自画像

 自画像。今までほとんど人物を描いていなかったことに加え、よりにも寄って自画像。


 人物画は見た目だけでなく、多少なりともその人の内面まで見抜く観察力が必要だと思っている。厳しい人だとか優しい人だとか、芯の強い人だとか意志の弱い人だとか。自分はその人本人ではないからあくまで外側から見たものだけど、それでもただ見たままを描くだけでは無い事は分かっている。


 人物画が苦手なのは、描いた絵を本人がどう思うかの一言に尽きる。私がその人をどう見てるのかが分かってしまうのも困る。


 描く対象が自分ともなるとどうだろうか。他人よりも内面を知っているのだから表現できているべきだ。少しでも美化してしまえばナルシストになってしまう。え~この人自分がこんなふうに見えていると思ってんの~なんて絵を見る人が思ったら、いても立ってもいられない。違うんだーと叫びたくなる。


「大丈夫。これはあくまで課題なんだから、表に出ることは無いよきっと。うん。自分に自身が無いのは分かっているけれど、客観的に見れば大丈夫。私は、絵を描きたいと言う思いがきっと人一倍強い筈」


 鏡を見ながら自分自身に催眠術でも掛けるつもりでぶつぶつと呟いた。見る人が見たらきっととても怪しんだだろう。

 一言、「よし」と気合を入れて鏡に向かう。三時間だから出来るだけ手順を省かないと時間が足りない。

 おおよその輪郭を取り、目と顔の中央のアタリを付けてから、ざかざかと描いていく。


 前世の私に比べれば随分と美人だ。髪の毛と一緒に眉毛も白くなってしまったので、ぼんやりと浮世離れした感じに見える。周りが白いせいで黒目がちな瞳は際立って見えた。ある意味、モノクロで描くには適した色合いだとも言える。

 あまりに表情が硬く見えるので口角を少しだけ上げてみると、自然に目も細められ、一気に雰囲気が和らいで見えた。生きている人間の顔だ。


 生まれ変わってからこんなにまじまじと鏡を見たことは無い。村で健康的な生活を送ってきたせいか、それとも窓からの光のせいか、肌は透き通るような白さなのに病的では無い。色をのせる機会があったらうっすら赤みをさしてみたいくらいだ。


 静物画と違って、鏡から手元へと視線を動かす度にモデルは動いてしまう。大学入試の実技よりもかなり難しい。精密さよりも思い切りの良さが必要かもしれない。妥協はしたくないけれど、細かすぎる描写よりも雰囲気に重きを置いて絵を描いた。


 ガタガタガタっ


 上の階から物音が聞こえるけど、集中集中。このくらいの物音なら孤児院にいる時だってあったもの。遊びたい盛りのチビちゃん達は、時にはキーキー声で叫び倒すからね。それで最後には電池が切れたみたいにぱたりと寝てたりする。


「もーっ、なんなのよこの絵っ。あんたの目ん玉腐ってんじゃないのっっ」

「だから抽象画だと事前に言ってあるだろう。僕にとって初の試みなんだから協力してくれると」

「そんなの私じゃなくてもいいでしょ、いつも通り美人画だと思ったから来たのに。大体この絵のモデルがあたしだと知られたらいい笑いものよ、何考えてんのっ」

「すごいな、もっと怒ってくれ!君の怒りに歪んだ顔は最高だっ」

「ふざけんなーーーっ」


 そうそう、こんな感じで喧嘩もしてたなあ。でも上の階からここまではっきり聞こえる声ってすごいね。お隣さんだったら壁が薄いんだなって思うけど、巨大な絵も描けるような天井が高めにとってある部屋なのに。よほど大きな声を出しているんだな。


「あんたなんか昔みたいに自画像でも描いてなさいよ、この変態ナルシスト!」


 ナルシスト、の言葉に手が止まる。か、課題だから仕方がないんだもん。普段から描いているわけじゃないもん。変態じゃないもん。

 とは思いつつも、もう少し不細工に描いた方が良いのかなーなんて思ってみたりもして。いやいやデッサンと言うのはそもそも正確であることが重要だし、技術のレベルを見定める為に描かせていると思うから、余計な考えに惑わされちゃだめだ。集中集中っと。


 しばらく物音が続いてから誰かが階段を駆け下りる音がして、やっと静かになった。静寂の中、鉛筆の音だけが響いて聞こえてくる。それから先はただひたすら無心に描いた。


 窓から差し込む光の位置が大分移動したころ、ノックの音が聞こえた。絵に向けていた意識を急いで引き戻して返事をすると、扉が開いて先生が申し訳なさそうな顔をのぞかせている。


「そろそろ、制限時間じゃが、どうじゃろう……そのう、雑音で集中できんようじゃったらもう少し時間を取ることも出来るが」

「いえ、大丈夫です。納得のいく絵が描けました」


 欲を言えば、もう少しお洒落すればよかったかな。今着ているのは、これぞ村娘って感じの地味なカントリー服。赤毛のアンが着ていそうな動きやすさ重視で、汚れが目立たないようにうす暗い緑色だ。まあ、鉛筆でのデッサンだから色は関係ないけれど、髪飾りの一つでもつけていれば違っていただろうか。


「あれだけ騒がしい中で、よく描けたのう」

「孤児院で子供たちに囲まれてましたからね」

「なるほど、どれどれ……」


 マザーやフリントさんのような身内でも、買い物のついでに見ていく市場のお客さんでもない。プロ中のプロに絵を見てもらう、そのことを改めて意識し始めて緊張した。お付き合いフィルターの掛かっていない、まっとうな評価はもしかしたら私を傷つけるものかもしれないけれど、出来るだけ真摯に受け止めよう。これはほんの入り口で、これからいろいろなお客様に見てもらうことを考えるといろいろな意見だって出てくるはずだ。


「まず、デッサンの正確さのみを見るならば自画像では無く静物画を描かせていたのは、理解できているかね?」

「はい」

「モデルがいたなら画家との関係性も絵に出てくる。それを踏まえた上で自画像と言うのはいかに自分を客観的にみられるかが重要だ。ノアールはノアールを見て、どう思った?」

「絵を描くことに喜びを感じているようです。おそらくこれから生活が変わることに少しだけ不安も持っていますが、それ以上に期待をしているようです」


 気を付けて描いていたことをそのまま言ってみた。線のゆがみやパーツのずれを指摘されるのかと思ったけれど、違うみたいだ。


「わしは意志の強そうな瞳じゃと思った。やりたいことをやり通し、ちょっと軟弱な所もあるが覚悟が決まっている、そんな子に見える。違うかね」

「あ、当たってます。我がままかな~なんて時々思うこともあって」


 絵の評価をしてもらっている筈なのに、なんだか性格診断をしているような気分。先生はそのまま絵を持ち上げて、実物の私と見比べる。


「絵の基礎は出来ているようだの。まるで誰かに教わった経験があるようだ。孤児院では絵も教えているのかね」


 私ははっとした。マザー以外に誰も指摘しないから気付かずにいたが、全く教わらずにここまで描けるのは確かにおかしいのかも知れない。


「七歳以前の記憶が無いのですが、それまでは貴族に育てられたこともあるらしいので、そのせいかもしれません」


 どこまで話せば良いんだろう。その育てた貴族が犯罪者だと知られれば、ここには入れないかもしれない。

 先生の優しそうな瞳は、まるで心の奥底を探る様に私に真っ直ぐ向けられている。軽く握っている手に汗が滲んできた。自分の実力とは全く関係ないところで躓くのは、口惜しい。ここで、こんな形で終わってしまうのは嫌だ。

 息苦しさにめまいまでしそうになった頃、先生がふっと笑ったので漸く息を吐き出すことが出来た。


「ここに居る者のなかには、過去を公に出来ないものもいる。何かあればその限りではないが、何もないのに探るようなことはせんよ。安心しなさい」


 言葉も声色も優しくて、不安が吹き飛ばされる。アトリエの人たちと同列に扱うと宣言が出たという事は―――


「合格じゃ。教えるだけでは無く互いに切磋琢磨しあう仲間が増えて、私は嬉しい」

「あ、有難うございます。頑張りますのでよろしくお願いしますっ」


 私は深々とお辞儀をした。

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