アトリエ主戦力

 居住棟の次はアトリエを案内してもらう。出入り口の扉を開きながら、浅葱さんが簡単に説明をしていく。


「一階は大きい絵や彫刻なんかを取り扱うから、ほとんどノアちゃんは二階で描くことになるかな。モデルさんが入るときは、三階を使ってもらうのが普通だね。ヌードなんかの時はカーテン閉めるけど、やっぱり下の階だとモデルさんが落ち着かないでしょう?」


 私は今まで描いたことなかったけれど、本格的に絵を描くとなると裸体を描くこともある。描く機会があるかどうかわからないけど、用事があるとき以外は三階に上がらないようにしようっと。

 絵を描くのに光を取り入れる為、窓の部分がとても大きい。精霊石を使った明かりはあるけれど、おそらく自然光で描くために意図的に使わないようにしているのだろう。天井もかなり高く、三階と言っても他の建物の四、五階分くらいありそうだ。


 一階の作業部屋の扉を開けると中には二人いて、先生ともう一人、初めて見る人がいた。筆の代わりに鑿を持っている。

 彫っているのは木彫りの仏像……では無く女神像だった。石膏やブロンズ像で女神ならわかるけど、前世が日本人だったせいか木彫りの立像=仏像と言うイメージがあるのでかなり違和感がある。ああ、でも原型を木で彫ってから鋳型を作る場合もあるからおかしくは無いのか。


「先生、少々お時間よろしいでしょうか」


 浅葱さんが声を掛けると二人はこちらへ向き直った。


「ああ、ノアール君を案内しているのか。いらっしゃい、アトリエ・ベレンスへようこそ」

「お世話になります」

「ノアちゃん、そっちは紫苑って言って、私の兄で先生の一番弟子」


 紹介されたのは画家と言うよりもサムライと言った方がしっくりくるような、筋肉質の男の人だった。寡黙なのか一言「ああ」と答えただけでふいっとそっぽを向かれてしまった。

 私、何か悪いことしたかな。


「ごめんね~うちの兄貴、朴念仁で。言葉数少ないけど悪い人じゃないから仲良くしてやって」

「はあ……。初めましてノアールと申します。よろしくお願いします」


 取り敢えず自己紹介をして頭を下げるが、紫苑さんはちらりとこちらを見ただけだった。


「兄さん、いい加減にしないと怒るよ」

「すまん、紫苑だ。見ての通り作品を手掛けている時は刃物を持っていることが多いから、声を掛けないでいてくれると助かる」

「はい、お邪魔して済みませんでした」


 怒気を含んだ声で浅葱さんが窘めると紫苑さんは途端に饒舌になった。今のやり取りだけで関係性が何となく分かる。しっかりした妹に逆らうことのできないお兄ちゃんみたい。


 紫苑さんが手がけているのは祈る様に両手を前で組んでいる女神像。ただし、立像としては首の角度がおかしい。普通ならやや俯くような姿勢なのに天を仰いでいるように見える。変だなと思いながら見ていると先生が説明してくれた。


「海を司る青の女神でな、欅を使っている。この後に塗料を塗って仕上げ、船の舳先に付けるんじゃよ」

「そんなものも手掛けるんですか」

「いや、本来ならこのアトリエは絵画専門なんじゃが、どういうわけか紫苑指名の彫像の依頼が多くての。わざわざ海から遠いこんなところへ注文しなくても、造船所の近くにいくらでも彫刻家はいるだろうに」


 先生は首を傾けるが、それも納得してしまう程の出来栄えだ。柔らかな微笑は荒狂う海をも沈めてしまいそうな、そんな気がする。彫像関係はあまり詳しくないけれど、ご利益がありそう。


「二階はこの前入ったから大丈夫だよねぇ、じゃ、次三階行ってみようか」

「ええっ、大丈夫なんですか?」

「大丈夫、モデル兼恋人にこの前逃げられてたから、一人で寂しく絵を描いているはず。メイズ、入るよ」


 扉を開けながら浅葱さんが呼んだ名前は、どこかで聞いた名前だった。


「メイズ、さん?」


 そこにいたのは町で絵を売り始める時にお世話になった、自画像販売者のメイズさんだった。暫くしてから見かけなくなったので、場所を変えたか止めてしまったのかと思っていた。相変わらず女性と見まごうほどの美人さんだ。


「誰かな、新しいモデルかい?残念だけど今は全く描く気がしないんだ」

「モデルじゃなくて、この子はノアール。新しく画家として入った子」


 小さな頃に会ったきりだから、成長した私を見て分からないのも無理はない。メイズさんはサインまでくれたけれど、私、あの時自己紹介したかな?


「お久しぶりです、メイズさん」

「あれ、ノアちゃん知り合いなの?」

「私が七歳の頃、路上で絵を売る方法が分からなくてメイズさんに声を掛けたんです。結局市場で売ることになったけれど、その時にも絵を買ってくださいました。お金が貯まったらお礼にメイズさんの絵を買おうと思っていたのにその頃にはもういなくなってしまっていて……覚えてますか?」


 こめかみに手を当て、眉間にしわを寄せて思い出そうとしているメイズさん。その表情がぱっと明るく変わる。


「思い出した、確かお父さんと一緒にいた子だね。スケッチブックの絵をどれくらいの値段で売ればいいのか聞いてきた」

「そうです!あの時はお世話になりました」


 正確に言えばフリントさんは父親ではないが、わざわざ訂正することも無いだろう。メイズさんは懐かしむように目を細めた。


「あの子がもうアトリエに入る年になるとはね。試験は難しかっただろう?」

「それがね、メイズ。ノアちゃんは何と一発合格だったのよ」


 何だか大げさに言っているけれど、一回で合格しない人もいるのかな。他のアトリエと違って競争率は低いみたいだし、そんなにハードルは高く無い筈。不合格の場合は留年したりするのだろうか。

 メイズさんは見るからに肩を落とし、がっくりと落ち込んだ。


「そうか、僕はあの時何度受けても合格しなくて、路上で売っていたんだよ……」


 課題内容は私と同じく自画像だったのだがベレンスさんに合格をもらえず、練習しては売って生活費の足しにしていたそうだ。私とは反対で、只の静物画よりむしろ自信があったのでかなり堪えていたらしい。

 私は慌ててメイズさんにお礼を言った。


「メイズさんがいなかったら商業ギルドにもいかず、適当に売って捕まっていたかもしれません。今の私があるのはメイズさんのお陰です。有難うございました」

「そうか、考えようによっては君がここに居るのは僕が落ち続けていたお蔭とも言えるわけだ。女神たちの導きなら仕方のないことだったんだね」


 自分に都合の良い解釈をしつつ見る見るうちに立ち直るメイズさんを見て、浅葱さんは呆れる様な声を出した。


「あんたの悪いところは自分の外観にとらわれて内面を見られない所だって、その時先生に言われていたでしょ。力のなさを女神のせいにするな。ノアちゃん、こいつ自分大好きだから基本は無害だけど変なことされたら私に言ってね」

「失礼な奴だな」


 仲が良いのか悪いのか、丁々発止と言う言葉がしっくりくる。そして画家たちのやり取りを見て何よりも分かったことがあった。


 浅葱さん、立場的にも結構強いかもしれない。出来るだけ逆らわないようにしておこう。




「次は工房ね。店と繋がっているのは知ってるよね」

「はい」

「筆やイーゼルなんかも作るけど、やっぱりメインで作ってるのは画材かな。……すみませーん、入りますよー」


 浅葱さんがノックしながら中庭側から工房へ入り、私もそれに続いた。職人さんたちは気にも留めず作業を続けている。薬屋に有りそうな沢山引き出しが付いたタンスから、鉱石や魚のうろこのように薄いものを取り出す人。小さな石臼を回している人。色のついた半液体状の物を入れ物の中で練り上げている人。

 絵の具を作る方法は多少知識として持っていたけれど、見るのは初めてだ。辺りをきょろきょろ見回していると、作業の手を止めてこちらを見ながらにやにやしている見知った少年がいた。

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