の時には食事用の服に着替えなければならない。もちろん寝間着だってある。
貴族って思ったよりも面倒だ。アトリエにいる時には寝間着以外全部同じなのに。
花が咲いている期間がどれ程かまだわからないという事もあって、メイズさんと私の二人でまず真っ先に新しい品種の花を描いた。どちらが優れているかなんて、メイズさんに決まっている。私も描いたのはこの後に取り掛かる図鑑の絵を似せるためだ。画家によって全く違う絵柄では、図鑑にならなくなる。
この花園にあるものは実物を見て描き、無い物は古い図鑑の絵を模写する。季節によって咲く花も変わるので、カナリーさんから開花の連絡を受け次第、断続的にここを訪れることになる。貴族相手とあって実入りもいい。
物によっては薬草学や魔法学に関わってくるものもある。貴族向きだとばかり思っていたが、やはりアトリエ・ベレンス向きかも知れない。
「一人でやるには多すぎるからね。君がいてくれて助かった。依頼を受けてくれて有難う」
隣で私と同じようにスケッチしているメイズさんが、お礼を言ってきた。
ちなみに紫苑さんは絵柄が違いすぎて向かないらしい。意図的に似せたとしても数が多ければどうしても自分の絵のタッチが出てきてしまうのは否めない。先生は他の仕事もあるので長時間拘束されるのは無理なようだ。
朝早く咲く花や夜に咲く花もあるので、暫くはメイズさんの家に寝泊まりすることになる。
……という事は。
「トープの目覚ましや紫苑さんの突撃が無いんだ。やったね」
「浅葱から直々に監督命令が出ているからね。悪いけれどその辺りはしっかりさせてもらうよ」
間髪入れずににっこり美麗な笑顔でメイズさんの脅し、頂きました。聞こえないように呟いたのに、メイズさんてば地獄耳。
新種の花にまだ名前は無く、王か王妃に付けてもらうらしい。淡いピンク色で、薄い絹のような花弁が幾重にも重なる薔薇のような花だ。
スケッチの状態でも葉脈や棘の部分まで細かく書き込む。形だけでは無く色もしっかり付けて把握しておかないと、清書の時にいちいち庭に戻らなければならない。
外でスケッチブックに描いて屋敷の中で専用の紙に清書する。王に提出する物だから出来るだけ綺麗な状態で保存したいのに、屋外で使えば日焼けしてしまうからだ。日差しによって同じように描いていても色合いが変わってしまう場合もある。
身分の高い方々へ納めるので使う紙は羊皮紙だ。水彩で描くので茎や葉、花の色の濃淡や書き込みの加減も私にとっては慣れていてやりやすい。絵の具が滲(にじ)まぬように乾くのを待たなければならないけれど。
お屋敷の中にアトリエのような部屋があるのには、少し驚いた。一階の隅の方にあって、窓を開いてそのまま庭へ出られる造りだ。道具もそろっていて、他所で描かなくてもここで十分絵描きとしてやって行けそうなのに、どうしてアトリエ・ベレンスに入ったんだろう。
「うん、あまり問題はなさそうだね」
私の絵と自分の絵を見比べながら、メイズさんは言った。
「素晴らしいですわ。ノアールさんの絵は線の太さや色合いもお兄様の絵に似てますものね」
「違います。おそらくメイズさんが私に似せてくれているんです」
考えてみればものすごい技術だ。
学校の部活でも絵画の模写をやったことはある。ただ、あれは既に完成している物を参考にして描くのであって、今私が描いている絵に似せるのは、きっとかなり難しい。
「前に花の絵を描いていただろう?それを覚えていただけだ。とても美しいと思ったからね」
「それでも普通は出来ませんよ。やっぱり違和感が出てきてしまう物だと思います」
「そう?なら元々絵のタッチは似ていたという事にしておこう。図鑑の方は明日からにして、今日はお仕舞にしようか」
初日は、新種の花の絵のみとなった。明日からはカナリーさんの指導の下、花の咲く順番を考えつつの作業となる。後で清書をするとは言え、デッサンにも気が抜けない。しかも数種類を纏めて描くのだ。
道具を片付けながらふと、合宿みたいだと思った。もちろん美術部に合宿は無かったし、普段アトリエにいる時だって同じようなものなんだけど、同じ年頃の女の子なんていないし暫くお金の心配をしなくていいので少し浮かれている。
けれど。
日常と違う場所にいると、それだけでほんの少しだけ不安になる。ましてや貴族のお屋敷だ。エボニーの屋敷とは全く違うのに、どこかもやもやした気持ちになる。こんなんで外に描きに行けるのかな。
「きつく御座いませんか?」
私に付いてくれているメイドさんが、服の具合を確認する。これから食事なので着替えているのだが、私はどうやら沈んだ顔をしていたらしい。明るい声になる様に笑顔で答えた。
「ええ、大丈夫です。有難うございます」
言われるがまま、促されるままに着替えをし食堂に行って席に着くまでの間、屋敷の中には美術品も何点か飾られていて、メイズさんの美的センスは間違いなくここで育ったと言える。
上品で繊細で、けれども華やか。
亡くなったお母様の選んだものらしく、数年間変えられていないそうだ。
「ノアールさんが来てくれて本当に良かった。屋敷に戻ってもお兄様は私たちと一緒に食事を取りたがらないのよ」
食器の音だけが響く険悪な雰囲気を想像していたが、カナリーさんのお陰でそうでもなかった。楽しいおしゃべりをしながらの食事は、マナーを心配していた私の緊張をうまい具合に解してくれる。
ただ、メイズさんは渋々その場にいると言う感じだし、メイズさんのお父さんのサフランさんは一言も話さない。
「流石にノアールだけを父さんの前に出すわけにはいかないからね。余計な事を吹き込まれそうだし」
「私は楽しいですよ、皆さんと一緒に食事をするの。今まで貴族の食事をした事はありませんし、この鶏肉にソースをつけて食べるのも美味しいですね」
野菜で絵の具を作り損ねた悲しい思い出がちょっぴり蘇る。
「我が家で摘み取ったハーブを使用してます。食材として献上することもあるのですよ」
へぇ、と私はまじまじと料理を見た。もしかして生の野菜やハーブをとれたて新鮮なまま使用しているのなら、王族よりも贅沢な食事をしているのではないだろうか。バスキ村で作っている野菜よりも苦みが少ないし、土や育て方が違うのかな。
皿から視線を上げると、にっこり笑顔のカナリーさんと目が合った。
「興味がおありですか。私と共に園芸の道を究めてみます?」
「いえ、私には絵の仕事がありますので」
「こらこら、うちの若手を容易く勧誘しないでくれよ」
話は専ら私とカナリーさんで、メイズさんが時折口を挟む程度。サフランさんは未だに口を開かず、ひたすら食事に専念している。昼間見た限りだと物凄い堅物と言うわけでもなさそうなのに。
せっかく一緒に食事をしているのに、距離が開いている。貴族の中年男性ってみんな同じ感じなのかな。
「代々王家にささげる花を育てているなら、ご当主のサフランさんも様々な植物を手掛けていらしたのですか?」
「いや、私は―――」
「ノアール」
メイズさんが首を振った。どうやらタブーな質問だったらしい。「失礼いたしました」と謝り、話題を変えようとするがカナリーさんに遮られた。
「別に隠すことでもないでしょう。花のお世話ははお嫁に来た母様がしていて、当主のはずの父様には才能が有りませんでしたもの」
「カナリー!」
メイズさんが強い口調で窘める。お父様を嫌っていたのはメイズさんだと思っていたけれど、どうやら複雑な事情がありそうだ。
結局その日の夕食は剣呑な雰囲気で終えてしまった。
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