新年

 幹の辺りに太めに削った枝ペンでインクをちょんちょんと落とせば、木の質感が出せた。白黒で描いた木立はちょっぴり哀愁が漂って、冬景色の独特な表現が出来る。


 もっこもこになるほど服を着込んで絵を描いている。今日は風も穏やかで、絵描き日和だ。


 小学生の時に描いた割りばしペンの絵よりもかなり上達している。あの時書いたのは確か駐輪場の自転車だった。タイヤをなかなかうまく描けなくて苦労してたのが懐かしい。


 物体を捕らえる画力は描けば書くほど上達していくのは、前世で実感していた事だ。前に七歳だった時には何も考えずがむしゃらに描いていたのに、懐と相談しながら出ないと描けない今の状態はとてももどかしい。絵を商品として考え、売れるような構図で描かなければならない事も筆の速さに影響を与えていた。


 幸いにして前世の知識があるので、有名どころの絵に似ていれば全く見当違いな構図にはならないだろう。ストレスはかなり溜まるけど。


 何処かで見た構図。売れる構図。自分らしい構図。理想とする構図。先達がいて、心を動かされた自分がいて、描いてみたいと思って、迷う自分がいて。


 異世界だからパクリだと言及する者はいないけれど、自分のプライドや精神はそれを許さない。足掻けば足掻くほど泥沼にはまっていくような気がするのは、どこの世界でも同じなんだ。


 考えるより描こう。何度も何度も描いてその上に自分らしさが乗せられればいい。けれど、その前に売ってしまうのはやっぱり罪悪感があるなぁ。


 ため息をつきながら描いていると後ろから声を掛けられる。


「ノア、キリの良いところで部屋に戻れよ。風邪ひくぞ」

「うん、わかったー」


 絵はまだまだ途中だったけれど、手が悴んでうまく持てなくなる前に暖かい自室へ戻った。熱中してしまえば周りが見えなくなるので誰かが声を掛けてくれるのは有り難い。


 声を掛けてきたのはトープ。私が孤児院に来た時と比べると、行動の変化にびっくりだ。トープは既に一つ齢を重ね、新年が来れば春先に私も八歳になる。体は成長していくだろうけど、中身がトープ程変わるのは全く想像がつかない。


 道具を自分の部屋に片付けて厨房へ向かい、新年を迎える為の保存食作りを手伝った。日持ちする砂糖たっぷりのお菓子やそのまま食べれば歯が折れそうなほど固くなるパン。緑の女神を表すプレッツェルみたいな葉っぱの形を作ったり、黄色の女神にあやかり卵の黄身をたっぷり使ったりして、食品にも魔法陣が組み込まれていくのが面白かった。長寿や多幸、富や子孫繁栄などおせち料理のように担ぐ縁起は沢山ある。


 マザーはとても手慣れていて、図形を完成させず寸止めの料理を作れていた。けれど私はうっかり形を完結させてしまって魔力を吸われ、効果を付けてしまっている。

 魔力を込めるのは悪いことではないが、それなりの量を作るのにいちいち効果を付けていては体が持たない。


 一般的には単なる縁起物でも、魔力がある者が作るとそれなりの効果がある。


「これ食べれば闇の日生まれでも死ににくくなりますか」

「図形一つの単純なものなので効果は微々たるものですよ。食べ続けて不老不死になった人はいませんから」

「それもそうですね」


 パンを食べ続けて人間でなくなったら怖い。お菓子を食べ続けるだけで誰でも大金持ちに成れたら世界の経済がおかしくなる。……でも、もしもお菓子を食べ続けるだけで絵の具を一つでも買えたら……


 卵黄のつけられた黄金色の誘惑は、美味しいと分かっているから苦行にはならない。苦労せずにお金が手に入るなら、絵描きの夢だってそう遠くはないはず。魔力をたっぷり込めて焼き上げれば、きっとフィナンシェのような形のお菓子は私に幸福をもたらしてくれる。


「お金と引き換えに子豚さん体型になるつもりですか。一個で一ルーチェが手に入るとして何個食べるつもりです?」

「はっ、マザー、私何か言ってました?」

「言ってません。言ってませんけどよだれが垂れてます」

「うえぇぇーっ!?」


 慌てて口元をを拭ったが手には何もついていない。不思議に思ってマザーを見ると、肩を震わせて口元を押さえ、笑いを思いっきり堪えていた。


「マザー!騙したんですか。嘘ついたんですか。そんな事してると見習っちゃいますよ」

「ご、ごめんなさい。こんなに素直だとは思わなくて驚きました。悪い人に騙されないように気を付けないとダメですよ。これも修行のうちです」


 思わぬからかい方に憤慨した。けれどこうやって食べ物に魔法陣を練りこむやり方は考え方によっては良い商売になるかもしれない。独り立ちしてから切羽詰まった時にはてっとり早くこの方法を使おう。


 神殿のある町などでは年が変わると同時に花火が上がり、大勢の人々が祈りをささげる為に神殿に押し寄せるらしい。見に行ってみたいけれど子供は危険だと言われた。はぐれてしまえば大勢の大人の中では見つけることは難しく、この日ばかりは早い時間でも酔っ払いがいるからだ。


 それ以外では家族で過ごすのが通常で、一般家庭に時計なんてないから朝起きれば新年だ。


 前世で言うなら二年参りに行くか、それとも年越し番組を家で見るかってところかな。


 一週間ほどは市場もお店もお休みで、みんなでのんびり過ごす。フリントさんはたまに畑の見回りがあるけれど、冬なのでたいした作業はしない。


 セージお兄さんが少しだけ顔を出しただけで、孤児院に誰かが来ることは無かった。


「帰って来たいのは山々なんだろうけどなぁ」

「孤児のごちそうが減ると分かっていて、わざわざ来る子もいないのでしょうね。今年は二人しかいないから余っているくらいなのに」


 マザーとフリントさんは少し寂しそうだ。支給されているお金以外にも、許されている範囲内で日々小銭稼ぎを怠らないマザー。お陰で一般家庭とほぼ同じ水準の生活が出来ているので、外へ出て行事を全く知らないという事は無いらしい。


 一生を同じ場所で過ごす人もいれば、出稼ぎに出る人もいる。そのような人たちが故郷へ帰省するのは今の時期しかないのに。この孤児院は絶対に帰りたくないようなひどい場所ではないのに。


「皆、新しい場所で楽しくやっているって事だろう。長期の休みでないと出来ない交流ってのもあるからな」

「それもそうですね。旅行へ行ったりとか、結婚のご挨拶とか」

「誰か、そんな連絡来たか?」

「いいえ、今年はなさそうです」


 もぐもぐもぐもぐ。フリントさんとマザーがしんみり話している間、私とトープはただひたすら食べている。普段食べないお菓子をここぞとばかりに食いだめしているので、言葉を発する暇はない。


 食い意地が張っていると言うなかれ。今までよく我慢してこれたなと思うくらい嗜好品的な食べ物は無かったので、ちょっと歯止めがきかないのだ。自分が作った金運アップの効果がついているお菓子を重点的に食べる。もぐもぐもぐ。上品に食べてはいるが、勢いよくお菓子は減っていく。


「前言撤回です。二人しかいないけれどお菓子は余りそうにもないですね」

「ああ、しかしトープはともかくノアも良く食べるなぁ。……太るぞ」


 フリントさんがぽそりと禁句を言った。私は手を止めお菓子をしっかり飲み込んでから口を開く。


「マザーのお菓子があまりにも美味しいからです。話を聞いている限り大人になってここを出てしまったら食べられないですからね」

「ノア……」


 しんみりとした空気の中、トープの咀嚼音だけが響く。がつがつがつ、むしゃむしゃむしゃ。


「トープは何も考えずに戻って来そうですけど」

「だな」

「ですね」

「ん?何か言ったか。早く食べないと俺が全部食っちまうぞ」


 きっとその時にいる孤児院の子供たちの分まで食べそうな、そんな予感がする。全力で奪い合って全力で遊んで全力で子供たちと向き合う、そんな大人になりそうな気さえするのだ。


 前世では二十歳まで生きられなかった私は、ここでどんな大人になるのかな。

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