あまりにも大きな音が部屋の中に響いたので、私もエボニーもびくりと体をこわばらせた。それでもエボニーは直ぐに反応し「誰だ」と扉の方へと振り返る。


 複数の足音と共に地下室に入ってきたのはラセットと数人の兵士、そして……カーマインだった。兵士たちは息つく暇もない程エボニーを手慣れた様子で床に押し付け、抵抗できないように縛り上げた。


 壁際にまで追いやられていた私は、そのままへなへなと座り込む。


 ―――助かった。結局のところ何も手を思いつかなかったので、あと少し遅れていたら間に合わなかったかもしれない。


 一年で随分と大人びたように見えるカーマインは、自警団を手伝っていた時とは雰囲気も違う。よく似た人に厳しさやら真面目さを足した、まるっきり知らない人みたいだ。考えてみれば一日しか会っていないのだから、そんなに知っていると言うわけでもない。そんな私でも分かるほど、成長しているように見えた。


 カーマインは私を一瞥した後にエボニーに対しての罪状を述べ上げる。


「領都内における無許可の闇魔法行使、未成年略取および誘拐、監禁、暴行の罪で―――」

「私の子供に教育の一環として魔法を使わせて何が悪いっ!ラセット、お前私を裏切る気か」


 捕らえられながらも怒鳴るエボニーに、ラセットは肩を竦めた。


「次の仕事に取り掛かってるだけなんで、文句を言われる筋合いは有りゃあしませんけどねぇ。探し出すのに一年もかけている時点で、おかしいと思わなかったんですかい」

「どういう事だ?」

「ノアールの居場所が分からなければ、また闇の日生まれの子供を誘拐すると思ったんだよ。網張って待ってたのに当てが外れた。余程執着してたんだな」


 カーマインが代わりに答える。七年に一度闇の日があって、私は八歳になったから去年の時点でまた新たに生まれた子が何人かいるかもしれない。私と同じくらいの子供を探すより生まれたばかりの子を攫う可能性が高いと、カーマインは考えたんだろう。


 床に描かれた魔法陣の、未だ台無しになっていない部分を確認する。指でなぞり、ため息をつきながらカーマインはエボニーに目を向けた。


「最高にタチの悪い魔法だから多分死罪だね。継ぐ者もいないから家は取り潰し。歴史上に名を遺すほどの家が無様な末路だな」

「まだだ。まだ、ノアールがいる」


 押さえつけられ、呻きながらも顔を上げて私を見ている。その目はやはり私では無く別の物を見ているようだった。先祖より受け継ぐことのできなかった輝かしい未来だろうか、それとも承認欲求を満たされた自分だろうか。ぎらつく目はどちらにしろ、私を人として見る事はなさそうだ。


「諦めろ、本当の君の子供はとっくに死んでいるんだろう?闇の日に生まれ、より慎重に育てられなければならないにもかかわらず過剰な魔法教育によって父親に殺された最初のノアールは、奥方と共に埋葬されているはずだ」

「ちがっ……のあーるはそこに」

「彼女は一体何人目のノアールだ。時折、裏の庭に増えていく墓は…毎日花を手向けている墓は一体誰のものだ?」


 エボニーは暴れるのを止めて目を見開いた。うめき声を一度上げたっきり、がっくりと項垂れてしまう。抵抗する意思を失くしたエボニーを連れて行くよう兵士に命じた後、カーマインはぽそりと呟いた。


「中央行きを望んでいるのはお前だけじゃないんだ。悪いけど、足がかりとさせてもらうよ」


 そう言ったカーマインの声はひどく冷ややかだった。ラセットと兵士たちは地下室から出て行き私とカーマインが取り残される。話の流れからすると私はカーマインに利用されたらしいことは理解できた。助けられたのだから文句は言うまい。


 久々に見る顔からは、少年らしさが抜けて大人の物に近づいている。


「立てる?」


 カーマインが手を差し出してくれたので縋り付くようにして立とうとするが、足が震えてうまく立てない。業を煮やしたのか、一年前と同じように私を抱き上げた。


「重たくなった?」

「成長しただけですっ!」

「うん。しっかり食べているようで安心した。フリントさん達に預けて正解だったな」


 なんだろう。状況から考えれば感動の再会、ときめきイベントにも見えるのに色気の欠片も無いよ。私がまだ子供だからカーマインの反応が当たり前だけど、中身は二十歳前の年ごろだからひどく戸惑う。

 これ、もし私がもう少し大きかったらお互い運命的なものを感じてしまうんだろうか。二度も助けられたのに何だか申し訳ない気がする。


 私の動揺も構わずにカーマインはそのまま地上への階段を上がっていく。と、とにかくお礼だけでも言わないと。


「あの、助けて下さって有難うございました」

「できれば君を引き出さずに事態を解決したかったんだけどね。怖い思いをさせて済まなかった」

「そう言う意味だったんですか。……身分が違うから二度と会うことは無いって意味だと思ってました」

「あはは。下剋上を狙うのに身分差なんか気にするわけがないだろ。そろそろ大丈夫かな」


 階段を上がったところで、カーマインはすとんと私を降ろす。話をしているうちに足の震えも止まって難なく立てた。その場でたった今聞いたばかりの不穏な言葉を聞き返す。


「下剋上?」

「いや違う。言葉が悪いな。建前は大出世?栄転とか……誰かを陥れるのは結果としてそうなってしまうだけで」


 手をひらひらと振り笑顔で誤魔化そうとしているけれど、思いっきり建前とか言ってるよ。カーマインが歩きだすので私も一緒に歩く。どうやらエントランスに向かっているようだ。


「偉くなりたいんですか」

「尊敬する人の傍に行きたいだけだ。遠回りに見えてもいろいろな経験をしておいて、その人の役に立てるような人間になりたい」


 その横顔は前を真っ直ぐ見つめていて、どこか眩しかった。カーマインがいつか目的の場所までたどり着けるよう、胸の中でそっと祈る。


 屋敷の中をカーマインに付いて歩き、エントランスに着くと騒然としていた。地下室に入って来た兵士はほんの一部で、かなりの兵士が地上で待機していたようだ。まだ若いのに、カーマインはそれらの兵士に指示を出していく。


 使用人として潜り込んでいた密偵たちによって罪の有無が分けられた。訳も分からず不安な顔をしている者。兵士たちに縛り上げられている者の中には暴れながら私に助けを求める者もいた。


「ノアール様、私は貴女に誠心誠意お仕えしてきたのに、どうしてぇっ」


 誰もかれも知らない顔ばかり。当然だ、記憶喪失なのだから。もしかしたら中には良くしてくれた人もいるかもしれないけれど、そんな思い出は一切ない。第一こんな時ばかり助けを求めるなんてどうかしている。


 エントランスで叩かれた時、数人の使用人がいたにもかかわらず誰も何も言わなかった。地下室へ連れて行かれるのを止める者は誰もいなかった。


 こんな子供が乱暴に扱われているのに、というのは私の甘えかもしれない。けれどノアールも同じようにされていたと言うなら、それはとても許せない事だった。


 私は暴れている使用人の元へ進み出た。


「私は一年前の魔法の影響で記憶が有りません。どうしてというなら、どうして私を助けて下さらなかったのですか」

「そうだね。誘拐してきた子供の世話をしたからって罪が無くなるものでもないしね。記憶が残っていたら情状酌量の余地はあったかもしれないけれど、死にかけるのを黙って見ているような奴らに情けはかけられないな」


 カーマインが援護をする。本当にその通りなのだ。幽かに思い出が残っていようものなら助けてあげたい。けれど偶然生き延びただけで……いや、ノアールが消えたから私が出てきたのなら、結局のところ一度死んだようなものだ。


 誠心誠意・・・・お仕えしている主が死ぬのを黙って見てたのに、こんな時ばかり助けを求めるなんてあり得ない。


 それでも期待するように私を見るので首を振って見せると、使用人は諦めて大人しく兵士に連れて行かれた。


 略奪が起きないよう見張りの兵士を屋敷に残して、撤収を始める。捕らえられた人たちは専用の馬車に詰め込まれ、兵士たちがその周りを取り囲みながら進む。周囲は高級住宅街のようで、やじ馬が集団で押し寄せることはなかったが、それでもひそひそと話しながらこちらを窺う気配がそこかしこでする。


 私はどうすればとカーマインに聞くと、参考人として取り敢えずは付いて来てほしいと言われる。カーマインと一緒の馬車に乗り、窓から屋敷を見た。


 私の『家』になり損ねた屋敷は、思い出もないし荷物も持ってきていないので離れるのに感慨も何もなかった。命の危機があったとはいえ、この大捕り物もどこか他人事に感じられて仕方ない。


 ―――あ、でもちょっと屋敷や庭は絵に描いておきたかったかな

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