自画像再び
私の絵はまだ一目で私の作品と分かってもらえるほど、画風がしっかりしていない。裏を返せばどんな作品にも変化させることが出来るという事だが、画家として名前を覚えてもらうには非常に致命的だ。若いうちにたくさん依頼を受けてその中で模索すると言う方法を、先生から提案された。
外へ出て描きたいことも先生は理解して下さっているけれど、足元も固めずに放浪するのは得策ではないと言われた。のらりくらりと絵だけ描いて旅をするのがどれだけ金銭的に大変なのか分かっているし、男ならまだしも女の一人旅では、どれだけ治安の良い国でも危険だ。私は先生に反発するほどの気骨も持ち合わせてはいないので素直に従う。
ただ、今は私に見合うような依頼が無いという事で―――
『試験で描いた自画像を世に出せるような作品に仕上げる事』
それがアトリエに入って最初の仕事になった。期限を一か月と設けられて本格的だ。
アトリエの二階で一人で黙々と描くのは、正直言ってかなり苦しかった。世に出せるという事は即ち売れる作品だという事だ。なまじ前世の記憶が有るだけに、どんな作風で仕上げればいいのか悩む。
美術館などに行った経験はこの世界ではまだない。絵画を目にしたのは本の挿絵や路上販売で売っていた作品、面接の時に見た先生のワイバーンの絵くらいなものだ。
どのような作品がこの時代のこの地域で好まれているのかもまだ知らない。技術や絵画の種類もきちんと系統を認識されているのか分からない。
飽く迄例えであって私はそこまで美少女ではないけれど『真珠の耳飾りの少女』のように光を効果的に使うのか、『イレーヌ嬢の肖像』のようにふんわり可愛らしく仕上げるのか。自画像と言えばゴッホとか?いきなりあんな感じの色彩で勝負するとかちょっと無理。
既にそれらの画風で描いている画家が存在しているかもしれない。だとすれば模倣になって非難されてしまうかもしれない。一人でアトリエにいるという事もあって、むーむー唸りながら悩み倒す。
―――でも。
思う存分絵が描けるのはとても嬉しかった。まだ収入は無いけれど貯めていた分から絵の具を買うことも出来る。しかも、バスキ村に居た頃と違って市場の日を待たずとも直ぐに画材を買うことが出来る。どこかへ出かける必要もない。
食事の時間も気にせずに……と思っていたらトープにアトリエから引っ張り出された。「人のご飯を取っていたトープが人のご飯の心配するなんて、成長したねぇ」と言ったら、なんか久しぶりにぽかりと殴られた。浅葱さんにいじられた事は気にしていないみたいで良かった。
寝る間も惜しんで……と思っていたら部屋に戻っていない事に気付いた浅葱さんが呼びに来た。次の日も次の日も懲りない私に紫苑さんが駆り出され、一定の時間になると無理やり居住棟まで米俵のようにして担ぎ出されるのが日課となってしまった。
「保護者のネリさんがトープ君ここに寄越した理由がすごくよく分かったわ」
「え、トープが自分で選んだのではなかったんですか」
「もう一つ、考えた仕事があったらしいけれど結局こちらを選んだみたい。まったく、うちのアトリエってなんでこんな変なのが集まってくるのかしら」
「変なのって、トープが何かやらかしたんですか」
「変なのはノアちゃんだよーっ!」
そんなに変かな。自己表現にのめり込むのは動物には出来ない人類の特権だと思うのだけれど。
カンバス以外の紙を何枚か使って、前世の知識を思い出しながらいろいろな画家のまねで試し塗りもする。色の明暗、配色、技法。一か月もあるのだから自分なりの画風を模索するいい機会だとは思ったけれど、結局は見たままを描き無難にまとめてしまった。
期日の日、何故かメイズさんと紫苑さんも集まって描き上げた絵を披露する。
「迷って、そして上手に逃げたね。構図はどこかで学んだみたいだ」
「迷いが表現できているからある意味自画像としては傑作なんじゃないのか」
「アトリエでの最初の仕事としては申し分ない出来だと思うがの。なぁに、これから成長していけば良い」
先生たちににズバリ指摘されてしまい、がっくり肩を落とす。
「さて、諸君。我々は三日でノアール君の肖像を仕上げようじゃないか。というわけで今日から三日間、君はモデルだ」
「え、三日?」
「丁度仕事の隙間が重なった。ノアール君の初期費用を稼ぐためにも強制参加、拒否は認めん。ノアール君はこの機会に描かれる側の気持ちも学びなさい」
「はい」
それから三日間、私は椅子に座ったままじっと耐えた。楽な姿勢ではあったものの、見られることがこんなに緊張するものだなんて思わなかった。唾を飲み込むことさえ許されないような気がして硬くなっていると、適度に声が掛けられて緊張が解される。描いている側だとあっという間だけれど、何もしないでいるモデルは本当にきつかった。
三日目、徐々に三人とも絵の具をのせる速度が鈍くなり、夕方にはとうとう筆を置いた。
「そろそろどうじゃろうか」
「こっちはいいですよ」
「仕上がりました。ノアール、立っていいぞ」
待ってましたとばかりに三人の絵を覗き込み、思わず私は息を飲んだ。
「え、誰この美少女」
メイズさんの絵にはとても私とは思えない程、儚げで華奢な少女が描かれていた。肌が燐光を放ちそうなほど青白く、昼間の筈なのに月光を浴びているような神秘性を醸している。憂いを帯びた表情が何とも言えず、目を離せない。まるで闇に浮かび上がる月下美人のよう……ってモデルは私なんだってば。
うわーメイズさんから見ると私はこんな風に見えるのか。ちょっと照れる。顔だって火照ってくる。
「人物画、特に女性を描くのは得意なんだ。さんざん自画像で腕を磨いたからね」
口には出せないけれど只のナルシストじゃなかったんだ。ごめんなさいと心の中で謝っておく。
「綺麗に描けているけれどそれだけだって。本質を描けていないからアトリエに中々入れてもらえなかったんだ。だから自画像を売っていたんだよ」
「そうだったんですか」
私も一度で合格しなかったら、通りで自画像を売る羽目になっていたのかな。それはちょっと嫌すぎる。次の絵は紫苑さん。
「こういう題材はメイズの方が上だな。彫像だったら負けないんだが」
そう言う紫苑さんの絵は実物に近いけれど、それでも私より上手なのは一目見て分かる。筆のおき方ひとつとっても、効果的な絵の見せ方というか、平面なのに立体感がある。私の絵だってそこそこ描けていると思ったのに、見比べてしまうとのっぺり感が半端ない。
先生の絵は他の二枚よりも落ち着いた色合いだ。一言で言ってしまえば地味なのに、目を奪われ、抗い難い何かがある。描かれているのは自分なのにね。
何か技術を盗もうとじいっと観察していると、魔法陣が隠されているのに気付いた。私の健康と成功を願う、極々弱いものだ。魔法陣の辺りを指し先生を見ると、指を口の前に立ててウィンクされた。他の二人には魔法陣の知識は無いらしい。秘密にしておけと言うことか。
三人の絵と自分の絵を見比べて、レベルの差に愕然とする。これは、目を養う所から始めないと埋められないかもしれないな。
「同じ題材でここまで違うとは思いませんでした。私もここまで描けるようにならないとダメですよね」
「焦りは禁物。心底納得できる絵を、死ぬまでに一枚でも残せば良い。私もまだまだ道の途中だからのう」
気の長い話だ。でも先生のいう事もよく分かる。焦っていると碌な絵にならないのは経験済みだ。俗に言うスランプに陥ってしまう。
「さてと、どうするかね」
「ノアちゃんの初期費用を稼ぐためにもオークションへの出品を推奨します。ノアちゃんも自分のレベルを金額で確認するいい機会ですし」
いつの間にか部屋に入ってきた浅葱さんがしゅたっと手を上げて提案した。
「ふむ、それではアトリエからまとめて出品という形にして、どれが誰の作品か伏せて出してみようか」
―――あれ?魔法陣が描かれているのに先生の絵も売られてしまうの?てっきりアトリエの中に飾っておくと思ったのに。
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