ただいま
馬車で移動しているだけとはいえ、ずっと乗り続けていればそれなりに疲れる。間に宿泊を挟んだとはいえ二日目の昼にバスキ村へ着いた時は、体力よりも気力が擦り減っていた。
そう言う時は考えもどんどん後ろ向きになる。邪険に扱われることはないだろうけど、出戻りした私が以前と同じように暮らせるのか心配になってきた。
まずは帰った時の挨拶なんだけど……ただいま、それともこんにちは?一度他所へ引き取られた形だからなんて声を掛ければいいのか考えてしまう。
農村に似つかわしくない白い建物は遠くからでも目立つ。丁度、外でフリントさんが薪割をしているところだった。馬車が止まり、カーマインの後に降りてきた私に目を丸くする。悪いことをしたわけでは無いのになんだか居た堪れなくて、それでも頑張ってにこりと笑った。
「ノア、……何かあったのか?」
身分が上のカーマインに声を掛けるより先に私に声を掛けた。それがどれだけ失礼な事かフリントさんは知っている筈なのに。カーマインは咎めることをせず、少し苦笑いをした。
「詳しいことは僕が説明します。ネリさんはいますか?」
「あ、ああ。ちょっと待っててくれ」
フリントさんが中へ入ると、しばらくしてトープが転がるようにして出てきた。そのまま私の肩をがしっと掴み、揺さぶりながらわめきたてる。
「ノア、どうしたんだっ。意地悪されたのか、それとも殴られたのか。あっ、もしかしてご飯取られちゃったのか?」
心配してくれているのは分かるけど、一通りトープに受けた仕打ちであることに何だか笑ってしまった。
「大丈夫だよ。ただ、いろんな事情で一緒に住めなくなっただけ」
トープに細かいことを話すのは危険かもしれないので誤魔化しておく。
「けがとかしてないか」
「うん、大丈夫」
おでこにたんこぶできてるけど。トープと話しているうちに遅れてマザーが出てきて、応接室へ通された。子供がほとんどいないせいか、孤児院の中はやっぱり静かでがらんとしている。
マザーは私をちらりと見たけれど特に何も言わない。多分説明を聞いてから自分の態度を決めるつもりなんだろうけれど、少しだけ不安になる。
部屋の中にトープも入ってきたので「トープは……」と、部屋の外にいるように押しとどめると、カーマインは首を振った。
「いや、彼にも聞いてもらおう。半端な状態の理解の仕方ではその方が危険だ」
絶対に他人に話さない事を約束してカーマインはトープの同席を許した。
カーマインはまだ私が聞いていなかったことまで全てを話した。エボニーの今までの所業や、私の微妙な立場まで。子供の誘拐や暴行だけでなく、様々な悪事を働いてお金を稼いでいたらしい。魔力が無くても稼ぐ方法はいくらでもあるのに、学ぶ機会を持たなかったようだ。
カーマインとエボニーの差。野心は二人とも持っているのに、何でも貪欲に学ぼうとするカーマインと、家柄にこだわるあまり、魔力を多く持たないのに魔法だけしか学んでこなかったエボニー。
絵を描くこと以外にも目を向けないと、私もろくでもない人生を歩むことになるかもしれない。夢を捨てるつもりは無いけれど、もう少し丁寧に生きてみようと話を聞きながら思った。
「アンツィアの孤児院で育てるとなれば、好奇の目に晒されるのはおそらく防げません。いくらノアールも被害者だと言っても、エボニーに恨みを持つ者から狙われる可能性もあります」
私になる前のノアールはほとんど外出しなかったみたいだから、周囲に顔を知られている可能性は低い。でもアンツィアの孤児院で事情を話せば、たとえ他言を禁じたとしてもどこからか漏れるのは否定できない。子供の多い孤児院なら危険も増す。
この孤児院が絶対に安全だとは言い切れないけれど、少なくとも領都よりは危険が少ない。見知らぬ人が村に入り込んだだけでも結構目立つからだ。
「ノアールをもう一度ここへ入れてあげて下さい。お願いします」
「お願いします、マザー。成人するまでここに居させてください」
私とカーマインは頭を下げた。カーマインが頭を下げる必要などないと言おうとしたけれど、ここ以外の孤児院に行くなんて嫌だ。せっかくだから便乗させてもらうことにした。
マザーとフリントさんは深くため息をつき、少しの間沈黙した。二人で目配せして頷きあっている。何だろうと思ってみていると、マザーが口を開いた。
「お帰りなさい、ノア。そう言う事情であれば私は貴女を歓迎します。大変でしたね」
「元々孤児なんだから入れない道理はない。お帰り」
二人がが笑顔で言ってくれたから、私はほっとした。
帰ってきたんだ。帰ってきてよかったんだ。
泣き笑いになりながらも、私は思わず二人に抱き着いた。自分がそんな事する性格だったなんて初めて知った。嬉しくて嬉しくて我慢が出来なかったみたい。トープが羨ましそうに見ていたのでトープにもついでにハグをしようとしたら、「俺はいいからっ」と逃げられた。
「ただいま戻りました、マザー、フリントさん。またお世話になります」
「もしもノアールが単なるわがままで帰ってきたら怒らないといけないと思ってました。絵が描けないと泣いて帰ってくることも考えていたのですよ」
「えっ、マザーの中では私そんな感じですか」
心配していたのが嘘のように、孤児院を出て行く前のような……いや、それ以上に親しげな会話が弾む。大きくなったら出て行かなければならないのは変わらないけれど、以前よりも腰を落ち着けてここに住むことが出来そうだ。
会話が途切れるのを見計らったカーマインから声が掛かる。
「そろそろお暇しないと」
「もう少しゆっくりして行けばいいのに」
「すっかり自分の家みたいな言い方だね。馴染んでいるようで何より」
笑いながらカーマインは自分のおでこを触った。馬車の中でぶつけたところが気になっているらしい。もしかしたら私みたいにたんこぶになっているかもしれない。
「ちょっと待っていてください」
私はマザーに断って魔法用のチョークを借り、治療の魔法陣を小さな紙に描いて渡した。
「呪文を唱える魔法みたいに即効性は無いですけど、帰りの馬車の中でおでこに当てていれば治ると思います。本当に御免なさい」
カーマインはしばらく驚いていたが、やがてものすごくまじめな顔をして言った。
「魔法をもっと本格的に学んで、僕の元で働く気は無い?ノアールなら信じられるし、来てくれるなら高待遇で迎えるよ」
「絵描きになる夢は諦めきれないので無理です」
「趣味で描けばいいと思うけれど……それでもダメ?」
カーマインが偉くなれば私の地位も上がるかもしれない。そうなれば私の絵の価値も随分と上がることも考えられる。歴史上の偉人が描いた書物や絵に価値が付くのはよくあることだ。
でもそれは、私が望む形では無い。身分に関係なく絵が評価されて欲しい。例え日の目を見ることがなくても、だ。
私は首を振って拒絶を示した。カーマインは一言「残念」と言っただけだった。
一年前、この村にやって来た時と同じように私達は馬車を見送った。今度はカーマインが馬車の窓から顔を出してこちらを見ている。簡単に遊びに来れるような人じゃない。カーマインと会う時は何かが起こった時だけだ。二度と会えないかもしれないと思いながら、見えなくなるまで手を振り続けた。
生活は難なく元に戻る。勉強して、マザーの手伝いをして、絵を売って……。闇の日生まれなのに大きな病気やけがをすることも無く、日々を重ねていった。
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