サーカス編2

 あくる日、ディカーテの中心部にある広場を訪れると、サーカスの巨大な天幕が張られていた。ここはお祭りなどでも使う場所で、かなり広いスペースがとられている。にも拘らず大きな客席用の天幕の他にいくつか準備用の天幕も張られているので、いつもより狭く感じられた。


「すいませーん、アトリエ・ベレンスの者なんですけど団長さんはいらっしゃいますか」


 天幕の外でジャグリングの練習をしていた人に浅葱さんが声を掛けると、その人は手を止めて黙って隣の天幕を指さした。入っても良いという事なのかなと躊躇する間にも浅葱さんは遠慮なく入口をぺろんとめくり、どんどん中に入って行く。浅葱さんの度胸に驚きながらも、私とトープはその後について行くだけ。


 天幕の中には人間だけでなくいろいろな種族がいた。狼やウサギなどの獣人、小さな火吹きトカゲ、翼の生えたハーピー。一見人間に見えても二メートルを優に超す大男や、子供程の身長しかない女性など。鎖で繋がれたり檻の中に閉じ込められることは無く、皆それぞれが懸命に芸の練習をしていた。

 普段町の中を歩いていても人間しか見たことが無かったので、これほどいろいろな種族がいるなんて知らなかった。てっきり、人間以外は皆モンスターのような扱いをされている世界だとばかり思っていた。


 トープと浅葱さんの反応は薄いことから、これが特別な事でも何でもないのだと判断する。珍しくて不躾にいろいろ見てしまっている私は、慌てて目を反らし真っ直ぐ前を向いて歩いた。

 舞台道具も所々に置いてあって気を付けないとぶつかってしまいそうな中、浅葱さんは一人の男の人を見つけて声を掛ける。


「あ、いたいた。済みませーん、オーカーさーん」


 オーカーさんと呼ばれた団長らしき男の人は、大きな樽の向こう側に立っている綺麗な女の人と話していた。浅葱さんの呼びかけに応じてこちらへ向かって歩いて来る。舞台映えする目鼻立ちのはっきりとした顔で、中年の立派な髭の男性を想像していたのに結構若い。


「この子がうちのアトリエの期待の新人、ノアールでーす」

「え、そんなの初めて聞きましたよ」

「いいからいいから。で、こちらが工房の新人職人のトープです。使う色合いの判断をする為に連れてきました」

「どーもッス」


 私の反論も気にせず、妙に高めのテンションで浅葱さんは私達の両肩をぐぐぐと押し出して前に出す。期せずして団長さんと間近で顔を合わせる事となった私は、ぎこちない笑顔でこんにちはと挨拶した。団長さんはなんだか渋い顔をしている。


 それにしても、浅葱さんはどこで団長さんと出会ったのかな。既に相当親しい間柄にも見える。


「団長のオーカーだ。随分若いようだが大丈夫なのか?王都での客の入りが掛かっているんだぞ」

「大盛況間違いなしですよ。私が保証します。ね、ノアちゃん」


 そんな保証しないでくださいよ、なんてお客さんの前で言えるわけない。あはははと乾いた笑いをもらしながら、なんだか浅葱さんがおかしいと気づいたのは横にいたトープも同じみたいだった。眉をしかめ首を傾げている。

 顔が少しだけ赤くて、浮足立っているような、いつもより饒舌なような。普段通りの浅葱さんだったらとっとと商談に入りそうなものだけれど、前置きの会話が長い。団員の皆さんはお元気ですかとか、何か不自由があれば相談してくださいなど、私たち二人が傍に居るのも忘れてしまっているようだった。


 依頼を受けて描くのは初めてだけど、おそらく前世で言う広告会社の仕事のように打ち合わせが大切だ。前のチラシのしょぼさからするとあまりこだわりのない団長さんかもしれないけれど、それはそれ。出来るだけお客さんの期待に応える様な仕事をしたい。


 当てにならない浅葱さんを放っておいて聞いておきたい事を私は質問し始めた。


「あの、ポスターやチラシの絵で色や構図などのご希望などはありますか?例えば人魚をメインとしていると伺いましたが、どんな演目をされているんですか」

「ああ、どのような絵を描くかは任せる。実際にショーを見てもらった方が早いだろうから、今夜見に来てくれ。六時から二時間程度だ」

「はい、是非とも見させていただきますっ」


 質問していたのは私なのに返事は浅葱さんがした。ま、実際に見るつもりではあったし暗くなってから一人でサーカスに来るのは少し怖かったので特に文句は言わなかった。


「それから、ここへ何度かデッサンの為に通いたいのですが」

「ショーは昼の部と夜の部がある。できれば午前中に来てもらえると有り難い」

「付き添いで時々私も伺いますので安心してください」


 またしても浅葱さん。仕事で忙しい筈なのにどうしてもここへ通いたいようだ。目当てはオーカーさんかな。


「天幕の中は余程変な事をしなければ自由に歩いてもらって構わない。分からない事があれば私か、あそこの樽にいる人魚に話しかけてくれ。一番の古株で何でも知っている」


 オーカーさんは先ほど間で話をしていた女性を指した。樽に寄りかかっていると思った女性は、樽の中に入った状態の人魚だった。胸の周りを布で覆っているだけでほとんど裸体だ。長くゆるいウェーブの青い髪で柔らかな雰囲気を持つ美しい人。魚の尾ひれを持つ下半身はこの樽の中では狭そうだ。

 私は近づいて挨拶をした。


「こんにちは。ポスターの絵を描かせていただきますノアールと申します」

「ええ、オーカーから聞いているわ。私の名前はシアンよ、よろしく」


 とても綺麗な声に息を飲む。船乗りが歌声に惑わされて操舵を誤ると言われているけれど、この声で歌われたら船だって難破するのは仕方がない。


「いつもこの状態ですか」

「まだ大きな水槽に水を張っていないのよ。移動するときは樽の方が運びやすいでしょう?」


 少し離れた場所にあるガラス張りの巨大な水槽を指さされてなるほど、と私は頷く。デッサンの時も水槽の中での状態を描けるなら問題はなさそうだ。


「色使いや構図などでご希望する所はありますか」

「そうね、しいて言うなら美人に描いて頂戴、なんてね。前の絵はちょっとだけ気に食わなかったの」

「良かった。私もあの絵のタッチを真似ないといけないのかと心配してました」


 私がそう言うとシアンはころころと笑った。想像以上に話しやすい人魚だ。もっと気高くて神秘的で言葉数も少ないかと思っていたのに、時折見せてくれる笑顔も人懐っこい。ただ首筋にはえらのような見えるし、ひらひらと振る手には指の間に薄い膜がある。細かいところだけど絵に起こす時には是非とも取り入れなくてはならない。


 早速スケッチブックに軽く鉛筆で顔や上半身を描いていくが、やはり一番見たいのは魚の部分だ。どのようなラインで上半身と繋がっているのか。樽の上から覗かせてもらった限りではいまいちつかめない。


「鱗の色は髪の色とほぼ同色に見えるけれど、水槽に移ってからでないと違って見えそうだな」

「うん。実物の色も大切だけど、広告にした場合はどんな色が人目を引くかも考えないとならないよ」


 トープはシアンさんの色を中心に見ている。けれど只の絵ならまだしも版画だし、チラシであることを考慮しなくてはならない。


「そっか。綺麗な青だから出来るだけ再現したいんだけどな」

「あら、嬉しい。けれど光の加減によっても違って見えるのよ」

「深い青だと思ったけれど、水色みたいにも見えますね」


 まるでモルフォ蝶の様にも見えて本当に美しい色合いなのだ。私も出来れば色を生かせるような構図にしたいと思う。けれど、やはり全身を見ない事にはどうにも決められない。

 適当な所で切り上げ、オーカーさんと正式な契約を結び天幕を後にした。

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