馬車
領都観光がしたい…なんてわがままを言う気は当然の事ながら私には無い。次の朝早くカーマインと共に馬車に乗り込みバスキ村へと向かう。御者は来た時と同じくラセットだ。領都へ来る時は途中で馬を換えて、大して休むこともせずに丸一日でついたが帰りは二日かかるらしい。
今思えば大分緊張していたみたいで周りに注意を払う余裕なんかなかった。随分馬車の速度が速いなとは思っていたけれど、貴族の馬車なんだから特別なんだろうとさえ思っていた。
「一応捕り物をする準備はしていたんだけどね。ラセットが駆け込んできた時には焦ったよ」
馬車に揺られながらカーマインが話す。ラセットがバスキ村に来た時点で計画は始まっていたから連絡はされていたのだろうけれど、翌日予定していた仕事が前倒しになったのでかなり大変だったらしい。この所あまり眠れていない様だ。少し顔が青いような気もするけれど私を気遣ってくれているのか、よく話しかけてくれた。
「そう言えば絵描きになるのが夢だったんだよね?」
「はい。市場で野菜を売るときに小さな絵を置かせてもらって、少しずつ売って画材を揃えているんですよ」
「え、買ってくれる人がいるの?」
カーマインは物凄く驚いた。そう言えばカーマインには地面に描いた落書きフリントさんしか見せたことが無い。あの絵を売っていると言えばそりゃあ驚くよね。でもちょっと失礼な言い方だ。
私はむくれて怒りを見せた。
「いるんです。金額は低いけど、売れる様なちゃんとした絵だって描けるんですよ」
「ごめんごめん。へぇ、じゃあもう立派な絵描きさんだ」
「えっと、でもまだ生計を立てるには程遠くて……もう少し大きくなったらアトリエに入る目標を立てているんです」
個人所有では無いアトリエが三つある町、ディカーテの話をするとカーマインも知っていた。領都でアトリエを開くには地代が高く、採光の為に大きな窓が必要なため都市部よりも郊外に構えることが多い。カーマインが小さい頃にアトリエ所属の画家を呼び寄せ、家族の肖像画を描いてもらったことがあるそうだ。
「偉いなぁ。そこまで考えているんだ」
「カーマインの夢はなんですか?」
「王様になること」
即座に答えが返ってきて私は唖然とした。カーマインって貴族だと聞いていたけど、将来王になる可能性があるのは王子で、王子なら貴族では無くて王族と言う筈。下剋上……って本気で言っていたの?
私がポカンと口を開けているとカーマインは声を上げて笑った。
「嘘だよ。ちょーっと偉くなりたいなーとは考えているけど」
「何か目的があるんですか?」
偉くなりたいからという理由で動くほど、カーマインは幼稚には見えない。エボニーを捕まえる事はともかくとして、バスキ村の自警団の活動に参加したりするのは上へ上がる為には直接的な手段ではないように見える。
勉強の為だとしたら納得はできる。遠回りでも実力をつけてかなえようとする目的は何なのか、気になった。
「約束したんだ、友達と」
「約束?」
「他の誰かに言ったら叶えられなくなるかもしれないから、内容は話せない。急ぎたいけれど失敗するのは嫌だから、慎重に行きたいんだ」
少し大人びた顔で言うので、とても大切な友達なんだと感じられた。友達の為に何かできるのはすごいことだ。その表情に悲愴な感じはしないから、自己犠牲と言うわけでもなくカーマイン自身の為でもあるんだと私は勝手に推測した。
いいな、そう言うの。私はまだ、私の為にしか動けていない。絵を描くことで誰かの為になるなんて、出来るだろうか。
前世の知識を活用しようにも絵を描く以外に役立ちそうな知識もない。マザーの料理はおいしかったし、畑の野菜は豊作だったし、そもそも不便さを感じる様な生活ではなかった。
前世の願いを叶えるためだけに記憶を持って転生しただけ。なんて自分本位なんだろう。
考え込んで会話がとぎれてしまっていたのに気付き、私は思い切って踏み込んだ質問をしてみた。
「そう言えばカーマインはどういった貴族なんですか?」
この世界の貴族がどういったものかは知らない。侯爵や伯爵と言った爵位があるのか、それとも私が知っている貴族とは違う物なのか。そう言った事をこの際だから聞いておこうと思った。
だけど、返事が返ってこない。答えにくいことなのかなと横を見ると、カーマインは目を閉じていた。馬車の揺れと共に少しずつ横へ傾いていき、私の肩にもたれかかる。
疲れているのかな。そう言えばエボニーのせいで予定が狂ったらしいから、ろくに眠っていないのかもしれない。
領都に戻ればきっとまた仕事に囲まれるだろうから、せめて私を送っていく間だけでも休んでほしいと私は出来るだけ動かずにじっとしていた。
けれど悲しいかな、小さな肩では頭を支えきれずにカーマインの頭は私の膝の上にすとんと落ちる。
……膝枕だ。まだ幼女とは言え、前世も含めた人生初の膝枕をしている。私の膝はスケッチブックか画板専用なのに、よもや人間の頭をのせることになるとは思わなかった。地味に重たくて痛い。
馬車がごとんと揺れて膝の上からも落ちそうになったので、慌ててカーマインのおでこを抑えた。抑える時に力加減を間違えてぴしゃりと音がする。起こしてしまうかと思ってひやりとしたが、目は閉じたままだ。
なんで起きないの?床に落とせば起きるの?落としても良い?―――いやいや命の恩人にそんなひどいことはしませんよ。というか、生きてる?大丈夫だよね?
不安になったので、少しだけ顔を近づけてちゃんと息をしているかどうか確かめる。轍の音に混じりながらも規則正しい寝息が聞こえてきたのでほっとした。
人の寝顔をまじまじと見る機会なんて早々無いので、今後の絵描き人生の為にもじっくりと観察させてもらう。
棺桶の中からカーマインを見た時、日の光に透けて赤い髪の毛は毛先が金色に見えた。今、馬車の中で見る色は紅色で、光の差し方によって同じ赤でも随分変わりそうな色合いに見える。
赤い髪と言えば白人だけど、カーマインの肌はそんなに白くない。この世界の人種がどのようなものかは知らないけれど、カーマインは肌の色だけ見れば黄色人種に近い色だ。
肌の色と言えば油絵の場合、質感を出すには透けて見える血管の色、緑や赤系統の色を少し乗せる。水彩画は淡い色からにじませないように乾燥させつつ描いていくので、薄めた赤はともかく緑は怖くて使えない。使うとしたら、それに合わせた画風でまとめることになる。
考えてみれば今まで人物画を描いた事は数えるほどしかない。無防備かつ動かない題材が目の前に転がっているのに、手元に絵を描く道具が無いのが非常に悔しかった。
誰かと話もせず、絵を描くこともせずに同じものをずっと見続けていればどうなるか。緊張が解けて集中力も無く、子供の頭は重い。膝の上にカーマインをのせているので逃げ場はなく、舟をこっくりとこぎ始めては、はっと目を覚ましを何度も繰り返して……
ごつっ
とうとうカーマインに頭突きを食らわしてしまった。あまりの痛さに自分のおでこを両手で押さえていると涙まで出てきた。
「痛たたたたた……。何だこれ、どういう状況?なんか目の前に星が散ってるんだけど」
流石にカーマインも目を覚まして額を押さえつつ、まばたきをしている。
「馬車の中。カーマインが寝て肩に寄りかかったら膝の上に頭が落ちてきて私も寝たら頭ごっつんこ」
取り敢えず思いつく言葉を羅列して答えました。頭はまだ痛いです。ううう……
それでもカーマインは状況を理解したらしく、起き上がって座りなおした。けれどダメージからは中々回復できず二人して並んでおでこを押さえている。
「今晩泊まる宿に着きましたよー……って二人して何やってんですか」
馬車が止まり、扉を開けたラセットが呆れた声で言った。
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