サーカス編6
横顔で描きたい。真っ直ぐ未来を見据える様な、凛々しさを持ち合わせた美しい横顔を。でも、宣伝効果を考えると真正面を見据える様な顔も捨てがたい。海のように深く青い神秘的な眼差しは、きっとお客さんを呼び寄せる。
「ううう、どうしよう~」
今日も午前中にサーカスへ行き、帰ってきてずっと描いていたのですっかり日は暮れてしまった。浅葱さんに下描きとして見せた切り絵風の絵は、他の場所で使われていた有名なデザインと似ているから避けた方が良いと言われて切り捨てた。盗作の疑いを持たれそうなものは排除した方が良い。
徐々にデザインのパターンを絞り、髪の流れや手の位置なども微妙に違うラフをたくさん描いて、取捨選択をして最終的に二パターンまで絞り込んだ。余白にあしらう為の模様は、商売繁盛の魔法陣をこっそり入れて別に描き上げてある。
明日もう一度行く前に、どちらかの図案を上げて紫苑さんや先生に意見を聞いておきたいと思う。
細かい模様も含まれているので、一か月と言われたけれど出来るだけ前倒しで終わらせたい。その分、彫るのと刷るのに時間が掛けられるからだ。最終的にオーカーさんとシアンさんに聞いて、OKが出たら清書して、紫苑さん達印刷組に引き渡す。
夕食を食べ終えてから何時間か立っている。そろそろ紫苑さんに回収されてしまう時間だ。その前に先生の意見を聞いてみようと、扉に駆け寄った。取っ手に手を伸ばしている時に反対側から開かれて、紫苑さんが顔を出す。……あと一歩遅かったか。
「ノアール、そろそろ寝ろ。また担ぎ出されたいのか」
「丁度良かった。紫苑さんの意見も聞かせてもらっていいですか?」
「ダメだ、明日にしろ」
芸術家は不摂生で退廃的な生活をしているイメージがあるのに、どうしてこのアトリエには真面目な人達ばかりなんだろう。ナルシストなメイズさんは肌が~とか言って自主的に規則正しい生活をしているけれど、紫苑さんや先生も規則正しい生活をしている。お酒も嗜む程度で飲んだくれな生活はしていない。
キリの良いところまで上げたい私としては、少々不満だ。力では勝てないから言葉で何とかしようと考える。見せて、意見を聞くだけでいいのに。
「どちらか迷っているんです。意見を―――」
「ダメだ」
「―――先生に聞きたくて―――」
「ダメだ」
「―――紫苑さんが彫るんですよね、でしたら―――」
「ダメだ」
聞く耳も持ってもらえない。大きな図体で両手を伸ばしながらこちらへ無表情で迫ってくる紫苑さんは、何だか変態臭くてちょと怖い。思わず後ずさりながら文句を言う。
「そんなに私に触りたいんですか、変態みたいですね」
「浅葱が小さい頃にもしてたことだ。問題ない」
「小さい頃っていくつですか。私、十六です。立派な淑女です」
「体形的には変わらないので問題ない」
「ひどっ」
必死の抵抗もむなしく俵のように担ぎ上げられてしまった。ささやかな抵抗として足をじたばたさせるが、筋肉質の紫苑さんの体は私がどれだけ暴れてもびくともしない。
「降ろしてくださいっ自分で歩きますから……あ、トープっ、助けて」
アトリエから居住棟へ移動する時に、窓から明かりが漏れる中庭でトープに会った。風呂上りらしく、ホカホカと頭から湯気を立てながら首にタオルを掛けている。牛乳瓶がとっても似合いそう。
助けようとするでもなく、心なしか嬉しそうな声が聞こえてくる。
「紫苑さん、俺より立派にお兄ちゃんしてますね。ノア、良かったな。面倒見てくれる人が増えて」
「う、裏切りものぉぉぉぉ~」
お兄ちゃんの座をこうも簡単に明け渡すなんて、それでいいのかトープ。
結局部屋の前まで運ばれて、漸く降ろしてもらった。頭に血が上って少しだけ平衡感覚がおかしくなる。足元がおぼつかないため、すり抜けてアトリエに戻ることも出来ない。
「ううう。今日中にキリの良いところまで終えれば明日には印刷に回せたのに」
「早くないか?まだまだ余裕があるだろう」
「初めての依頼だからきっちり仕上げたいです。模様が細かいので印刷でどうなるか分からないし」
紫苑さんは背が高いので話そうとすれば自然に見上げる形になる。くらくらする頭で見上げようとしたが、耐えきれずに下を向いた。がっくりと肩を落としたように見えたのか、紫苑さんにため息をつかれてしまう。
「分かった。明日の朝、アトリエで待ってろ。先生も連れて行くから」
「有難うございます、それではおやすみなさい」
「ああ」
もちろんその後にお風呂は入りましたとも。規則正しい生活をしているせいか、それとも若いせいか、疲れていても何も出来ないほどにまで陥ったことは無い。
「ほうほうほう、初めてにしては中々のものだのう」
次の日の朝、先生が感心したように声を上げたのでとりあえずは安堵した。背景の絵はまだ別々だったけれど、見せながら説明をした。使いたい色もほぼ決まっているが、印刷に向く色が分からないので工房とのやり取りになる。
「横向きと正面のどちらにしようか迷っています。どちらも反転しても差し支えないように描いてますが……」
「正面が良いと思う。横顔だと輪郭の線を太くとったとしても背景の模様と境が分からなくなる。ここに色を置かないなら、正面にすれば間に髪の毛の青が入るから―――」
先生では無く、紫苑さんが珍しく言葉多めで指摘した。確かに、描いた本人ではそう言う物として認識しているので気づきにくい部分だ。先生も同意し、頷いた。
「だ、そうだ。私も同意見でこちらを押しておこう。横顔も魅力的だがこの図柄で色を入れるならその方が良い」
「先生、有難うございます。線の太さはどうでしょうか」
「問題ない」
紫苑さんは大きく頷いたので、不安が吹き飛んだ。
「では、今から清書してサーカスへ見せに行ってきますね」
「午後から彫りに入れそうだな。こちらも支度をしておこう」
まだ依頼主にも見せていないのに、先走る紫苑さん。断られるわけがないと言われている気がして何だかとてもこそばゆかった、
シアンさんとオーカーさんに見せたところ、甚(いた)く気に入ってもらえてゴーサインが出た。紫苑さんに引き渡し、印刷をお願いする。色の調整で立ち会うことはあっても、これから先はほとんど私はタッチしない。ここの所アトリエにずっとこもりきりだったので、今日の午後は自分の部屋でゆっくりと過ごすことにした。
自分の部屋で思いっきり伸びをする。
「んん~締切明けの漫画家ってこんな気分なのかな。解放感がすごい」
手応えと、充実感。受け入れられたと言う満足感。それとまずは念願のファンタジーらしい絵が描けたと言う達成感。明日の午前中からは獣人や火吹きトカゲも描かせてもらう約束だ。わくわくしないわけがない。
多分、今の私の顔はにやけているだろう。誰にも見られないようにベッドにダイブして、枕に顔を埋め手足をじたばたさせる。
お金にはならない仕事だけど、きっといつか役に立つ。何より私の心の安寧に必要な事だから、止める気はさらさらない。
遠足の前日みたいに、なかなか眠りに就けなかった。
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