サーカス編5
「そう、私も若い頃はそれが嫌でね。海で人間が亡くなると、花を手向けたりするでしょう?ああ、良いなって思ったの。きちんと悲しんで、追悼して、前へ進めるの。羨ましいなって」
話すシアンさんの顔は決して暗いものではないけれど、聞いているこちらはきゅうっと胸を締め付けられてしまう。泡となって消えた同族を、いつまでも亡くなったことを知らずに探したり待ち続けたりするのは、辛すぎる。
寿命が長い分だけ、余計に。
暗くなってしまった私を気遣ってか、シアンさんは明るい笑顔で言った。
「それで人間との生活を夢見ていた時に私が恋して陸まで付いてきたのが、あの子…オーカーのひいおじいさんよ」
「ひいおじいさん……」
何だかぴんと来ない。前世で私が小さな頃にひいおじいちゃんは生きて居たらしいけれど、それだって物心つく前の話だ。オーカーさんだって若いわけでは無いので、『曾祖父』はもうご先祖様の部類と言う感覚になる。
人魚と人間の寿命の違い。年数で表すよりもこうして話で聞く方が違いが物凄く分かる。
「そうよ。海辺で人間の観察をしている時にうっかり打ち上げられてしまったのよ。干からびそうになっているところを助けてもらったの。何度か会っているうちにいろいろな陸の景色を見たいって言ったら、サーカスを立ち上げようとしていることを打ち明けられてね」
出演を条件に連れて行ってもらう約束をしたらしい。ついて行く方も連れて行く方も大変だったけれど、お互いがいるから乗り越えられたと、懐かしむような慈しむような顔でどこか遠くを見ながら話す。
大恋愛だ。生活の基準が違えば同じ人間でも大変なのに、種族が違う相手を選んだうえで結ばれるなんて本当に素敵な話。あれ、でも―――
「変な事を聞きますけど、人間と人魚の間に子供は出来るのですか?オーカーさんがひ孫という事は、人魚であるあなたの血を引いてい…ると……」
瞳を揺らし、少しだけ顔を強張らせるシアンさんを見て私の声は段々と小さくなる。聞かなければ良かったと後悔した。馬鹿だ、私。
「…ごめんなさい」
謝っても失言を拭うことは出来ない。シアンさんは首を振って気にしないでと言ってくれたけれど、興味本位で人を傷つけるなんて最悪だ。
おそらく思いは通じあっていたはずだ。水を大量に必要とする人魚は、単にサーカスの見世物としてだけでは割に合わない。きっと傍に居たかったんだろうな。
まるで人魚姫のような、いや、それ以上に残酷な展開だ。
王子に別の相手が出来たからと言って泡にもなれず、陸地には殺せば人魚に戻れると言ってくれる仲間や姉妹も居らず、逃げ出せもせず耐えるしかないなんて。
「そんな暗い顔をしないで。裏切られたわけでは無くてね、私から頼んだの。サーカスを続けるにはあの人の子供が団長を継ぐのが理想的だし、元々、人魚のオスは少なくて一夫多妻だから覚悟はしているの。芸をする以外、私は世話を掛けているばかりであの人に何もしてあげられないから、傍に置いてくれただけで十分よ」
怒りでも悲しみでもない、かと言って諦めでもない表情。遥か遠い未来を見据えた、そんな愛し方もあるんだなと思った。海を出た理由が理由だけに、シアンさんの性格から来る選択かもしれない。
「苦しくないですか?」
「ぜーんぜん。あの人の子供、孫、ひ孫どころか玄孫まで見られるのよ。不意に面影を感じてしまって会いたくなる時もあるけど、私を選んでいたらこの子たちに会えなかったと思うと、今はそちらの方が寂しいもの」
いつもの笑顔が戻ってきた。すごいなぁ。帰る場所を自ら断ってまでついて行くなんて私には出来ない。人魚って儚げで神秘的かと思っていたら、それだけではなかった。
休憩を終えて、またスケッチを始める。話を聞いた後ではシアンさんの顔は違って見えた。人魚であるが故の悲しみと、それを乗り越えられる強さ。
描くのは肖像画ではないけれど、出来るだけ表現できたらいいな。
スケッチは午前中で切り上げ、それをもとにして午後は全体のデザインを考える。黒と青の二色のみで切り絵風、背景に円形の装飾的な模様を施してミュシャ風、シアンさんの向き、角度、体勢。ラフを何枚も描いては、悩む、悩む、悩む。
描いているうちにどんどん分からなくなり同じようなデザインも描き始めた為、そのうちの何枚かに見本になる様に色を載せたものを並べて遠くから見てみる。どれが目を引くか、興味を持てるか。
すっかり暗くなった頃、扉をノックする音が響いた。
「ノーアーちゃん、ちょーっと今いいかなー?」
来たっ、浅葱さんだ。おそらく任務の結果を聞きに来たのだろうけれど、先手を打つ。
「丁度良かった、浅葱さん。どれが一番いいと思いますか」
落ち込んだ状態で判断してほしくないので、並べた絵を指さして聞いてみた。ゆるい感じの口調だったけど、きっと張りつめた状態でここへ来たのだろう。拍子抜けしたようでちょっと間抜けな返事をされた。
「へ、ああ、うーんと……」
美術品に多く携わる、ましてや売り込む仕事もしているのだから、浅葱さんの目は確かだと思う。その辺りを期待して応えを待つ。本当は自分で全部決めなくてはならないのだけれど、独りよがりな絵になってしまうのは嫌だ。
「この切り絵っぽいのはステンドグラスみたいで目を引くね。色も二色だけならお客さんの要望通り低価格でもできる。でも芸術として見るならやっぱりこちらかな。これからもう少ししっかり描くんだよね?」
ミュシャ風に描いた方を指さされたので頷く。私の個性では無いかもしれないけれど、目的と用途を考えると仕方のないことだ。
「シアンさんの向きはどうですかね」
「あまり奇をてらわない方が良いと思う。頭を下にすると上下逆に見る人も出てくるかもしれないよ」
浅葱さんは、絵をひっくり返した。シアンさんがのけ反る様に泳いでいるみたいだ。これはこれで有りかも知れないけれど、しっくり来ない。
「先生にも見てもらった方が良いかもね。無名だったころには同じような仕事をしていたみたいだし」
「そうなんですか」
「誰だって最初はそうよ……それよりノアちゃん。私がここへ来た理由、分かるよね」
相手が落ち込むと分かっていて告げるのは、辛いものがある。けれど、早いうちに知っておいた方が傷は浅くて済むかもしれない。意を決して、シアンさんから聞いた事を報告した。
「結婚されてます。お子さんも二人いるそうです」
「そう、そうかぁ……」
泣かれてしまうかなと気を張っていたけれど、力の抜けたような顔でへらっと笑う浅葱さんの反応にこちらが驚かされた。
「えっと、そこは笑うより泣くものでは」
「うーん、だって仕方ないって諦められるじゃない。もし奥さんいなかったら告白するかしないかの二択。受け入れられたとしても付いてくか行かないかの二択を迫られるし、ちょっとほっとしたって言うか」
「ま、まあ、子供までいるのにそれでもって言われるよりはいいですけれど……はぁ、なんか気が抜けました」
気が抜けて、肩の力も抜けた。失恋した友達を慰めるなんて経験はしたことないし、年上の浅葱さんに恋愛を知った風な口をきくのもおかしいし、どうすれば良いのかをずっと考えていた。
「心配してくれてありがと。年取ってくるとね、冒険するのが怖くなるのよ。ノアちゃんもあっという間にそうなるから、気を付けて」
今日は失恋の話を一度も二つも聞いてしまった。人の話で気がこれほど重たくなるのに、自分が失恋したらどうなってしまうのだろう。筆が持てなくなるのかな。それとも逆に創作意欲が湧くのだろうか。
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