冬の始まり

細く真っ直ぐな木の枝を、鉛筆を削る要領で削っていく。ナイフはマザーの執務室から持ち出し禁止なので、マザーが仕事をしている傍で暖炉に当たりながらやっている。


 子供部屋と違って暖かくするための魔法陣が描かれていないので、隅の方へ行くと寒い。窓から見える木々は既に葉を落とし、冷たい風に耐えている。


「この部屋に暖かくするための魔法陣は描かないのですか?」

「ええ。魔力の節約と、情報の漏えいを防止するための手段を使うためと言ったところかしら」


 マザーはそう言うと、くしゃくしゃに丸めた書類を一枚、暖炉に投げ込んだ。紙は炎を立ち上がらせ、あっという間に燃やしつくされて灰になる。前世では蝋燭程度しか炎をなかなか見なかったので、こんな些細な事でも幻想的に思えてしまった。


「ここに来たころは、この部屋と厨房しか火を燃やすところが無くて、子供たちがとても寒い思いをしていました。薪を全く使用しなくなると予算が減らされますからね」


 執務机は暖炉から少し離れている。マザーは寒くないのだろうかと聞いてみた。


「仕事をするのにはこのくらいが丁度良いんです。あまり暖かくすると頭がぼうっとなりますから」


 子供を優先にして自分は我慢しているのかもしれない。マザーの愛情は時々深すぎて分からない時がある。手を止めてじっと仕事しているマザーを見ていると、何かを思いついたようにふと顔を上げた。


「ノアの部屋の魔法陣、自分で描いてみますか?」

「あ、はい。やってみたいです」


 魔法陣に関しては時々教わっているのだが、実際にきっちり効果があるところまでかいたのは最初の光の魔法陣だけだ。


 知識だけは増えてきているが、実際に使って検証しないと覚えた図形と効果が正しく結びついているか分からない。将来絵描きになった時に使用する機会があるかもしれないのに、いざと言う時に使えないのでは困る。


 削りかすを暖炉で燃やし、太さを変えて削った木の枝を持ってマザーと一緒に自分の部屋へと行った。





「前々から思っていたのですがノアは部屋を綺麗に使いますね。トープとは大違いです」

「これから絵の具が増えると散らかると思いますよ。汚れる可能性もあるし気を付けないと」


 スケッチブックのままなら絵の具が乾くまで広げっぱなしになるだろうし、一枚ずつの紙だと乾かす間に次の絵に取り掛かれるので置く枚数が増えると思う。


 パレットを洗ってしまうのがもったいなくて絵を描かないでいる時間も少なくなりそうだ。そうなると掃除をする手間を疎かにする可能性がある。


 マザーと一緒にベッドを持ち上げ移動する。七歳児の力ではかえって邪魔になっただけかもしれないけれど、マザーは何も言わなかった。

 暖気の発生する魔法陣はベッドの下にあった。ペンキではなくチョークの様な物で描かれている。

 埃が積もっていていたので箒で掃除をすると、それだけで線が消えていく。


「いたずらされない良い場所だと思ってたんですけどね、時々確認しないとかくれんぼなどで消してしまう子もいて、直接触っても火傷するほどではないんですけど」

「ああ、物が転がってついうっかりという事もありますからね。タンスの裏はダメなんですか?」

「タンスの傷みが早くて諦めました」


 検証済みだったらしい。マザーの役に立ちたくて自分でも考えてみる。簡単に消えないような塗料で描けばいいのかもしれないけれど、例えばかくれんぼをしたままその魔法陣の上で眠ってしまったら低温火傷してしまうかもしれない。そう言った事故を防ぐ為にチョークで描いているそうだ。


 天井に描いても暖気は上に留まってしまうため、床付近は寒いまま。


「できればあまり目につかない場所に描きたいんです」


 上を見上げながら考えていた為か、マザーが言った。慌てて下の魔法陣を見るとあることに気が付いた。


「かまどに描いてあるのと似てますね。あれも魔法陣ですか」

「かまどを作った職人さんが描くもので、形骸化して単なる風習になっています。だから魔法陣を見ても魔法を詳しく知らない人からはおまじないとしか思っていないでしょう」

「そう言うもんですか」

「そう言うもんです。魔法陣は、魔法としてはかなり特殊な部類に入るので知識の流出は制限されています」


 制限されてるって。私みたいな小さな子供に現に教えてしまっているのに、制限も何もあった物では無いような気がする。


「そんな魔法を私に教えても良かったんですか?」

「向いていると思いました。これは私の勘です。勘というのは無意識に自分の知識を掬い上げた上での判断だったりするので、馬鹿に出来ませんよ」


 ちょっと得意げなマザー。何故そこで胸を張るのか分からないけれど、マザーにはマザーなりの考えがあるのだったら深くは突っ込まないようにしよう。


 温度を調整する古代数字や継続を示す図形など、光を出した時よりも複雑な魔法陣を描いていく。最後に炎を模した三角を組み合わせた図形を描くと、魔力が吸われて冷たかった部屋の空気が徐々に温まっていった。


「はい、良く描けました。テストは合格です。教えていることをきちんと覚えているようですね」

「テスト?」


 私はただマザーの手伝いをしているだけのつもりだったが、マザーにとってはテストだったらしい。驚いて凝視していると、マザーはくすくすと笑った。


「ごめんなさい、騙すつもりは有りませんでした。それにしても成長を見るのは楽しいし、何より嬉しいですね。……成長と言えば先日渡した冬服のサイズはどうでしたか?」

「少し大きいですけど、あと何年か着るものですよね?動きにくい程ではないので大丈夫です」


 今も早速着ているので両手を広げて見せた。孤児院の人数が多いと既製品を買うことになるらしいが、今年は全てマザーの手作りだ。よく見れば裏地に防寒用の魔法陣が刺繍してある。薄着でも暖かく過ごせて、快適だ。


 私は何て幸せな孤児なんだ。愛情だってこんなにいっぱいもらってる。


「マザーの刺繍のお蔭で暖かいです。いつもありがとうございます。何か、お礼にできるようなことはないですか」


 マザーは驚いた顔をした後、嬉しそうな、それでいてちょっぴり泣きそうな顔をして笑った。


「新しい子供が来るたびに厳しくしてここを離れやすいようにしますけど、どうにもダメですね。私の方が折れてしまいます」

「あ、最初の無表情や厳しさはそう言うことだったんですか。トープのせいで疲れているのだとばかり思ってました」

「……それもあったかもしれません。男の子だから服に穴をあけてばっかりで、いたずらもかなりひどくってあちこち謝りにも行って……」


 マザーは遠い目をしていった。フリントさんもしっかり叱らなかったのでかなりひどかったらしい。子供の頃は自分もそれくらいはやっていたと、マザーの味方になることは少なかったそうだ。ダメじゃん、フリントさん。


「ノアが来てから影響を受けたのか、少しずつ楽になりました。本当は、次の子が来るのを喜んでいてはダメなのに」


 親に不幸があっても親戚で引き取ることが多い。あまりにやんちゃだったり癇癪持ちや病気がちで無い限り、不作や不況のない今は将来の働き手として育てる余裕があるからだ。孤児院に孤児がいないのは良い事だけど、マザーとしては複雑なんだろうな。


 私やトープが出て行ってしまったらここはどうなってしまうんだろう。マザーもセージお兄さんもダメだと分かっているのに次の子が来ることを望んでしまう気持ちがよく分かる。


 冬だからかな。ちょっとさみしい気持ちになってしまった。


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