サーカス編3

 夜の闇の中、明かりが透けて見える巨大な天幕が観客を飲み込んでいく。いつものディカーテとは違うまるで夢のような光景に、誰もが熱に浮かされたような状態になる。

 浅葱さんがまとめてチケットを買い天幕の中へ入ると、既に八割ほどの席が埋まっていた。円形のステージを囲むように客席が並び、後ろへ行くほど高くなっている。運よく三人そろって一番前の席に座れた。


「俺まで払ってもらってすいませんっ」

「経費で落とすから大じょーぶっ!」


 周囲がざわついているので、声を張り上げないと会話が出来ない。浅葱さんがうまく立ち回り、経費で落とせるのは本来なら二人だがトープも加わった。色の相談もしたいので、工房に出入りするトープも実際にサーカスを見てくれるのは有り難い。


 開演の時間にはすべての席が埋まり、入り口の幕が下ろされると明かりが落とされる。数秒の暗闇の後にステージの中央に向けられたスポットライトの光の中に、シルクハットに燕尾服姿のオーカーさんが立っていた。

 昼間に会った時よりも数倍カッコいい。隣の浅葱さんが両手を胸の前で組んで目を潤ませているのも分かる気がする。周囲でも似たような反応をしている女性客はかなりいた。

 朗々と歌い上げる様な声は艶やかで聞き取りやすく、観客も静かに聞き入っている。


「―――それでは今宵、お集まりいただきました皆さんを夢の世界へとご案内します」


 口上が終わると音楽と共に会場全体がぱっと明るくなり、オーカーさんの両側で火吹きトカゲが景気よく上に向かって火を噴いた。ハーピーが天幕すれすれを飛んで色とりどりの紙吹雪を撒いていけば、観客も幕開けを歓声と拍手で喜ぶ。


 熱気と興奮がすごい。様々な種族の競演もそうだが、仕掛けるタイミングが絶妙で息つく暇もない。


 二人の道化師がおどけた様子で、ボウリングのピンのような形のクラブでジャグリング―――いわゆるお手玉―――を始める。それぞれ競い合うようにやっていた道化師たちが途中で相棒と合わせたジャグリングを始めると、火吹きトカゲが出てきて可愛らしくトコトコと足元を歩き回る。二人の顔を見ながら間に入り、上に向かって火を噴いた。ジャグリング中のクラブには次々と火が付き、あたふたしながらそれでも投げ合う道化師が面白くて、大笑いしてしまった。


 空中ブランコは狼とウサギの獣人コンビ。ウサギが空中で回転しながら飛び移るのは凄かった。

 アクロバットは巨人族と小人族の血をひいている人達。

 危険な演目も多く、スリルは満点だ。けれどコミカルな動きで笑いを誘ったりして、観客を楽しませてくれる。


 終盤に差し掛かると巨大な水槽が奥から運ばれてきた。中にいるのは勿論シアンさんで昼間に見た物とは違う煌びやかな衣装を身に纏っていた。髪飾りや腕輪などのアクセサリもつけ、泳ぐたびにそれらがふわりと揺れてまるで舞っているように見える。


 観客は男性のみならず女性までもうっとりしているようだ。


「綺麗……」


 誰ともなく呟いた声は見事に観客全ての心を表していた。青や紫のライトも相まって神秘的な世界観を作り出している。水面に顔を出して歌い始めると、鳥肌が立つほど美しい歌声が耳に優しく響いてきた。

 船乗りたちを惑わす歌声は陸上でも効果を発揮するようだ。誰もが恍惚とした表情で、息をするのも忘れてしまう程に聞き入っている。


 歌が終わり曲が後奏に入ると物凄い速度で水槽の中を泳ぎまわり、そのまま水面から飛び出してイルカのようにジャンプする。天井付近のライトの逆光がストロボを焚いたようなインパクトを与え、シルエットが目に焼き付けられた。


 ショーの終わりは拍手喝さいの中、出演者たちが次々にお辞儀をする。全員があいさつし終わってもなかなかなりやまず、もう一通りお辞儀をして幕を閉じた。

 すっかり暗くなった町を三人で歩く。同じようにサーカスを見た帰りの人が周りにたくさんいたので、怖くなかった。


「はぁ~すごかったなぁ~」

「本当にな。どうだ、絵に描けそうか?」

「いろいろと案は浮かんでいるよ。このほとばしる情熱で今のうちに描きとめておきたいから、アトリエに……」

「だーめーだ。今から描き始めたらノアは絶対徹夜して朝まで描くに決まってる。浅葱さんも言ってやってくださいよ」


 トープは返事を待つけれど、浅葱さんは無言で歩いている。オーカーさんの魅力にやられて惚けているわけでもなさそうだ。いつもはやかましいくらいの人が黙っていると、良くない事の前触れみたいで不気味だ。二人で首を傾げながら恐る恐るもう一度声を掛けてみる。


「あのー浅葱さん?」

「アトリエの仕事、やめよっかな」


 ぽそりと暗い顔で呟いた言葉に私は悲鳴を上げた。


「ええっ、ダメですよそんなの困ります」

「だってオーカーさんについて行くにはそれしか無いし、待っていたらいつディカーテへ戻って来るかもわからないし、私も年齢的にちょっとやばいし」


 すでに憧れの域を越えて、完全にオーカーさんをターゲットに固定しているようだ。私が子供の頃から接してるから、怖くて聞けないけどおそらくは二十五歳前後。貴族だと十代、平民でも二十歳前後が適齢期らしいから焦るのもよく分かる。

 お世話になっている手前、邪険にすることも出来ない。浅葱さんが幸せになるのは、私にだって喜ばしいことだ。


「告白なりアプローチなりしてるんですか?手応えはどうなんです?」


 親身になって取り敢えず基本的な所から聞いてみると、浅葱さんはすっと目を反らした。まだ何もしてないのに辞める発言か。結構しっかりしていると思ったのにどこまで夢見がちなんだ。

 トープはトープでこれまた基本的な所から攻める。


「オーカーさん独身だったんですか。旅をしている割には普段から身ぎれいにしているし、俺てっきり結婚しているかと思ってました」

「え?」

「えっ…て、あれ?浅葱さんまだ確認取ってなかったんですか。初めて行った時にも既に知り合いみたいだったからその辺、てっきり知っているものかと」


 またまたついーっと目を反らす浅葱さん。人の事をからかっているから、自分は馬鹿にされないようなしっかりした大人の恋愛をしているのかと思いきや、それほど会話とかしてないっぽい?

 トープの言葉は少なからず心を傷つけたようで、今度はぐちぐちと言い訳をし始めた。


「古いチラシを持ってあちこちのお店を廻ってたオーカーさんと店先で話をしていただけだもん。アトリエの依頼にこぎつけただけでも上出来だもん。飲みに行きませんかって言ったら断られたんだもん。会ってからまだ数日しか経ってないもん」


 「もん」って……。断られたなら脈なしって諦めそうなものだけれど、恋する崖っぷち乙女は気付かないみたいだ。

 トープを見ると、同じことを思ったらしくお手上げのポーズをした。


「何よう、アイコンタクトで分かっちゃう仲って自慢してるの?」

「言いがかりですって。でも相手を何も知らないなら対策の立てようもありませんよ」


 厄介だなぁ。でも何とかしないと仕事に支障が出たり、突然辞められたりするのは困る。恋愛経験なんてほとんどないに等しいけれど、何かいい考えはないかと頭を回転させていると、気づかないうちに浅葱さんにがしっと肩を掴まれた。間近で見る顔は目が据わっていてとても怖い。


「ノアちゃん、最重要任務を言い渡すわ。オーカーさんの奥さんおよび婚約者または恋人などの有無はっきり言えば女性関係を探り、私に報告しなさい」

「え、だって浅葱さんも一緒に行くって」

「行きたいわよ、行きたいんだけど私に本人に聞けって言うの?そんなの自ら告白しているような物じゃない」


 ほおに両手を当てていやいやをする浅葱さん。直接聞くのは恥ずかしいから、あの男の子の好きな子聞いて来て―――って。


「小学生かっ!」

「なに?ショウガクセイって」


 まずい。心の声が口から洩れた。慌てて手を振りながら愛想笑いで誤魔化した。


「私だって同じですよ。勘違いされたらどうするんですか……ってまるで自意識過剰みたいでこんなこと言うのも嫌なんですけど。シアンさんに聞けばいいですか?」

「そうね、あの人魚が恋人と言う可能性もあるけれど、一番物知りな感じだし」


 浅葱さんが納得したところで、それぞれの部屋へと戻る。サーカスを見てリフレッシュできたのに浅葱さんの話で根こそぎ元気を持って行かれたような気がする。こっそり絵を描く気力も無く、その日は早々と寝入ってしまった。

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