買い物

 私の絵は日によって、売れたり売れなかったりした。野菜のように毎日生活に必要なものではないから仕方ないとは言え、安定した収入が無いのはこんなにも不安になるものなんだ。孤児院で生活が保障されているから良いけれど、もしもこの世界で目覚めた年齢が成人した後だったら画家になるどころの騒ぎじゃなかったかもしれない。


 予定として初めに買うのはインク。割りばしペンならぬ木の枝ペンで暫く我慢して、紙の補充を先にしたい。次に買うのは筆かな。水を入れるバケツの代わりにコップ……はちょっと抵抗があるな。やっぱりバケツも必要か。


 あ、それよりクレヨンや色鉛筆があったらそっちを優先しても良いかもしれない。産業のレベルからしてあまり期待できそうにもないけれど。


 筆とバケツが手に入ったら自力でもう一度絵の具を作ってみようかな。今度は野菜では無くその辺の植物を使おう。いろいろな花を使えば繊細な色合いも表現できそうだ。


 油彩を描くつもりは当分の間は無いし、それよりもお金を貯めておいた方が良いかもしれない。


 絵の具が手に入ったら、第一段階として目指すところはボタニカルアートだ。ボタニカルアートと言うのは植物の図鑑に載っているような絵の事。背景に色が必要ないから絵の具の節約になるし、精密な描写の練習になるし、何より……呪いだなんだと心配することも無い。題材は身近に無数に存在しているため、わざわざ探しに行くことも無い。


 いろいろな色を揃えなければならない風景よりも、葉の緑や花の色に絞って揃えていくことが出来るので貧乏なうちは最適かもしれない。


 と、なると輪郭の線は下書きしか描かないので、最初にインクを買うのが悩ましくなってくる。


 部屋でうんうん唸りながら悩んでいると、ノックの音が響いた。普通に叩く音では無く、なんだか足で蹴っているような音。ドア越しにトープの声が聞こえる。


「ノアー、冬用の布団と毛布持って来たから開けてくれー」


 慌ててドアを開けると、積み重なった布団が現れた。布団はそのまま移動してベッドの上に降ろされると、トープの顔がようやく現れた。


「もうすぐ冬だからな。マザーの魔法陣のお陰で暖かいとは言え、夜はこれが無いと死ぬ」

「冬……?」

「ノアが来てもう半年になるからな。春、夏、秋、冬。もしかしてそんなことも忘れちまったのか?」

「や、四季は流石にわかるよ」


 トープに心配をされてしまった。あんなに悪がきだったトープがこの半年でこんなに変わるのはとても不思議だ。


 まあそれは良いとして、気温の変化が日本ほど上下しないのかずっと長袖を着ていた記憶しか無い。


「いつの間に夏やら秋が来たか覚えていないんだけど」

「俺は夏に虫取りしてたし、セージ兄ちゃんとこに秋野菜の収穫も手伝いに行ってただろ」


 やばい。こちらの世界に来てから頭の中が絵を描くこと以外ほとんどなくなっている。植物の類もまだよく知らないので季節感が分からない。マザーがさりげなく服の素材に気を使ってくれているのか、全く気にしなかった。


「冬は、雪が降る?」

「一応積もるって感じだけどな。雪合戦するにも少なくて、辛うじて小さな雪だるまが作れるかなって位だ」


 雪景色を描くならインク……いや、墨か?どちらにしろ黒一色でもそれなりの絵にはなる。やっぱり初めに買うのはインクだ!よしっ、問題は解決した。ずっと悩んでいたのに、見通しが立てられて進む道がはっきりしたのでテンションが上がる。


「有難う、トープお兄ちゃん。すごく助かったよ」

「お、お、お兄ちゃん……?」


 うわ、口が滑った。テンション高くなってたとは言え恥ずべき失態だ。トープはものすごく驚いた顔をしている。


「ほら、孤児院に一緒にいたわけじゃないのにセージお兄さんにお兄さんってつけてるし、トープにもつけないとおかしいかなって。最近いたずらもしなくなって来たみたいだし、こうして布団も持ってきてくれたし。神殿で誕生日調べてもらったらやっぱりトープの方が早かったみたいだし」


 手を振りながら、誤魔化そうと焦りながら早口でまくし立ててしまった。言い終わる頃には少し落ち着いて、ちょっぴり自分が情けなくなる。感覚としてはむしろトープは弟なのに、なんでそんなこと言ったんだろう。


「ごめん、トープ。ただ口が滑っただけだから気にしないで」

「俺、普通にお兄ちゃんって呼ばれるように頑張るからな。ノアがお城に戻っても頼ってくれていいんだからな!」


 そう言うとトープは逃げるようにして部屋を出て行ってしまった。……お城?





 二千ルーチェ程貯まったところで、アトリエ・ベレンスの提携している画材屋さんに行った。アトリエヴィオレッタの提携店よりも品数は少なく、店構えも小さい。


 黒いインクだけでも何種類かあったので、手に取って瓶に貼ってあるラベルを読んでいく。


「えーと没食子インク、ウォルナットインク……弾丸豆の皮インク、大王イカスミインク?」

「アトリエ・ベレンスの絵描きさんたちは外へ描きに行く人たちが多いので、ついでにモンスターを退治して素材を持って帰ってきてくれるんです。原料のマージンが少ないから安く出来るんですよ。もちろん普通の製造方法の商品も取り扱っているのでご安心ください」


 見た目おっとりのメガネを掛けた女性の店員さんも感じが良く、子供の私にも敬語を使っている。ただ単に傍に居るフリントさんとの話が切り替え出来ないだけかもしれないけれど。


 絵描きと言えば何となくひ弱そうなイメージがあるけれど、アトリエ・ベレンスはもしかして肉体派の画家の集団か。マッチョなお兄さんたちが絵を描いている姿を想像してしまった。そこへ入るとなるとかなり勇気がいる。それに……


「退治しちゃうんですか」


 ガガエの悲しい記憶が有るから、喜々としてモンスターを退治する集団はお断りだ。


「あ、飽く迄襲ってきたモンスターだけですよ。身を守るために戦って、向こうが諦めてくれれば深追いはしない優しい方たちばかりです」

「そうですか、それは良かったです。ドラゴンとかいろいろなモンスターの絵も描きたいと思ってましたから」

「ドラゴン!良いですよね……分かります。ベレンス先生が描いたワイバーンを拝見しましたけど、かなりの迫力でした」


 店員さんは目をキラキラさせて語った。何だか親近感が湧いてしまって、熱く語りたくなってしまう。と、同時に目標とするところには既に先駆者がいたのかと少しがっかりもした。けれど、諦める理由にはならない。その人が描かないような絵を描いてみたい。


「その絵はどこで拝見できますか?」

「アトリエ所属の方でないとおそらく見せてもらえません。ごめんなさい、私まだ下っ端なので」

「いえ、将来はアトリエ・ベレンスに入るのを希望しているので、それまで我慢します」

「是非!お待ちしております」


 目標の金額を立てる為に買うつもりの商品以外の値段も確認していく。羽ペンはかなり高く、進められても当分の間買うことは出来なさそうだ。金属製の付けペンは一つも置いてなかった。


 もしかしたらこの世界のまだ存在していないのかもしれない。金属はある。ネジとか見かけているから聞き方に気を付ければ、変な顔はされないだろう。


「金属製の……羽ペンみたいにインクを付けて描く道具ってありますか?」

「あー他の店なら貴族でもためらうような高い値段で置いてあるかもしれませんけれど、うちはちょっと製造のめどが立たなくてですね……はい」


 店員さんは申し訳なさそうな顔で答えた。まだ安価で済む製造法が確立されていない様だ。流石にそこまでは知識が無いし、やっぱり木の枝ペンで我慢しよう。

 持っていた二千ルーチェで一番安いインクとスケッチブックを買った。画板などの道具が無い今は、紙を一枚一枚買うよりその方が扱いやすいと思ったからだ。


「有難うございました!」


 店員さんの元気のいい挨拶。前に行った画材屋と違って何度も来たくなるお店だ。

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