縁の下の力持ち

 そこにいたのはトープだった。


 まさかこんな所に居るとは思わなかった。町の中で偶然会えたらいいな、くらいにしか考えていなかったから毎日顔を合わせる場所にいるとは思いもしなかった。私は思わずポカンと口を開けていることに気づき、慌てて閉じて目の前の少年に率直な疑問をぶつける。


「トープっ、ここで何やってるの」

「なんでって、見ての通りここで働き始めたに決まってるだろう」


 フリントさんが口を滑らせたとおり、確かにここは工房だ。どんな工房にしろ職人を育てる為に若手を取り入れるのだって、何ら変な事は無い。

 だけどトープが画材に興味を持っていた事なんかあったかな?私が絵を描いているのを時々見ていたから、全く見たことない人に比べれば多少は身近なものとして感じるのかもしれないけれど……。


 トープの顔はいつまでたってもにやにや、にたにた。いたずらが成功した時の顔をしている。マザーもフリントさんもチビちゃん達もそれで黙っていたのか。


「驚いたか?」

「当たり前でしょう、言ってくれればよかったのに。浅葱さん、トープは同じ孤児院で育ちました」

「うん、知ってるよー。対応したの私だし」


 見れば浅葱さんまでトープと同じような表情をしている。どうやらグルだったみたい。私とトープと浅葱さんで話をしていると、親方らしき人が近づいてきた。


「どうした、浅葱」

「この子が今日から入る画家のノアールちゃんです。ノアちゃん、ここの工房の親方、バフさんだよ」


 先生と比べて同年代か、少し年下くらいかな。同じ年配の人でも、先生が柔ならこの人は剛と言う感じ。厳しそうで、でも話下手と言うわけでもなさそうだ。きっちり根気よく物事を教えてくれそうな人。よく見ればここに居る人達、みんな同じ作業用のエプロンをしている。トープのは新品だけどそれ以外の人たちは仕事中に付いたのかいろいろな色で汚れている。


「ここで作った画材は大体店で売っているからそっちで買ってくれ。ただ、店に無い物を注文するときは直に来てくれて構わない」

「自分の造った色が欲しい時とかね。他にも外へ絵を描きに行って素材を手に入れた時は、親方に渡すと試作品をもらえるよ」

「ああ、例えばこんなものがある」


 親方が見せてくれたのは青い大きな鱗のような物だった。薄い貝殻のようで、動かすと光を反射して油膜が張ったように七色に見える。


「綺麗……」

「こいつは人魚の鱗だ。魚の網にかかっちまった奴を逃がしたお礼にもらったらしい。貴重なものだからあいつの許可なく使えないがな」

「あいつって?」


 親方さんに聞くと代わりに浅葱さんが答えてくれた。


「うちのアトリエのもう一人の画家でね。スマルトって言うの。放浪癖があって定期的に絵が送られてくるから生きてると思うけど」


 放浪しているのはスマルトさん、覚えておかなくては。最終的に私が目指す描き方かもしれない。いつ会えるのか楽しみだ。


「画材に使えるかどうかってすぐに分かる物なんですか」

「大抵は石だ。生物だと固い殻や鱗、それから植物の種子なんかもそうだな」


 親方はどんなものが顔料に適しているか細かくに説明を始めようとしたが、浅葱さんに止められた。それを覚えるのは工房の職人の仕事であって、画家の仕事では無い。どの顔料がどの色になるか書かれている分厚い資料まで持ってきてくれたが、トープはあれを覚えなければならないのか。


「まあ、とにかくそう言ったものを手に入れたらぜひ持ってきてくれ」

「何だか薬にも使えそうですね」

「ああ、実際顔料として使っていたものが研究されて後々薬剤として使われるものも中にはあって……」

「はいはい、説明はそこまで。案内している途中なのでもう行きますよ」


 教えるのが大好きな親方らしい。この工房ならばトープはちゃんと職人に成れそうで安心した。浅葱さんに引っ張られるようにして工房を後にして、次は事務所だ。


「事務員兼店員兼マネージャーって感じかな。私の他にも何人かいるよ。お金の管理もしているから、あまり中には入らないでね」


 部屋の中には入らず、扉を開けて見せてくれるだけだった。男女合わせて三、四人程度。絵の価格交渉や画家たちのスケジュールや、アトリエで働いている人達の給料の管理など、運営はほぼこの人たちの手腕にかかっていると言っても過言ではないらしい。


「自由に描ける画家とは違うけど、食いっぱぐれることは絶対させないって保証するよ。安心して絵を描くことだけに集中してね。さて、そろそろご飯と行きますか」


 居住棟の一階にある食堂に移動する。

 食堂のおばちゃんのうちの一人は、市場で良く絵を買ってくれた人だった。買ってくれた絵のうちの何点かは、あろうことか食堂に飾られていた。


 昔描いた拙い絵を周囲の目に晒されるなんて苦行でしかない。けれどこれも画家になれば当たり前の事なんだから、きっと慣れるしかないのだろう。


 食堂には入れ替わり立ち代わり、アトリエの皆が来る。情報交換の場ともなっているようで、耳をそばだてると聞きなれない言葉が飛び交っている。

 浅葱さんと食事をしているとトープが隣に座った。


「知ってるか?顔料の中には虫をすりつぶして作る物もあるんだ。昔、偶然捕まえた虫がこのアトリエで売れて、それから興味を持ったんだ。かまどの煤を使って落書きしたのも面白かったしな」


 トープにこの仕事を選んだ理由を聞いたら一応しっかりした答えが返ってきた。フリントさんに濡れ衣を着させられた時の話か。あのころはいろんないたずらをしていて、それがこんな形で仕事を決めるなんてトープらしいと言うか……。


「あれ、でもフリントさんが市場に来る時は私が一緒に来ていたけど、トープいなかったよね?」

「セージ兄ちゃんときてたからな」

「なるほど」


 孤児院ネタは浅葱さんの知らない話題であることに気づき、説明しようとしたが、浅葱さんはなんだか生温かい目をこちらへ向けていた。


「幼馴染かーいいなーなんか甘酸っぱいよねーノアちゃん追いかけてくるなんてねーしかも黙って先回りするなんて手馴れてる感じだよねー」

「べ、別に追いかけてきたわけじゃねー。他の工房には入れなさそうだったし、たまたまだ」


 トープがふてくされながら合間合間に食事をかき込む。ちょっぴり不穏な空気を感じて私は否定した。


「浅葱さん、良く息が続きますね。幼馴染と言うより兄弟です。甘酸っぱくありません。最初はいじめられてましたし」

「好きな子ほどいじめたくなるってヤツ~ぅ?」


 ちょっとうざい。あっという間に真っ赤になったトープをからかいまくる浅葱さんは、今までのトープの人生でいなかったタイプなんだろう。あの手この手で躱そうとするが、逆に絡め取られて答えに窮する始末。お酒が入っているみたいにねちっこく問い詰められて、食事を終えていたトープがついに爆発してうがぁぁと叫びながら逃げ出した。


「あらら、いじりすぎちゃったかな。じゃあ、ノアちゃんに聞くか」

「一緒に住んでいる異性にいちいち恋愛感情持ってたらやって行けませんよ。孤児院って親を亡くした子供が集まるところなので、居心地悪くなってもどこにも逃げられませんから」


 努めて冷静に答えたら浅葱さんは「ごめん」と心底申し訳なさそうな顔で謝った。孤児であることを盾にするのは卑怯かもしれないけれど、私だってまともに問い詰められたら多分トープみたいになる。赤い髪の人の思い出とか白状してしまいそうだから、シャットアウトするのが賢明だ。


「ノアちゃんは大人だね」

「浅葱さんは若いですね」

「えへへへ……それほどでも……」


 友達のコイバナに遠慮なく踏み込んでくる中学生くらいの女の子みたいだ。或いはゴシップ好きのおばちゃんみたい。それが相手の心にどれだけの傷をもたらすのか考えもせずに引っ掻き回す。思春期真っ只中のトープにはちょっと辛いだろう。


 トープ、大丈夫かな。

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