迎え

 数日後、外で絵を描いている時に貴族が乗るような馬車が村にやって来た。ラセットが御者台にいる以外、護衛などの人影は見えない。

 私が慌てて孤児院へと戻ると、マザーとトープとフリントさんが出迎え、丁度身なりの良い男が馬車から降りてくるところだった。



 おそらくマザーがトープに私を探してくるように言ったのだろう。駈け出し始めて私を見つけたトープが、私を指さしマザーに報告しているのが聞こえてきた。


 急いでマザーの隣に立つと、男がじっと私を見つめている。背が高く細身で、神経質そうな顔だ。黒い外套に黒いスラックスに黒い革靴、髪の毛も黒い。私に似ているのかは、よくわからない。


「この子が家で預かっていたノアールです。探していたお子さんに間違いありませんか」

「ああ、髪の色は変わっているが間違いない。無事で良かった、ノアール」


 話からすると、この人はラセットの雇い主では無くておそらく依頼人―――つまり、私の父親。


 男は涙交じりにそう言うと、外套の裾が地面につくのもお構いなしに身をかがめて大きな手で私をぎゅうっと抱きしめた。感極まっているのか幽かな震えが伝わってくる。


 見知らぬ男に泣きながら抱きしめられると言うかなりおかしな体験をしながらも、私は未だにこの男が父親だとは思えないでいた。大体、何て呼べばいい?父さん、お父様、父上。会いたかったなんて嘘もつきたくない。寧ろ会えないままでいるつもりだったから。


 硬直してしまっている私に気付き、顔を覗き込んでくる男。


「どうした、ノアール。私の事を忘れてしまったのかな」

「ごめんなさい。私、記憶喪失であなたの事も覚えていません。お名前を教えて下さい。あなたは私のお父さんですか?」


 本当にどうすれば良いのか分からないので、つい白状してしまった。男は一瞬驚いた顔をした後、悲しみをさらに深くした顔をした。


「何てことだ………」

「エボニー様、ノアールを発見した時は仮死状態だったんです。他の遺体と同じように棺に入れて埋葬しようとしたところ、息を吹き返しました。名前は何とか聞き出せたのですがそれ以外は忘れてしまったようです」


 フリントさんが説明する。この男の人の名前はエボニーと言うらしい。先ほどのやり取りで自己紹介は既にしていたみたいだ。


「他の遺体?ノアールをさらった連中かね?」

「いえ、開拓村の人間です。村一つ分の人間が傷一つなく死んでいました」

「死んでいたからと言って犯人ではないとは限らないだろう。でかした、ノアール。皆殺しにするなんてやるじゃないか」


 男のとんでもない反応に呆気にとられてしまった。そこは、私も巻き込まれずに無事でよかったとか、そう言う反応をするのが普通じゃないのか。って、いくらなんでも私が犯人扱いされるのは嫌だ。


「私はやってません。気づいたらみんな死んでたの。だから誰か別の人が……」

「恐れることはないよ、ノアール。お前はそれができるだけの力を持っているのだから。第一、忘れてしまったのならお前がやっていないと言う証拠はどこにもないだろう?」


 確かにノアールはそうかもしれないけれど、私は出来ない。嫌だ、やった覚えのない罪まで被るのは絶対に嫌。でも、どうやって訴えればいい? ノアールは消えてしまったので私は別人ですなんて言っても信じてもらえないだろう。


 エボニーは私の事などお構いなしにマザーに話かける。


「このまま連れて帰りたいのだが、どのような手続きをすればいいのかね」

「では、こちらへどうぞ。ノアールは支度をしてきなさい」


 マザーが孤児院の中の応接室に案内している間、私は自室で荷物をまとめた。ここに来ていた服はマザーに預けたまま戻ってこない。手持ちの中で一番新しい服を着た。

 画材と、着替えと、稼いだお金。ほぼ一年程しか過ごしていない部屋だが、この世界で初めての自分の家だ。まだまだここで絵を描いていくつもりだったのに、なんだか物足りない気がする。苦しい時もあったけれど穏やかに過ごせた場所だ。一度振り返り、お辞儀をしてから出た。


「その手に持っている物は何だね?」


 エボニーが指し示す先には、スケッチブックと筆やバケツ、インクや木の枝ペンなどコツコツ買いためてきた物が入ったバッグ。もちろん空中から現れた鉛筆も入っている。


「着替えと、私が自分で稼いで買った画材です。これは絶対に―――」

「捨てていきなさい。それからその服も私が持って来たものに着替えなさい。この前のように余計な魔法陣などつけられては、お前を預かってくれた人たちに仇を返すこととなってしまう」


 ああ、やっぱりマザーの言うとおりばれてたみたいだ。でも、仇で返すって……


「何をするつもりですか?」

「なぁに、貴族に逆らった愚かな平民たちを罰するだけの事だ。特に変わったことをするつもりは無い」


 私の頭の中には魔女狩りのような凄惨な光景が広がり、口元が引きつった。この人のいう事は一々黒い感じがする。魔法陣付の服を与えられていたことからして私自身が傷つけられることは無いかもしれない。けれどこの調子に付き合い続けるのは精神的に擦り減っていきそうだ。


「ノア、言われた通りにしましょう。着替えを手伝ってきますね」


 マザーの言うとおり大人しく箱を受け取り、別れを告げたばかりの部屋へもう一度戻って服を着替える。やはり真っ黒なゴシックロリータのような服だが前の服と比べて装飾が少ない。裏地に魔法陣は全くついていなかった。


 少し複雑なので一人で着られない。マザーに手伝ってもらいながら愚痴をこぼす。多分これが最後の会話なのに不満で締めくくるのは少しためらったが、それでも言っておきたかった。


「マザー。私、あんな人の元へ帰るの嫌です。この孤児院が大好きです。マザーもフリントさんも、ついでにトープも。行きたくありません」

「逆らわない方が良いですよ。絵の具は預かっておきますから、大きくなって多少自由がきくようになったら取りに来て下さい。大丈夫、絶対に良い方へと道が開けますから」

「身元は確実に調べられたんですか?本当に大丈夫ですよね」


 マザーは何も答えない。何か隠しているのが見え見えだ。


 着終わると、襟元などマザーが細かいところを直していく。変な所が無いか確認するためにくるりと一周廻るとマザーは「よし」と納得した。


「あまり悲観的にならないように。嫌々生きていると悪いものばかり引き寄せてしまいますよ」

「絵も描けないのにそんなの……」

「笑っていればその内描けるかもしれません。ほら、笑って」


 いつになく楽観的なマザーは、にっこり笑う。何だか腑に落ちないけれど口角を上げたらマザーは頷いた。


 エボニー達は応接室にはおらず、既に孤児院の外に出ていた。扉の向こう側から「ラセット、君の主に頼んで本当に良かった」と声が聞こえてくる。開けてしまえばここを去らなければならない。それでも勇気を出してゆっくりと開けた。


「ノアール、良かった。服は少し大きめの物を用意させたのだが、丁度良い大きさのようだね」

「はい、有難うございます」


 マザーに言われた通り笑顔を心がけたら、エボニーは面食らった顔をした。その反応にこちらも不安になって口元が引きつってしまう。


「なるほど、記憶喪失というのは本当のようだ。ノアールは滅多に笑わない子だったのに」

「笑うのもダメですか」

「貴族らしい振る舞いとは言えないな。きちんと先生を付けるから少しずつ直していけば良い。さあ、行こう」


 エボニーは馬車へ向かい歩き始めたが、私はくるりと振り向いて皆に別れの挨拶をした。


「マザー、フリントさん、トープ。お世話になりました。どうかお元気で」

「ノアも、風邪を引かないように気を付けて」

「勝手に出歩いて親に心配かけないようにな」

「落ち着いたら手紙をくれよな」

「分かった、絶対書くからね」


 ラセットに馬車へ乗り込むのを手伝ってもらう。窓にかかるカーテンを開けて見送る皆に手を振った。


 正直に言えば、寂しい。けれどこれからの生活に不安が多すぎてそれどころではなかった。

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