旅立ち

 合格してから一週間後に住居を孤児院からアトリエに移すことになった。とは言ってもやはりそれほど荷物は多くない。ベッドなどの家具は以前その部屋に住んでいた人の物を使わせてもらえるそうだ。お金を少しずつ貯めてたとは言え無駄に使わなくて済むのは有り難い。


 それまで描いていた絵はほとんど売ってしまったので、持っていくのは最初にフリントさんにもらった一冊だけ。

 画材やイーゼルなどは興味を持つ子の為に置いておこうと思ったが、マザーに自分で稼いで買った物だから持っていくように言われた。


 出発日までの一週間、私は孤児院のいろいろな場所を掃除していた。厨房、食堂、院長室にそれから―――仕置き部屋も。

 エボニーに半ば無理矢理に連れて行かれた時とは違い、今度こそ本当に孤児院から旅立つことになる。


「……寂しくなるなぁ」


 八年も住んでいたら愛着が湧くに決まっている。後に入るかもしれない子のことを考えて、自分の部屋は特に念入りに掃除した。

 誕生日はもう少し先だが、成人の時点でそこに馴染めるかどうかわからないので早くに出て行くことは少なくないらしい。


 出発日当日、市場に出る荷馬車でフリントさんと一緒に見送られる。チビちゃん達は落ち着いたようで、涙ぐむことはしても喚く子はいない。


「手紙を書きますね。チビちゃん達には絵手紙かな」

「ええ、どうか、元気で」


 マザーは何度も見送って慣れているのか、特に取り乱すようなことはしなかった。だからきっと私も涙を流さず笑顔でいられるのだと思う。置いていくチビちゃん達を一人ずつぎゅっと抱きしめながら、見送る側にトープがいないのに気付く。さては照れてどこかへ避難してるのか。


「トープはいないんですね」

「ええ、あの子は先に行ってますよ」

「トープ兄ちゃんなら昨日ノア姉ちゃんが掃除している時に出てったよ。みんなでお見送りもしたし」


 マザー達の返事に驚いた。チビちゃん達の世話に追われて気付かなかったけれど、言われてみれば昨日の夕食時にはいなかったような気もする。


「あの、同じ町ですか。勤め先はどこです?私だってちゃんと見送りたかったのに」

「それも秘密にするように言われました」


 水臭い。というか八年も一緒に住んでて兄弟だとか言っていたのに、出るとなったらそんなにすっぱりと縁を切りたいものなのか。

 私がちょっとむくれていたのを見て、マザーは笑いながら言った。


「大丈夫、きっとすぐに会えますよ」

「あのねェ、とーぷにいちゃんはねェ」

「しっ、話したらダメだって言われてるでしょ」


 なんとチビちゃん達まで知っているらしい。皆でニコニコしながら両手で口を押さえるその仕草は可愛いけれど、がっかりを通り越して何だか腹が立って来た。トープめ、町中でばったり会っても思いっきり無視してやるんだから。


 皆に見送られながら遠ざかる荷馬車から手を振る。この世界に来たのは卒業前だったから結局体験しなかったけれど、家族と離れて暮らすとしたら別れはこんな感じだったのかな。寂しいけれど、別れを惜しんでもらえるのはどこか暖かい気持ちになった。



 荷馬車に揺られながら、フリントさんと話す。


「そう言えばフリントさんはトープの勤め先がどこか、聞いているんですか?」

「ああ。すまん、俺も口止めされてるんだ」

「へえ、余程トープは私に知られたくないんですねェ。……はっ、もしかして、いかがわしいところ?」


 ディカーテは街道沿いにある町だから、きっと裏の方に行けば飢えた男の人御用達なお店があるに違いない。そう言うお店だって男手は必要……とそこまで考えて。春を売るのは何も女の人に限ったことではない事に気付いてしまった。


 昔から勉強嫌いだったよね、トープ。孤児だし、お店に認められる能力が無かったからきっとあちこち断られて、最後の手段として選んだお店は……。

 そっか、きっとそうだ。だからきっと私にも黙ってたんだ。それは同世代の女の子には言いづらいよね。せめてそこまで思い詰める前に言ってくれれば、外へ絵を描きに行く時の護衛として雇ってあげることが出来たのかもしれないのに。

 可哀想なトープ。イケメンでもないのに、そんな仕事に就いて。やっぱり、今度顔を合わせても無視なんかしないで、普通に接してあげよう。顔に出ないように、笑顔で話しかけてあげるんだ。

 ―――あれ、でもチビちゃん達は知っていたよね。そんな仕事に就いてるって、あんな小さい子たちに言わないよね?


 私が物凄い勢いで妄想を繰り広げていると、フリントさんが呆れた声で言った。


「そんなわけあるか。しっかりした工房だ。ネリがいるのにそんな仕事に就かせるわけがないだろう」

「工房、なんですか。トープの勤めているところ」


 フリントさんはしまったと言う顔をした。けれど町の中に工房はいくらでもある。木工、鍛冶、その他にも職人が集まる場所はいろいろあるから探し出すのは容易ではない。仕事の時間外にばったり町で出くわす以外、会うことはないのだ。


「マザーがすぐに会えるって言ってましたけど難しいですね。工房ではなくてお店なら少し覗くだけでも分かるのに」

「あ、ああ。そうかもな」


 そんなやり取りをしているうちにディカーテの門をくぐり、アトリエ・ベレンスの前で馬車は止まった。


「浅葱さんこんにちはー。荷物は路地から持って入った方が良いですか?」

「はーい、いらっしゃい。あ、私も裏から回るから少し待っていて」


 流石に荷馬車は路地を通れないので、フリントさんとはここでお別れだ。


「何だか嫁に出すような気分だ」

「すぐにまた会えますって。自炊が出来るようならそのうち野菜を買いに行きますね」

「おう、待ってるぞ」


 路地を抜けた先にある中庭は、広くて明るい。試験の時にもアトリエに入る前に通ったけれど、きちんと整備されていて花壇と井戸がある。ここで絵を描いても気持ちよさそうだ。きょろきょろしていると、浅葱さんが居住棟の前で手を振っている。


「荷物はそれだけ?片方持つよ」

「有難うございます」


 住人は工房や事務所などの仕事場にいるせいか、誰もいなかった。


「一階は食堂や水回りになっているよ。頼めば厨房を借りて自炊も出来るけど、天引きされる料金の中には食費や家賃の分も入っているからね」


 経費節減、これ大事。フリントさんには悪いけれど市場へ行く機会はあまりなさそうだ。


「原則として二階は男性、三階は女性なんだけど、家族で住んでいる人もいるからあんまり区別はされていないかな。でも自分が住んでいる階以外へは立ち入らない方が良いかも。女性画家は今のところノアちゃん一人で、私みたいな事務員の他に、食堂担当や掃除担当がいるよ」


 案内された部屋は孤児院の部屋よりも広かった。ちょっとしたアパートのような間取りで、窓の外は通りに面している。柵が付いているけれどベランダは無くて、洗濯ものは部屋の中に干す感じかな。一人で住むには広いけれど、家族で住むには手狭な感じ。


「布団とカーテンはこちらで用意しておいたけれど、良かったかな?孤児院から持ってくることはできなかったでしょ」

「今まで気づかなかったのですごく助かりました。あの費用の方は……」

「ああ、稼ぎから引かれてくから大丈夫だよ」


 ベッド、机、一人用のテーブルとイスに小さな箪笥。前の住人は私と趣味が遠からず、飾り気は少ないけれど落ち着いた雰囲気の家具を残しておいてくれた。


「素敵な家具ですね」

「ここに住んでた子、お嫁に行っちゃったから嫁入り道具として持っていくもんだとばかり思ってたんだけどね。相手がお金持ちでさー」


 ほんの少しの妬みを含んだ言葉から、浅葱さんも独身なんだと見当をつける。私が小さなころからお世話になっているからもう結構いい年のはず。一体何歳くらいなんだろう。


「はい、これ部屋の鍵。ちなみに家賃は一月五万ルーチェで朝晩の食事込みだから」

「え、安くないですか?」


 この町の家賃がどのくらいの物かは知らないのに、前世の感覚でついうっかり口にしてしまった。


「何言ってるの。一月で最低五万以上は稼がなくちゃならないって事だよ?市場で絵を売ってたって聞いたけど、今までどれくらいの値段で外で売っていたの?」


 最高で二千ルーチェという事を思い出して、私は思わず悲鳴を上げた。単純計算でひと月に二十五枚以上売らなくてはならない。


「か、稼がなくちゃ」

「そうそう、その意気で頑張れー。あ、ちなみに画材は今まで通りの値段で自腹だからね」


 今すぐにでも絵を描き始めたいところだが、自分の部屋に荷物を置いて次はアトリエを案内してもらった。

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