画材屋

 マザーと市場の店番を入れ替わり、今度はフリントさんと一緒に出歩くことになった。トープはぶーぶー文句を言っていたが、どうせ付いて来ても飽きるに決まっている。


 フリントさんがスケッチブックを買ったと言う画材屋に連れて行ってもらった。筆や絵の具などが、木製でガラスの蓋のあるショーケースの中に所せましと並べられている。


 豊富な種類に目移りしながら「うわぁ」と思わず感嘆の声を上げてしまった。のどから手が出るほど欲しかったものがここにある。私にとってはまさに宝の山だ。


 画材に足止めされている私に代わり、フリントさんは先に店主の方へ向かった。


「いらっしゃい。おや、この前の。今日はお嬢さんと一緒ですか」

「ああ、娘にこの前のスケッチブックは高すぎると言われたんだが、あれは本来の値段か?」


 店番をしている中年のおじさんが、値踏みをするように私を見た。フリントさんの格好と比べて良いものを着ているので違和感を持っているのかもしれない。


「お嬢さんはお付の人と違っていい服を着ているね。どこのアトリエに所属しているのかい?」

「アトリエ?」


 自分が娘と言ったのにお付の人と言い換えられてフリントさんがグッと拳を握った。心の中の葛藤が見えるようで、ちょっと痛ましい。


 それにしてもアトリエか。確か美術や建築などの作業をする工房の事で、そこに所属する集団の事も意味していたような気がする。


「ここはアトリエ・ヴィオレッタと提携している店だ。所属している人は十分の一の値段で買えるよ」

「って事は正規の値段の十倍で買わされたという事ですね」

「人聞きが悪いな。ちゃんと値札通りの値段だろう?アトリエの人にだけ安く売っているだけだ」


 ケースの中の品物をちらりと見ると、確かに全て桁が一つおかしい値段で売られている。


「どこも同じだよ。せっかく開発した色の絵の具を贔屓にしているアトリエで使ってもらう。或いはアトリエから色の注文が来る場合もある。よそで使われてはかなわないからね」

「どうしてですか?たくさん売っていろいろな所で使われた方が良い宣伝になるのに」

「アトリエごとの派閥争いがあってな。所属している中には貴族もいるから、別のアトリエの人に安く売ると店を潰されかねないんだよ。そんななりをしてるのに何にも知らないんだな」


 おじさんは首を振りながらやれやれとため息をついた。ああ、もう私のことも思いっきり見下してる感じだ。控えめに言って中年で脂ぎっていて生え際が後退していくばかりの接客がなっていないおじさんは、こちらが睨んでも下卑た笑いを浮かべているだけ。


 こんなお店で買いたくないと、扉から出ようとすると後ろから声を掛けられた。


「おやおやぁ、今日は半額セールのものを買っていかなくていいのかい?」

「結構です!行こう、お父さん」


 フリントさんと手をつないでから、スケッチブックを持っている方の手でドアを乱暴に開けて出る。


「ノア、ちょっと我慢が足りないんじゃないか。絵の値段はどうするんだ」

「どうせ聞いてもまともに聞いてもらえないよ。……聞いてもらえませんよ」


 怒りのあまり言葉遣いがいつの間にか変わっていたのを元に戻す。数歩歩いてから頭が冷えて来たのかフリントさんのいう事ももっともだと思いなおした。けれどあの店に戻るのは嫌だ。


「路上で絵を売っている人からそれとなく探るしかありませんね」

「それならそっちの大通りだ。傍に居てやるから自分で聞いてみるか?」

「はい!」


 フリントさんが示した方に進むと素敵な並木道に出た。木の根もとで小さな椅子や木箱に座って絵を売っている人を何人か見かける。


「誰に聞くんだ?」

「答えてもらえないの覚悟でいろんな人に聞いてみます」


 取り敢えず一番手前にいる金髪の綺麗な女の人に思い切って声を掛けてみた。こんな所で絵を売っていたらよからぬ輩に声を掛けられそうなほどの美人だ。


「あの、すみません」

「ん?何かな」


 思っていたより低い声……というか男の人だった。こんなに美人なのに。でも物腰が柔らかなのでそのまま聞いてみる。


「路上で絵を販売するのって特別な許可が必要ですか?」

「商人ギルドで登録するんだよ。いい場所は大きなアトリエで埋まってるからほとんど選べないけれどね」

「フリントさん、商人ギルドは分かる?」

「ああ、市場も同じように許可制だからな。って事は登録料もいるのか……」


 フリントさんが呻いた。画材を買うためにお金が必要で、お金を得る為に絵を売ろうとするのにもお金が必要で。貧乏人には何にも出来なくなってしまう。経理を担当しているマザーに何とか頼み込むしかないか。


 親切そうな人なので、そのまま本来の目的である価格の相談もしてみる。スケッチブックを開いて見せながら聞いてみた。


「この絵はいくらぐらいで売れると思いますか」

「……同業者ライバルに聞くなんてどういう意図があるんだい?僕は審美眼を試されているのかな」

「すみません。適正な価格が分からないものですから」

「どれ、見せてごらん」


 怒った様子は見受けられない。ちょっと呆れられているかもしれないけれど熱心に絵を見てくれている。ページを次から次へとめくり、白紙になったところで手を止めた。


 どんな評価をされるのかと思うと緊張する。


「これらは、あなたが描いた物ですか。子供に売らせて儲けるつもりですか」


 少しだけ険のある口調で、話す対象を私からフリントさんの方に変える。慌てて「私が描いた物です」と弁明すると、美人のお兄さんは目を見開いた。


 七歳児が描く絵ではないよね。うん。


「君はアトリエに所属していないね。だったらこの大きさなら五百ルーチェまで値切られることを想定して始めは千ルーチェでつけると良い。売れてくるようなら値上げしても構わないけれど、あまり上げてしまうと厄介な人たちに目を付けられてしまうからね」


 大手のアトリエ、チンピラ、路上販売者……いくらでも思いつく。ここまで親切に助言をくれるなら価格も適正だろうと思い、「有難うございます」と頭を下げた。


「お礼はいいよ。良かったら絵を見ていってくれると嬉しいな」


 確かにその通りだと思って売り物を見て私は凍りついた。驚くほど上手だよ、上手なんだけど……


 ―――だって、そこに並べられていた絵は全部この人の自画像だったから。小さいものから大きなものまで十数枚。なんかナルシストっぽくポージングを取ってるものまであるよ。どうやって描いたんだろう。


 えらい人に声を掛けてしまった。ちょっと冷や汗を垂らしながらギギギとフリントさんの方へ首を動かす。


「フリントさん、お金借りても良いデスカ?」

「ダメだ。自分で稼いでから買いなさい。昔からの決まり事でネリにも止められているんだ」


 そう言うけれど、この絵にお金出したくないと思いっきり顔に描いてある。


「絵が売れたら買いに来るって事で良いですか」

「一枚でもいいんだけれど……値引きすれば買えるのかな?」


 絵は小さな物で五百ルーチェ、もう少し大きいもので千から二千ルーチェで売られている。先ほどの話からしてもお手ごろ価格なんだろうけれどそれすら変えるお金が無い。


「孤児なので自由にできるお金を持っていないんです。ごめんなさい」


 がっくり項垂れて心底残念だと言う演出をしてみる。美人なお兄さんは苦笑した。


「言葉遣いとその格好からいいところの御嬢さんと思ったんだけどな。ならば、この一番小さな絵を上げようか。飾りやすいようにこれも上げる」


 そう言って差し出されたのは小さな写真立てのような額縁。ここまでされては受け取らないわけにはいかなくなってしまう。最後のあがきとばかりにちょっとだけ抵抗してみた。


「え、でも……これも売り物ですよね」


 青年は首を振って、「いいんだ」と言った。


「お近づきの印に上げる。僕の名前はメイズ。何かあったらまた声を掛けて」


 絵を売る前に絵が増えた。流石にこれを売るなんて気はしないし、もしかしたら今後も何度か顔を合わせることがあるかもしれない。ご丁寧にサインまで入っているし、似顔絵付きの名刺だと思うことにして、スケッチブックと一緒に持った。落とさないように気を付けようっと。


 マザー達と合流する前に、フリントさんがぽつりと呟く。


「ノア、他に人のよさそうな画家がいくらでもいただろう」

「そうですか?取り敢えず一番近くにいた人に声を掛けただけなんですけど。と言うか実は女の人だと勘違いしました」


 フリントさんも密かに思っていたのか、ああ、と言いながら頷いた。


「てっきりノアは面食いなのかと思ってた」

「そんなつもりはありません」

「分かった、分かった」


 フリントさんがにやにや笑う。これはいくら否定してもムキになっていると思われるパターンだ。せっかく為になる情報が手に入ったのに、ちょっとだけモヤモヤしながら市場へと戻った。

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