魔法の特訓
「さて、始めましょうか」
「はい、よろしくお願いします」
魔法の特訓は勉強と同じように石筆と石版を準備し、手伝いをすると言う名目なので厨房の中で行っている。ただしトープはいない。フリントさんに剣術の稽古をしてもらっているので、心置きなくマザーと一対一の特別授業になる。
魔法らしきものはマザーの魔法陣と、火をつける時に使っていた道具くらいしか見たことが無い。どうやら日常生活で頻繁に使う物ではなさそうだ。
「トープに秘密にするのには理由があります。まず最初にトープには魔力がありません。ノアが使えるとなったらかなりがっかりするでしょうね」
私は頷いた。その状況は安易に想像できる。自分より下に見ていた子供が力を持っていたらどうなるか。年齢からしても、もしかしたら僻んで暴れるかもしれない。
「二つ目に、魔力を持っているのは貴族、或いはその血筋を持つものです。代々平民だったけれど何百年も前に貴族の血が混じっていて先祖返りした、という話もあります」
「それでは、マザーは……」
「ええ、血をひいています。ただし私の両親とも平民で、母方の祖母が止むにやまれぬ事情で神殿に預けられました」
まあ、そこは貴族だからいろいろな事情があったんだろう。そして、私も可能性として少なからず貴族の血をひいているという事だ。目覚める前の私に何があったのかは未だにわからないけれど、格好からして富豪か貴族の令嬢だと思っていたから特に驚かない。
「魔力を持っている平民の子供は神殿に預けられそこで魔術を学ぶ、というのが一般的な常識です。ですがあなたは預けられた記録も無い。貴族の方を調べても行方不明になっている子供はいない。つまりどちらの方法も取られずに隠されてきた子供という事になります」
「それは、私が闇の日に生まれたことに関係してますか」
マザーは頷いた。
「魔術を教わるのには少しばかりお金がかかります。それでも、そこから神殿に努めることが出来たり魔術師として貴族のお抱えになる道など、平民でいるより道が開けるので多少負担になっても預けられます。暴走を防ぐ為にも五歳を過ぎた頃から教わるのが一般的ですが、闇の日生まれの子供は……」
ためらう様にマザーは言葉を切った。何だろう、何かとんでもない事を言われるのかと身構える。マザーは私がここへ来たころと同じように無表情になってから、やがて口を開いた。
「闇の日生まれの子供は闇の神に連れて行かれやすいと言う性質があります。七歳まで生きるのは稀で、私が産んだ子供もそうでした」
「えっ……」
実例を出されると信用せざるを得なくて、迷信だと笑い飛ばすことなんて出来なくなった。……そんな事より、こんな時、どういう言葉を掛ければよい?あまり経験のないことなので頭を巡らせたけどうまい言葉が見つからなくて困ってしまった。
多分、亡くなってからかなり時間が経っているからお悔やみの言葉もおかしいと思う。
私の困った顔を見て、マザーは泣き笑いのような顔になった。
「気にしないでください、もうかなり前の事です。予定日よりも十日もお腹の中に長くいたから、誕生日が闇の日になってしまって。三歳で闇の神の元へ召されました。ですからあなたもそれを見越して魔法の勉強を敢えてさせなかった可能性があります。祈りの言葉を一つも覚えていなかったのは、記憶喪失以外にもきっとそのような原因があるのでしょう」
マザー。そう呼ぶことの意味を深く考えて来なかった。孤児たちから呼ばれてマザーはどう思っていたんだろう。
マザーの無表情は多分心の鎧だ。打ち解ければこんなに表情豊かなんだ。いろいろ経験してきたからと言って、全てを受け入れる聖人君子になる必要はない。
同じ闇の日生まれの私が健やかに育つことで、マザーの悲しみが癒されればいいな。
「話を元に戻しましょうか。魔法の行使にはいくつか方法があります。神や精霊に祈るもの、道具を使うもの。そしておそらくあなたに一番合っている、魔法陣を使うもの」
「魔法陣ですか」
外へ出て絵を描きたいと思うがガガエの事もあるし必要以上に生き物を傷つけたくない。確かに、魔法陣は呪文や道具で使う魔法よりも安全に使えそうなイメージがある。
マザーは専用の手引書を開いて、いくつか魔法陣を見せてくれた。
「魔法陣に必須の、古代で使っていた記号や文字が何から来ているのか分かりますか」
本を見せてもらいながら考える。普段使っている文字と違って、イラストに近い。例えるならアルファベットと星やハートマークを見ているようなものだ。
分からないので首をひねって考えていると、マザーが答えを言った。
「絵ですよ」
「絵、ですか」
「魚の形、鳥の形、水の流れる様子、星の輝き。様々なものを絵で表して、それを簡略化したものが文字や記号になりました」
確かに漢字やエジプトのヒエログリフ、メソポタミア文明の楔形文字は象形文字だった。漢字を魔法陣に組み込むのはものすごく違和感があるかもしれないけれど……と思ったところで陰陽道で五芒星や九字紋が使われているのを思い出した。
あれも言うなれば魔法陣のようなものかもしれない。けれど、かなり違和感がある。
「魔法陣と言えば円形の物だとばかり思っていました」
「ノアの言っているのはおそらく魔法円の事でしょう。あれは円の中に聖域を作って術師の身を守るものです。もちろん魔法陣の中でも円形の物は有りますが用途が違います」
「はっきりと区別して覚えていた方が良いですか」
マザーは少しの間沈黙しながら思い出すように明後日の方を見た。
「一応、学術的には区別されていますが……そう言えばあまり意識して使った事はありませんね。頭の片隅にでも置いておいてください。では簡単なものから始めましょうか」
手引書の最初の方のページを開くと、お手本に石板に描いて見せた。円の中に簡単な図形と文字を組み合わせたものだ。丸い光の球が魔法陣から浮き上がりそこに留まっている。図形がぴかーっと光ることは無く思ったよりも地味な発動の仕方だった。
「見ての通り、明かりの魔法陣です。書く文字によって量や時間を指定したり、紙に書いて持ち運びも出来ます。少しでも消えればこの通り」
魔法陣の一部を指でこすって消すと光はふっと消えた。私も同じように描いてみる。寸分違たがわぬよう気を付けて書いていくと、書き終わった瞬間に石筆を持つ指先から何かが抜けていくような気がした。魔法陣からぽうっと光が浮き上がる。
「できた……」
マザーと同じように光の球が浮いている。ただそれだけなのにとても感動してしまった。
「どうやらノアは全属性のタイプですね。闇属性を持つ場合、女神たちが好んで祝福をする場合もあれば嫉妬して助力を請うことが出来ない場合もあります」
「神様なのに本当に人間臭いですね」
厄介なのは赤い女神様だけだと思っていた。死にやすさ以外にも闇属性の弊害はそんな所にもあるのか。せっかく魔力があるのに闇属性だけだとがっかりしそうだ。
少し気になって、石板をひっくり返して持ち上げてみる。光の球は石板から同じ距離のまま、宙に浮いていた。縦にしてもくるくる回してみても同じだった。
光の球に手を突っ込んだが消えることなく輝いたままだった。温度を全く感じず、触っている感覚も無い。
「ノアは、不思議な事をしますね。私は触ってみようなんて思いもしませんでしたよ」
「え、あ、すみません。授業を続けて下さい」
不思議現象に好奇心いっぱいで行動してしまった。マザーがくすくすと笑う。
「魔力を持つものが描けば陣そのものだけでも効果は有りますが、より強い効果を望むなら魔石を練りこんだ塗料によって描くこともあります。他には特殊な糸で縫いこんだり、アレンジすればこんな使い方も出来ます」
そう言ってマザーは一冊の分厚い本を開いた。開かれたのは絵画の載っているページだ。子供が母親に抱かれている、前世で言えば聖母子像と言う感じの絵。
「これは何代か前の王妃と王子の肖像です。こことここにうっすらと文字のような形の線が入っているでしょう?ほら、ここにも」
マザーが示す場所には絵に紛れて文字や記号のような物が記されていた。布のしわや光の当たる場所など、見過ごしてしまいそうな場所に手引書に書かれている文字が隠れていた。
「王子が健やかに成長することを願って、また成長するまで王妃に闇の神が訪れない事を願って本人達と共に描かれています」
「こんな使い方も出来るのですか」
「ええ。これからあなたが絵を描き続けるならきっと役に立つでしょう」
確かに魔法陣の外側にだけでなく絵に描いた人物に対しても効果が及ぶなら、いろいろアレンジできそうだ。例えば農村の風景に豊作の魔法陣を描いたり、川の絵に水を操る文字を組み込んで氾濫を防いだりできるのではないか。
「これから描く絵を魔よけの絵として売っても良いですか?付加価値があれば高く売れると思います」
「ダメです。神殿以外で売れば犯罪行為になります。そうすれば教えた私にまで責任が及ぶことになりますよ」
「ならば普通の絵にこっそり入れて同じ値段で売るのはどうですか?買ってくれた人の幸せを願って」
「それならまあ……でもあまり騒がれても大変なことになりますし、まだまだそこまで描けるようになるには時間が掛かります。今のところは許可は出せません」
マザーのお許しが出るまで頑張って学ぼう。一攫千金は無理でも地味に小銭を稼ぐならできそうだ。
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