暴走

 売れそうな絵が描けたら町へ連れて行ってくれるとフリントさんは約束してくれた。


 路上で絵を描いて売るなら似顔絵が真っ先に浮かぶ。パフォーマンス的な意味もあって人が集まる場所にはぴったりだ。

 だけどガガエの一件以来、人の顔を描くのが怖い。事実、カーマインの顔を描こうとしてもどうしても筆が進まずに諦めた。……先に描いておくんだったと後悔しても遅い。将来、物語の挿絵を描く機会があれば参考にしようと思ったのに。


 売るなら綺麗な絵が良い。ただし持っているのは異次元経由でこちらに来た鉛筆だけ。風景を写し取って描くのが一番良いかもしれないけれど、果たして白黒写真もないこの世界で受け入れられるかどうか。

 今、どんな絵が売れ筋なのか分かればいいのに、フリントさんもマザーもそう言った事には興味が無いようだった。


「やっぱり俺が見ていないとノアはダメだな。ゴブリンなんかと遊ばないで俺と遊べばよかったのに」


 題材になる風景を探して村の中を歩いていると、兄貴面してトープが近寄ってくる。マザーとフリントさんとのやり取りでもうほとんど立ち直ったにもかかわらず、タイミング悪く傷をえぐる。

 トープがフリントさんを呼ばなければフリントさんも殺す必要なかったのに。……いや、きっとトープは心配で呼んでくれたに違いない。自分の力ではどうしようもないからそのような行動に移ったんだ。


「あのゴブリン、不細工だったよなぁ。おまけにチビだしすんごく弱そうだった」


 だったらなぜ自分で立ち向かおうとしなかったんだろうね。妹を必死で守ろうとするお兄ちゃんって事で見直したかもしれないのに。そうすれば話し合いで済んだかもしれないのに。

 私は出来るだけ聞かないようにして題材さがしを続けていた。トープの言葉は耳を傾けるだけ時間の無駄だ。いちいち怒っていたらきりがない。それは分かっていたはずなのに……


「死んでよかったんだよ。あんなのが生きていたって仕方がない」


 この言葉で流石に私も堪忍袋の緒がぶちんと切れた。あまりの言い草に我慢できなくて、拳骨でトープの横っ面を殴ってしまう。しかも利き手で。絵描きを目指すから本来それは避けるべきなんだろうけど、考えるよりも先に手が出ていた。


「トープの方が死ねばいいのにっ」


 ―――やってしまった。相手は子供なのに。私の中身は未成年だけどトープより十以上も年上なのに。


 トープは殴られた頬に手を当て、目を見開いて固まっている。泣くことも無く喚くことも無く、本当に心底驚いているだけのようだった。


 一度爆発してしまった感情は止められることが出来ず、今までの鬱憤を晴らすように大きな声で文句が出てくる。


「いっつも私が嫌がることばかりして絵を描く邪魔までして。そんなに私が嫌いなら近寄って来なければいいのに」


 殴った手が痛い。同じ年頃とは言え子供を殴った罪悪感に耐えきれず、私は固まったままのトープを放置して逃げだした。


 トープが来る前と同じようにあちこち風景を見て回るが、気持ちを切り替えることが出来ない。イライラしたままでは絵に描きたいと心に響くことも無く、諦めて孤児院に戻った。


 自室でふて寝をする。寝る気もないのにゴロゴロ寝返りばかりして時間を無駄に過ごす。


 ……死ねばいいなんて、思ってもいない事を言ってしまった。謝った方が良いのは分かっている。けれど今までの事を思うとどうにも釈に触って、悪いのは向こうの方と自分に言い聞かせてしまう。


 夕食までの間、盛大なため息ばかりを繰り返しているとノックの音が響いた。トープはそんなことしないで勝手に入ってくるからきっとフリントさんかマザーだろう。トープを殴ったことがばれて叱られるのかもしれない。


 覚悟を決めて恐る恐る扉を開けると、予想に反してそこにいたのはトープだった。また何かされるのではと声がつっけんどんになってしまったのは仕方がないと思う。


「何?」

「これ……やる」


 トープがおずおずと差し出したのは、花だった。一輪だけだけど淡い紫色の可憐な、桔梗のような花。突然のトープの行動に混乱して黙って見ていると再度突き出されたので思わず受け取ってしまった。


 なんだかすごく緊張しているみたいで、トープからいつもの偉そうな態度が感じられない。


「フリントが、ノアはもしかしたらお姫様かもしれないから、今までの女の兄弟たちと同じように乱暴に扱っていたらダメだって言ってた」

「ひ、姫?」


 随分ぶっ飛んだ話だ。あの服装だって確かに素材の良いものかもしれないけれど、そこまで高級っぽく見えなかったし。

 女の兄弟って姉妹って事でしょ。って言うか今までもそんな扱いをしてたのか、トープ。孤児だから女の子でもたくましい方が良いのかな。ああ、もうどこから突っ込んでいいか分からない。

 分かるのはただ一つ。


 ―――フリントさん、なんてことを言ってくれたんだ。


「ち、違うと思う。私多分お姫様なんかじゃ……」

「でも、はっきり分からないんだろ。もしもノアがお姫様だったら今までの態度はものすごい無礼な態度にあたるから、お前は死刑になるかもしれないぞって。あのおとなしいノアが殴ったんだったら相当怒っているに違いないって」


 死刑って。安直な発想が子供っぽいと言うか、少し笑ってしまいそうだ。悪いことをしているって自覚はあったんだね。


「俺、死刑は嫌だ、どうすれば良いって聞いたら取り敢えず謝れって。贈り物をしてせいい?を見せろって。自分も騎士になったつもりで丁寧にしろって言われた」

「き、騎士?」


 聞き返す声が思わず声が裏返ってしまうくらい、トープには似合わなかった。なるほど、これで花をくれた理由が分かった。トープの中にある騎士像はお姫様にお花をくれるんだ。ちょっとニヤニヤしてしまいそう。


「お姫様のご飯を取る騎士なんていない。お姫様を殴る騎士なんていない。お姫様の手を取って歩いているのにぶつけたり転ばせたりする騎士なんていない。今まで自分のやって来たことを考えたら、やったらだめな事ばかりだった」


 私に対するトープの行動を正すのにはかなり効いているみたいだが、自分より下だと判断した者には乱暴なままの可能性がある。


 ……これはあくまでごっこ遊び。トープが非行へ走る道を閉ざすいい機会だから、フリントさんの言葉に私が乗っかるだけの事だと、心の中で言い訳をする。


 背筋をしゃんとして、凛とした雰囲気が出るように顔を真っ直ぐ上げた。


「ならば命じます。私以外でもやたらと手を上げることはしないでください。弱いものから奪う事はしないと約束できますか?」

「する!……いや、違うえっと約束します」


 トープはにかっと笑った。いたずらでは無い笑みを初めて見た気がする。フリントさんに諭されても無くならなかった暴力と略奪がこれで無くなると良い。


 私も殴ったことを謝らなくては。


「トープ、殴ったりしてごめんね、痛かったでしょ。後は残っていない様だけど……」

「あんなへなちょこパンチ、全然痛くなかったぞ。ノアはもう少し鍛えた方が良い」

「へなちょこ……」


 殴った手が結構な痛みを帯びたので心配したのに、ちょっとショックだ。やっぱり殴るのは良くない。代償が大きすぎる。


 マザーから一輪挿しの花瓶を借りて、部屋の中に飾る。題材が向こうの方から飛び込んできてくれるなんて願ったりだ。取り敢えず、枯れる前に絵に描き始めた。鉛筆画なのが非常に残念だ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る