再挑戦

 イラストは鉛筆だけだとどうも落書きのように見えて仕方がない。それに、もしかしたら呪われているのではないかと疑念もある。たとえ黒一色でもインクを使いたい。


「ペンが無いなら……割りばしペン?」


 小学校の図画工作で瓶の中に入れた脱脂綿に墨汁を含ませ、割りばしに墨を付けながら描いた覚えがある。細い木の枝を削れば何とか代用できないか。となると問題なのはインクだ。


 マザーに融通してもらうのは、多分無理。人数の多かった頃の孤児院を世話していて、ひとりだけ贔屓することがどれだけ子供たちに影響を及ぼすか見てきたから、安易に物を与えることは絶対にしたくないらしい。フリントさんもスケッチブックをくれたので頼みにくい。


 煤が溜まっていないかマザーの手伝いをしている時に竈を覗くけど、何故かずっときれいなままだ。もしかしてマザーがトープのいたずらを警戒して頻繁に掃除しているのかもしれない。


 やっぱり鉛筆を使うしかないのかな。手に取ってひっくり返したりしてみるが何の変哲もない鉛筆だ。


 これは呪いに懸かっている!ってはっきりわかればいいのにな。マザーに調べてもらいたいけれど取り上げられてしまうのも嫌だ。


 絵が多少なりとも売れればインクが手に入り、次のステップに進める。それまでの我慢だと思いながら鉛筆を使った。


 スケッチブックの紙をはがきサイズに切り、セージお兄さんの所の猫の絵を縮小してもう一度描く。それから、デフォルメした猫のイラスト。魔法陣はまだまだ組み込めないのでどれも普通の絵だ。



 先日と同じように市場に来た。ただし今日はフリントさんと私だけ。フリントさんは準備をしながら、野菜を少しだけずらして置いて狭いけれど絵を売る場所を作ってくれた。


「売れると良いな」

「ええ……」


 自分なりに小遣いを稼ごうと、何かを作ったりした孤児は今までもいたらしい。欲しいものが手に入るまで頑張り続ける子供は少なく、大抵は途中であきらめてしまったそうだ。小銭を持つ子供にとって町の中は誘惑が多い。私の中身はほぼ大人だから大丈夫なはず―――


「お、いい匂いしてきたな。肉屋も準備を始めたか」


 市場には調理しながらお惣菜を提供するお店もある。物を売っている人達が長く離れられないのを見越しているのか、結構需要があるらしい。とても香ばしい匂いで、すきっ腹を容赦なく刺激する。


 なるほど、これは子供も折れるわけだ。だけど私は負けない。画家になる自分の未来の為に誘惑に打ち勝つのだ。ひもじさに耐えるのはトープに鍛えられた。



 はがきサイズなら買うと言っていたおかみさんが店先で足を止める。


「今日は絵はがきもあるんだね。どれどれ……」


 とても緊張する。はがきサイズには猫の絵の他に植物も描いた。季節の挨拶にはきっともってこいだろう。


「相変わらず黒一色かい?」

「絵の具を買うお金がまだないんですよ。野菜で作ろうとしたら怒られまして、植物で作るにしても筆も道具も無くて」


 押し売りはしたくはない。けれど期待に満ちた目でじーっと見るのはセーフ……かな?視線に気づいたおかみさんがあはははと大きな声で笑った。


「そんな目で見られちゃ敵わないよぉ。いいよ、約束通り一枚買ってあげる。これ頂戴」


 はがきサイズの猫の絵を一枚取り、お金を渡そうとしてきたので思わず手のひらを差し出した。チャリンと音を立ててわずかな重みがその上に載せられる。立ち去るおかみさんに「有難うございました」と挨拶もそこそこに、手のひらを覗き込む。


 百ルーチェ銅貨が二枚。初めて自分の描いた絵・・・・・・・で稼いだお金。小さな掌に載せられた銅貨は、間違いなく私の物だ。まばたきをしても消えないか確かめているうちに、視界が徐々に歪んできた。


「良かったな。って、ノア。なに泣いているんだ」

「うう、だっでぇ」


 あまりに嬉しくて、涙が出てきてしまった。こんな感動は前世でもした事が無い。小さなコンクールに応募して運よく入賞したとしても佳作どまりで、努力が報われたと言う思いは全くなかった。どこかの誰かが偶然選んでくれただけ。もしかしたら学校別に順番に回ってくる賞だったかもしれない。実力かどうかなんてわからなかった。


 それが、今回はどうだ。私の絵にはお金を払う価値があると目の前で示された。何億と高い値がつけられる絵からすれば本当に微々たるものだけど、はっきり目に見える形で評価されたのは初めてだった。


 人目も憚らず泣いてしまったのは、きっと子供だからに違いない。そう言うことにしておこう。


 前世の習慣で失くさないうちに財布にしまおうとして、はたと気が付いた。そう言えば私財布を持っていない。自分で稼いだ銅貨だから自分で持っていたいけれど、諦めた。


「フリントさん、預かってもらっても良いですか」

「ああ、財布を持っていないのか。帰ったらネリに縫ってもらえ」

「はい。考えてみたら独り立ちするまでにもいろいろな物がいりますよね」

「そうだな。雇い先で支給される時もあればそうでない物もある。絵描きになるならもしかしたら貴族を相手にするかもしれないからな。貯めておいて損は無いぞ」


 余裕があったら次から次へと絵の具を買うつもりだったのに、釘を刺されてしまった。むう、お絵かきフィーバータイムはまだまだ先になりそうだ。


 店を閉める間際にもう一枚、買ってくれた客がいた。路上で自画像を売っていたメイズさんだ。市場にそぐわない雰囲気を持つ人なので、現れた途端に辺りが一気にパーッと華やいだ。周りの人の視線がちょっとだけ痛い。


「やあ、こんにちは。なるほど、市場で売るとは考えたね。あれから姿が見えなかったから諦めたのかと思ったよ」

「バスキ村から来てるので毎日は来れません。それに他の場所はギルドの許可が降りなくて」

「一人で売らせるわけにはいかないからな。ここで絵を売ってもいいか聞いたら承諾してもらえたんだ」


 フリントさんも会話に加わる。面識があるしメイズさんが男の人だと分かっていても、何だか見てはいけない場面を見ているような気分になる。お客さんに愛想よくするのは当然だけどメイズさん、美人だからなぁ。


「なるほど。それで、成果はどうだったんだい?」

「一枚だけ売れました。はがきのサイズなので二百ルーチェです」


 私は特に何も考えずに元気に答えてしまった。メイズさんは笑顔で一瞬固まったがすぐに頷いた。


「そうか、それは良かった。僕も一枚頂くとするかな」

「え、良いんですか?」

「ああ。お金が無いわけではないからね。この植物の絵を頂こうかな」

「はいっ有難うございます」


 嬉しい、嬉しい、嬉しい。今日だけで二枚も売れるなんて思ってもみなかった。ほおが緩むのを感じながら、お金を受け取る。


「ところで、どこで画材を買うか決めているのかい?」

「まだアトリエには所属していなくて、アトリエ・ベレンスの画材屋が安いと聞いたのでそこで買おうかと」

「そうか……」


 何だか含みのある返事だ。悪い噂でもあるのかな。


「アトリエに入るのはもう少し大きくなってからになるのかな?」

「ええ、その心算です」

「当然ベレンスに入るつもりだよね」

「はい。貴族の中ではおそらく浮くと思いますし、お金は欲しいけれど、食べていけて絵が描ければそれでいいので一番合っているかなって思いまして」


 その辺りはマザーやフリントさんとも相談した。アトリエに入らずに個人で画家をやっていく方法もあるが、売り上げは格段に違うらしい。依頼が持ち込まれるから仕事もしやすいし、依頼主が金銭が支払わなければ団体として裁判を起こすので泣き寝入りをすることも無いらしい。


 もともと単に工房を表していたのが、ある時期を境に今の形が定着したそうだ。

 肖像画を依頼され、完成させたのに支払いを渋る。他の絵ならともかく肖像画を他の客に売ることは出来ない。そんな事件が勃発した時に、画家の集団をも差すようになった。


 ドラゴンなどの生き物や現実離れした風景を描くためにいずれは世界を飛び回る予定だけど、多分入っていて損はない。


「それでは、僕はこれで。暫くは同じ場所で絵を売っていると思うから」

「はい、お買い上げ有難うございました」


 メイズさんは、軽く手を振って立ち去っていた。何だか周りの風さえも彼の一部になっているかのようにふわりとそよぐ。


 フリントさんがその後ろ姿を見ながらぽつりと呟いた。


「あの兄ちゃん、もしかしてまだ絵が売れてないんじゃないか?」

「え……あ。だとしたら私も何か買った方が良いですよね」

「ノアはまだ買える金額分稼げてないだろう。無理に買う必要はない」


 メイズさんが売っているのは一番安いので五百ルーチェ。手元にある四百ルーチェでは画材屋さんに行くのにも心もとない。次に市場に立つ日も売れるかどうか分からないし、恩を返すのはまだまだ先になりそうだ。

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