連れて行かれた先は

 ラセットが御者を務める馬車の窓にはカーテンがついていて、開いて景色を見ようとしたらエボニーに注意された。あまり機嫌を損ねるのもこれからの生活に支障が出そうなので、大人しくそれに従う。


 エボニーは会話らしい会話もせずに、むっつりと黙ったままだった。出来るだけ情報が欲しくて、私は恐る恐る話しかける。意外にも、顔をしかめることも無くすらすらと答えてくれた。


 ノアールの生まれは一言でいうと没落貴族、らしい。建国当時から代々王家に仕える魔法使いを輩出する程の名家だったが、ここ何代かは魔力に乏しい世代が続いたため、かなり格下の領主に仕えると言う立場にまで堕ちてしまった。


 ―――由緒正しき家柄が犯罪や余程の失態が無い限り、そこまで没落するなんてあり得ないと思うのだけれど。


 エボニーは何とかして魔力の多い子供を残そうと領内でも魔力の多い上位の貴族から母を娶ったが、その母も私を産んで直ぐに無くなってしまったらしい。


 母方の貴族とは一応縁は切れていないと言う程度で、支援は受けていないと言う。


「これからどこに行くのですか?」

「領都アンツィアにある屋敷に戻る。我が家は土地を持っていない貴族だからな」


 ―――貧乏、なのかな。でも馬車はしっかりしているし服も誂えてくれた。土地無しなら税収はないけれど、もしかしたら高待遇の役職についているのかもしれない。


 貴族の多いアトリエは確かヴィオレッタ。アトリエ・ベレンスが目標だったけれど、この際どこでも良い。領都アンツィアからアトリエのあるディカーテは少し離れているけれど、社交を兼ねた活動だと言えばもしかしたら許してもらえるかもしれないし、今すぐには無理だとしてもいずれは所属できるように立ち回りたい。


「貴族としての作法など、社交の為にこれからいろいろな事を学ばなければならないのですよね」

「いや、闇の日に生まれてしまったお前に社交は無理だ。娘をむざむざ好奇の目に晒すわけにもいかん。適齢期まで生きることができたなら結婚相手は私が決めるから、お前は何も心配しなくても良い」

「でも、貴族の方にお願いして行方不明の子供がいないか調べて頂いても、何も出てきませんでしたよ。黙っていれば分からないのではないですか?」


 私が答えると、エボニーは片眉を上げた。


「その貴族とは誰だ?」

「カーマイン様です。どのような貴族なのかは知りませんけれど」


 どのような家の出なのかとか、詳しい身分を教えてもらうことは無かった。けれど今思えば、滅多に会うことのできない高位の貴族なのだと予測できる。


 深いため息をついたエボニーは険しい顔で何やら考えている。自分の中で答えが出たのか、一度大きく頷いた。


「急いだ方が良い、か。ノアール。屋敷に戻ったら大至急で大きな魔法を使ってもらうことになる」

「私、記憶が無いのですが……」

「大丈夫、準備は既に大方終わっている。魔力の高いお前は、……お前だけが我が家の希望なのだ」


 どんな魔法を使うのかまでは聞いても教えてもらえなかった。やがて馬車は止まり、外側からラセットが扉を開ける。玄関先に横付けされている状態なので屋敷の全体が見えないが、没落していると言ってもかなりの広さの建物のようだ。


 屋敷のエントランスに入れば高級ホテルのような雰囲気に圧倒される。寧ろ、孤児院に居た頃を思えばかなり裕福な生活が出来るように感じた。


「お帰りなさいませ、ノアール様」


 何人かの使用人達と執事らしき人にいきなり声を掛けられ、戸惑う。記憶が無く初めてここへ来た感覚なのでどう返事をしていいのか迷い、口から出た言葉はどうにもぎこちなかった。


「あの……はい、ただいま戻りました。これからお世話になります」

「ノアールは記憶を失っている。挨拶は後回しだ。地下室へ行くから鍵を持ってこい」

「今からあれをお使いになるのですか。はい、直ちに持ってまいります」


 そのまま、紹介もされなかった名前も知らぬ執事を見送る。初めが肝心と意気込んでいたのに、どうにもうまくいかない。魔法は、休む間もなく発動させなければならない物なのだろうか。


「……それじゃあ私はこれで失礼しますよ。それで、ええと…」

「ああ、報酬は君の主に渡してある。仕事はこれで終わりだ」

「はい、今後ともご贔屓に」


 ラセットはその場を去り、いよいよもって逃げる手段は無くなった。この屋敷に馴染むためにも、分からない事はどんどん聞いておこう。


「一体何の魔法を使うのですか。どうしてそんなに急ぐんです?」


 エボニーは冷たい目で私をちらりと見た後、盛大にため息をついた。


「いちいち口答えをする子ではなかったのに」


 エボニーが言い終得た瞬間に、ぱんっと音が響く。私の頬が平手で打たれた音だった。驚きすぎて何が起こったのか理解するまでに数秒がかかるほど、衝撃的な瞬間だった。悪いことなど何もしていないし、特におかしなことを聞いたつもりもないのに。

 こんなに簡単に子供を叩いてしまえる親が、まともな親なわけがない。


「つべこべ言わずに私のいう事を聞きなさい」


 激昂して怒鳴るわけでもなく、只静かに淡々と話すエボニーがかえって空恐ろしいものに感じられた。鍵を受け取り、呆然としている私の腕を引っ張りながら屋敷の中を早足で進んで行く。


 どこをどう進んでいるのか分からないまま地下へと続く階段が現れた。このまま降りていったらきっと後戻りはできない。そんな気がして腕を振り払うと、エボニーも足を止めた。


「どうした。言う事を聞かないと孤児院が燃えることになるぞ」

「燃えるって……本当に、そこまでして一体私に何をさせる気ですか」

「家を存続させるために魔法陣を発動させるだけだ。陣はほぼ完成していて、あと少し手を加えるだけにしてある。記憶喪失でも構わない」


 貴族の屋敷には何か私の知らない魔法のシステムのような物があるのかもしれない。農作物に影響が出たり、魔物の発生を抑えたり……とか。でも、だとしたらマザーから少しでも聞いていておかしく無い筈だ。ここで問答していても埒が明かないので、大人しく地下室に入ることにした。魔法陣を見れば、どのようなものかきっと分かる筈。


 地下に降りると古めかしく小さな扉があった。エボニーがカギを開くとその先には真っ暗な部屋。寒気がするのは地下室特有のひんやりした空気だけが理由では無い。戸口から一歩が踏み出せなくて立ち往生していると、エボニーが燭台の蝋燭に明かりを灯した。


 蝋燭の炎が揺らめいているにも拘らず真っ黒なその部屋は、記憶の奥底に沈んだ何かを浮かび上がらせた。


『真っ黒な部屋に連れて行かれました。蝋燭の明かりがあって……』


 カーマインとのやり取り。何故か記憶は塗りつぶされてしまったけれど、受け答えをしたのは覚えている。あの時私はおそらく、目の前の床にある魔法陣を言おうとしていたのだろう。真っ黒な床に赤い塗料で描かれている、円形の魔法陣。


「この部屋は―――」

「ああ、開拓村で使ったのと同じものだ。思い出したのか? あそこの地下は魔法の実験場になっている」

「誘拐されたのではなかったんですか」

「なんだ、全てを思い出したわけでは無かったのか。思い出したなら話は早かったのだが」


 まるでそれも儀式の一環であるかのように、優雅にこつ、こつ、こつと靴音を響かせながら部屋の四隅に次々と明かりを灯していく。


「あの村で行ったのは、闇の日生まれのお前に闇の神の力を降ろす儀式だよ。見届ける者をつけていたのだが、村の者たち同様にお前が死んだと勘違いしたらしい。放置して報告しに来た間に、誰ぞに嗅ぎつけられてしまったわけだ。お蔭で墓を全て掘り起こす羽目になった」

「でもあの村にはそんな場所は無かったって」

「簡単に見つかるような場所でやるわけがないだろう」


 村人の死は私と無関係だと思っていた。あんなにたくさんの棺を見たのにどこか他人事だと思ったのは、本当に知らない人達ばかりだったから。


 それが、全て私のせいだったなんて―――


 身に覚えのないことで罪悪感を覚えるのは馬鹿らしいなんて断言はできない。その儀式のせいでノアールが消えて前世の黒沢七月わたしが現れたのかもしれないから。


 もう一度同じものを使ったら私も消えて死ぬのか、それとも今度こそ闇の神が現れるのか。この辺りの人たちを犠牲にするわけにもいかないし、そう言う意味でも儀式を行うわけにはいかない。


 考えを巡らせることに夢中になるあまり、エボニーが私の目の前にいるのに気付かなかった。手を伸ばして私の髪に触っている。物凄く嫌なのに、振り払えない。


「全く、闇の神とは程遠いこんな真っ白な髪になってしまって……失敗してしまったのは、贄が少なかったからに違いない。この領都は無駄に人が多いから、今度こそ成功するだろう」


 エボニーの顔を真正面から見上げる。その瞳はどこか虚ろで、私では無い誰かを見ているようだった。

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