手紙

「そう言えばノア、ここに来てからマザーに手紙出していないだろう」


 食事の時に切り出された話題に、私は手を止めた。例によって例のごとくトープと一緒に朝食を取っている。お陰で毎朝寝坊も出来なくて、必然的に夜も早くなっていく。紫苑さんに担ぎ出される回数も少なくなってしまった。非常に健康的な生活だ。


「出してないけど……まだ半年しか経ってないよ?」


 手紙と言えば年賀状、そんな感覚の私にとっては年に一回出せば良いものだと思っていた。でも考えてみれば電話もメールも無いから、連絡を半年も全く取っていない事になる。

 やっぱり不義理だろうか。でもこれと言って書くような出来事もない。

 トープは私の言葉に呆れた顔をする。


「|半年も経っているんだ(・・・・・・・・・・)。市場の方にも全然顔を出していないからフリントも心配している。しっかり稼げているのかってな」

「トープはどれくらい書いてるの?」

「俺は月に一度くらいかな。時々チビ達に日持ちのするお菓子やおもちゃなんかもフリントに持って行ってもらってる。切手代の節約になるし、余裕ないから少しだけどな」


 なんと……トープがそこまでしっかりしているとは夢にも思わなかった……。前世の分まで積み重ねればほぼ倍は生きて居るのに、自分の事しか考えてない自分が情けない……。


 とはいえ、私の稼ぎが少ないためにまだそれほど感じないが画家の稼ぎはアトリエの運営でかなり持ってかれる。家賃を引かれ次の活動の先行投資として画材を買えば、ほとんど手元に残らない。

 時々家賃もぎりぎりになる。先生や紫苑さん達のお陰、或いは画材の売上でトープ達が食べていけるような状態だ。


「トープは給料いくらくらいもらってるの?」

「家賃の分を引くと五千ルーチェくらいだ。食事もここで出るし、服も自分で買える。あまり余裕が無いって言ったけど、他所に比べれば恵まれている方か」


 ちょーっと聞きにくいし答え辛いことにもトープは素直に答えた。金銭的だけでなく人間的にも余裕があるんじゃないのか。

 トープのくせに。


「ずるい。なんかずるい」

「ノアは稼ぎにならない絵に画材を使いすぎじゃないのか?サーカスの時だってそうだろう」


 痛いところを指摘されうぐっと言葉に詰まる。普段見かけない種族の生き物を描くのが楽しくて、調子に乗ってスケッチブックを何冊も費やしていた。もちろん全てに色も付けているから、稼ぎのない絵にどれだけ出費をしたのか計算も怖くてできない。


「手紙だけでも一緒にフリントに渡してみたらどうだ?」

「うん。……あ、良い事思いついた!だったらトープの絵を描くよ」

「は?なんで」

「普段仕事をしているところを描けば、トープはこんな風に仕事をしているよ、私はこんな絵を描いてるよって知らせることが出来るもの。会っているのはフリントさんだけなんでしょう?マザー達に見せることも出来るし。よし、バフさんに頼んで工房に入り浸らせてもらおうっと」

「待て待て待て。おい、なんでこんな時ばかり食うのが早いんだっ」


 トープより先に食堂を出てバフさんに事情を説明すると、快く許可をくれた。


「なるほど、そう言うことならトープは今日一日中、単純作業を任せるとするか」

「げ、うそだろ……」


 バフさんから指示されたのは一人で抱え込める程度の大きさの小さな石臼を回し、顔料の元になる鉱石をすりつぶす作業だ。

 確かにこれなら動きも少ないから描きやすい。

 私は近くに座り、便箋程度の大きさの紙にトープを描いていく。回すのに相当な力が必要なのか、少し顔が赤い。


「トープ、集中して」

「う、うるせぇ」


 どうしてもこちらに気が散ってしまうようで、チラチラと視線をこちらに向ける。ばちっと会ってしまうと慌てて石臼へ目をやるけれど、しばらくしてまたこちらを見はじめる。マザーやフリントさん達の報告書も兼ねているから真面目なトープが描きたいのに。

 仕方ない。少しだけ脚色してあげるか。

 一人前の職人のように仕事に取り組んでいるよう、まじめできりりとしたトープの顔にしてあげよう。


 緊張をほぐすために、差しさわりのない会話を始める。


「人魚のシアンさんはね、東の海で生まれたんだって」

「ああ。南の海で生まれた人魚の鱗はもうすこし明るくて緑がかった色をしているらしいぞ」

「そうなんだ」


 絵の具の原料の知識を少しずつ増やしているトープに対して、あまり成長しているように思えない私は褐色の肌をしたギャル風人魚なんておバカなことを思い浮かべた。神秘さの欠片も無いね。

 でも、海の中の絵をシアンさんは喜んでくれた。少しずつ前に進めてはいる筈だ。


「南の海か……絵を描くために外に出るとしたら、初めはどこが良いかな」

「西側のイーリックはその北西のギルテリッジと戦をしているから、東側のウォルシーだな。ウォルシーにある大森林ならユニコーンやエルフに会えるらしい」


 ウォルシーは人間からしてみれば未開の地だ。トープの言うとおり気軽に立ち入るのをためらう程、深く広い森がある。大陸の東の端にあり、その先がシアンさんの故郷の海。


「私でも行けるかな」

「護衛がいないと無理だろ。そのために費用も稼いで……そう言えば親方、スマルトさんってその辺りどうしてるんですか」


 話を振られたバフさんは、作業をしながらも答える。


「あれは画家と言うより冒険者だ。冒険者として稼ぎつつ絵を描いている。居住棟に部屋が無いから家賃も取られないしな」

「それってアトリエに所属している意味はあるのですか?」

「ああ、王都にある大神殿の巨大なドラゴンの壁画は、あいつと先生で描いた。どれだけ腕が良くとも実物を見ていない紫苑には描けない。そう言った仕事を請け負うにもアトリエには欠かせないやつだ。例え普段ほとんどいなくてもだ」


 なるほど、外で描くには腕っぷしが必要。私の戦う手段は魔法陣が辛うじて使える程度かな。流石に殴る蹴るだの、剣を持って特攻だのは出来ない。寧ろ自分がケガをしそうだ。


「今度帰ってきたら、ノアールが安全に行動できる範囲で試しに連れて行ってもらえばいい。それまではこの街の中で描くしかないな」


 冒険者を雇う余裕はないから魔法陣の精度を高めて、人魚の涙を装備しているから水魔法特化か。回復系の魔法陣なら使えるから、治療薬や飲み水を用意しなくてもいいのは助かるね。

 ああ、でも攻撃が出来ないな。水の上位魔法の氷系を少しだけ訓練しておくか。


「いいか、間違っても一人で旅しようなんて思うんじゃないぞ。どうしてもって言うならトープを連れて行け」


 精霊石って言うくらいだから精霊がぴょこって出てきて魔法を使ってくれればいいのに。未完成魔法陣を持ち歩くのだって限度がある。取り出して魔力を流すタイムラグだって命取りになるかもしれない。


「トープなら喜んでノアの盾になるからな。惚れた女を守って死ねるなんて男冥利に尽きるなぁ」

「って親方ぁ、なんで俺が死ぬこと前提になってんスか。ノアは全然聞いてねェし」


 ふと顔を上げればバフさんとトープが微妙な顔をしてこちらを見ていた。


「死なせるくらいなら連れて行きません。私一人で死にます」

「ノア、いっ今の聞いてたのかっ」


 トープが面白いくらいに慌てふためいている。

 好いてくれるのに悪い気はしない。寧ろ女性画家が軽く見られる風潮のあるこの世界のこの時代に置いて、トープは本当に良い理解者だ。

 外に描きに行くことも結局のところ、止めはしない。

 けれど、天秤はまだまだ恋愛よりも絵を描く方へと傾く。


 本当に、私なんかのどこが良いんだろう。


 私一人が生き延びるまでどれだけ闇の日生まれが犠牲になったか。孤児院に入るまでどんな人間に育てられたのか。その話をトープだって聞いてるのに、偏見も何も持たずに接してくれる。

 八歳の頃だったからわからないかもしれないな。


「よしっ、描けたっ。見て下さいバフさん。どうです、このトープ。三割増しでかっこよくしてみました」

「おお、なかなか。仕事をしっかりしているように見えるな」

「その言い方だと俺がまるでサボってるみたいな……ノア、フリントが市に来るのは明日だ。一緒に行くか」


 私は何も知らないふりをしてうん、と頷いた。

 ごめんね、トープ。まだまだ意識しそうにないよ。きちんと告白されるまでは、黙っておこう。



 翌日、フリントさんに久々に会ったら、なんかものすごく怒られた。「攫われた過去も早死にする可能性もあるんだから自覚しろ」だって。トープがいるんだから大丈夫なのに、って自分でもかなり調子いいことを思っているのに気付いた。


 少し、離れてみるべきかもしれないね。

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