限界
『ちゃんと食っていけるのか。好きと上手だけじゃやって行けないぞ』
そんなのやってみないと分からないよ。
『もっと安定した他の仕事を選んで、絵は趣味で描けばいじゃない』
それは、確かにそうかもしれないけれど、でもそんなんじゃないんだよ。単純に画家になりたいってだけじゃなくて、今はいろいろな仕事があるから少しでも絵に関係した職業に就きたい。そのための進学だよ。
海外留学なんて大それたことは考えていない。外国の風景なら写真を見て描くだけで我慢するから、だから―――
一枚も売れなかったのが意外にショックだったのか、前世で両親に言われた事が夢に出てきた。美術大学に進みたいと言った時の話だ。お金を出してもらえないなら問題視されている奨学金制度を活用する覚悟もあった。未来の事なんて誰にもわからないから、両親も諦めろとははっきり言わない。
それでも挫けそうなことを言うのは、多分、親としての務めなんだと思う
楽器の演奏だったり歌だったり、小説だったり漫画だったり。スポーツみたいに記録ではっきり成績が分かる物と違って、誰かに認められて初めて仕事として成り立つ職業になる夢を持ち続けるのは、生半可な精神力では叶わない。
親に言われたぐらいでぐらつくようならば諦めた方が良い。夢に立ち向かうための最初の試練だ。けれど生まれ変わってまで心に残るなんて思わなかった。
その言葉はずっとずっと、覚悟を決めた後でも苦しめ続ける。自分には向いてないのではないか、他にもっと良い道があるのではないか、と。一度しかない人生なんだからできれば好きな事をやりたい。けれど一度しかない人生だから出来るだけうまく生きたい。自分で選んだはずなのに迷ったり失敗してしまう時、その言葉がふと過ってしまう。
目を開いて両手を見た。とても小さな手だ。あの時よりもかなり状況は悪い。バイトは禁止されていたのでお小遣いは全て画材につぎ込んで、それでも足りなければ昼食代にと渡されたお金を回した。紙が無ければチラシの裏に描いたけど、今はチラシすらない。マザーの取り扱う紙はどれも必要な書類ばかりで私にまわせるものは無いと言う。
それでも、可能性は零じゃない。
食べるのにも、生きる事さえ難しいような孤児だったら流石に諦めた。けれど手の届きそうで届かない微妙な場所に夢はぶら下がっている。
立ち止まってしまったら遠ざかっていくばかりの夢は、自分を成長させるためのばねなのか。それともじわじわと首を絞める真綿のような凶器となるか。すべては自分の努力次第。
窓から差し込む光が床を淡く照らしている。
私はスケッチブックを開いた。開いたのはガガエの絵を描いたページ。
「心の糧……か」
糧、というからには生命活動の源であるべきだ。ガガエを私が落ち込む原因にしてはならない。前を向いて歩くための支えでなければならない。
闇の神よ。命尽きし哀れなるゴブリンの魂をその庇護の下に入れ、次に光を受ける時まで安らかに眠らせたまえ。
スケッチブックの表紙裏に描いたメモに目が留まる。闇の神が転生を司るなら、生きている間に生まれ変わったガガエに会えるかもしれない。
会えた時のことを考えると、諦めるわけにいかなかった。絵を描く私が目印になるかもしれないから。
売れない理由を考えてみる。市場に野菜を買いに来る人達に必要なものではなかったから。鉛筆画だったから。色が無かったから。額縁を持っていないから。
おかみさんの言っていたようにはがきサイズなら売れるかもしれない。写実画だけでなくイラストのような物も用意してみよう。
出来ることはまだまだある。原因を一つずつ潰していって、それでも売れなかったら才能の問題だ。その時にしっかり落ち込もう。
「セージ兄ちゃんのとこの猫、死んじゃったんだってさ」
皆でそろって食べる夕食時にトープが報告する。私が描いた猫でフリントさん達も面識があったらしい。フリントさんは知り合いからお酒を頂いたとかで珍しく一杯やっている。孤児院なのにいいのだろうか。
「ああ、あの猫か。もう結構長く生きたからなぁ。確かセージと結婚する前から嫁さんが飼っていたんだったな」
「うん、十四年って言ってたっけな。もうばあちゃん猫だから覚悟はしてたって」
フリントさんとトープの会話を聞きながら、私はふと、有ることに思い当たる。疑惑は自分の中でむくむくと膨れ上がり、押しつぶされそうになって思わず口から零れた。
「わ……私が絵に描いたから、死んじゃった?」
涙声になってしまった。神殿では闇属性だと言われたし、失った記憶もなんだか怪しげなものだったし、変な能力がついてしまったのかもしれない。絵に描いた生き物が死んでしまうなんてものだったら、ドラゴンなんかを実際に見て描くと言う夢が実行不可能になる。この世に生まれてきた意味が無くなってしまう。
「そんなことねぇよ。ノアが描いている時だってほとんど動かなかったじゃねェか。寿命ってヤツだろ」
「でも、ガガエも死んじゃったし。覚えていないからもしかしたらそうなのかも……」
トープが珍しく気休めを言ってくれたけれど、事実だとしたら大問題だ。魔法に関して知識の深そうなマザーを見ると目を反らされた。……え?もしかして確定事項なのか。
涙声から本格的に泣きモードに入るところで、フリントさんは「そんなことあるか」と笑いながら私の頭をぐしゃぐしゃとかき回した。ちょっとお酒臭い。
「ノア、一番最初に描いたのは俺じゃなかったか?地面に落書きしてたからまず初めに俺が死んでないとおかしい」
「あ……そうか、そう言えばそうでした」
フリントさんを見て描いた絵は直ぐに消してしまったけれど、あれから何か死にそうな目にあったとも聞いていない。単なる気のせいだと知ってかなりほっとした。
「それにな、ノアくらいの才能が有れば実物を見ないでも想像で描けるだろ」
「それは無理ですよ。同じものをずっと書き続けて慣れていれば別ですけど」
「ん?そーか」
お酒がまわっているのか頭はまわっていないらしいフリントさん。良く考えずに物をしゃべっているようで返事も適当だ。量は多くないのにかなり酔っている。
「そう言えばトープ、そろそろ剣の稽古を始めるか」
「え、マジ?やった。やっと稽古付けてもらえるのか」
「ああ、その間ノアはネリにまほ―――」
ガシャンとマザーが食器を乱暴に置く。魔法が使えるかもしれないという事はトープに秘密だと言うのにフリントさんがうっかり口を滑らせそうになったのでマザーが遮った。
無言でフリントさんを見ているマザー。時間にしてほんの一瞬だけれど私にはちょっぴり長く感じられ手に汗までかいてしまった。
「あら失礼、手が滑ってしまいました。……その間、ノアは私の手伝いをしてくださいね」
「はい……」
有無を言わさぬ迫力にフリントさんもちょっと醒めたらしい。事情を知らないのはトープだけ。けれど剣呑な雰囲気を全く意に介さずに呑気に頷いた。
「ノアはとろいからそっちの方が良いだろ。俺が強くなっとくから安心しろ」
私の手は筆を持つためにあるのであって剣を持つためではない。適材適所、役割分担は必要な事なのでかなり助かる。
―――あれ、という事は私が独り立ちしても、トープはついてくるつもりなのかな?
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