祈り

あれから孤児院に戻ると心配そうな顔のマザーとトープに出迎えられた。ガガエが殺されたと言うのに私が無事に帰ったと二人は喜んだ。


 笑えない。笑うのなんて無理だ。疲れたからと言って自室に戻り臥せっていると、落ち着いた頃を見計らってマザーが様子を見に来てくれた。

 森の中で落としてしまったスケッチブックと鉛筆を、机の上にそっと置いた。きっとフリントさんが取りに戻ってくれたんだろう。


「ノアール、フリントはあなたを守るために仕方なくゴブリンを殺したのよ」


 マザーの言い方からすると、ガガエの最期で取り乱した私の様子をフリントさんから聞いているようだった。


 命のやり取りを目の前で見てしまったのに簡単にフリントさんを受け入れたくはない。けれど多分、ここはそう言う世界なんだと冷静に理解している自分もいて、それがとても悲しかった。


「分かってます。フリントさんがそうしなければならなかったことも、きちんと理解してます。ただ……」

「ただ?」

「納得は出来ても感情が……私が最初にあった時に逃げて黙っていれば、ガガエは、ゴブリンは逃げられたかもしれないのに」


 落ち着いて話しているつもりが、だんだんと涙声になって喉の奥から熱いものがこみあげてくる。さんざん泣いたはずなのにまだまだ涙は枯れそうにもない


「死ななくて、済んだかもしれないのに」


 手元にはガガエの血の付いた絵。人間の血のように真っ赤ではなくて、緑のような紫のような淀んだ色だった。指先でなぞれば、それはもう既に乾いてしまっている。時間の経過に伴い、じりじりと死を感じ取るのが物凄く嫌だ。


 自分の描いた絵のモデルが死ぬのがこんなに辛いとは思ってもみなかった。描いていた間のやり取りや感情が見える形で表れていて、どれだけ年月がたっても自分が死ぬまでそこに残ってしまう。


 それに自分が絵を描いたせいで誰かが死ぬなんて思ってもみなかった。


「初めてできた友達なのに死なせてしまった。私が殺し…しまったっ…様なものですっ」


 とうとう嗚咽まじりになってしまい、マザーが背中を擦ってくれる。


「ゴブリンを友達だと言っても、殺してはダメだと言っても、誰も聞く人はいません。例えこの国の王様が殺さない様に命じたとしても、ゴブリンより人の命が軽んじられたとして民が謀反を起こすでしょう。それだけ、ゴブリンによってさまざまな被害を受けた者たちがたくさんいるのです。村の近くで出会えば即、殺してしまう事が推奨される程危険視されています」


 私はまだガガエにしか会っていないから、ゴブリンがそんなに恐ろしい生き物だとは思わない。初めて出会った時に怯えて逃げてしまうような生き物が、果たして凶暴だと言えるだろうか。


 ゲームなんかだと比較的弱い部類に入ると言う前世の記憶があるせいなのかもしれない。どこか絵空事だと言う感覚がまだあるのかもしれない。でも場合によっては私やトープが死んでいたのかもしれないと思うとガガエの立場でものを言うのは憚られた。


「けれどあなたが仲良くなってしまったなら、やりきれない思いもあるでしょう。こういう時こそ、祈りを捧げなさい。死者の安らかな眠りを願う時は闇の神、赤い女神に閉じ込められた先で死せる魂たちに心の安寧をもたらしました。生まれ変わりを待つ場所でもあります」


 それって闇の神は赤い女神に殺されたって事でしょう?何気なくマザーは言っているけれど神話の恐ろしさを垣間見たようでちょっと怖い。


「さ、手を組んで私の言葉に続けて。闇の神よ。命尽きし哀れなるゴブリンの魂をその庇護の下に入れ、次に光を受ける時まで安らかに眠らせたまえ」


 少しばかり抵抗があっても、私自身が既にこの世界に生まれ落ちてしまっているのだから逆らう道理はない。


 ゴブリンの部分をガガエに変えマザーに続いて心の底から祈った。ガガエがゾンビにでもなって襲って来たらそれこそ目も当てられない。悲しい別れだからこそ「もう一度会いたい」よりは「どうか安らかに」と願う気持ちの方が強かった。


 次にガガエが生まれてくるときは、私と仲良くなれる種族で生まれてきますように。


 祈りの言葉を言い終えると、窓ガラスがガタガタと揺れ始めた。かなりホラーで怖い。

 驚いてマザーを見ると、口の前に人差し指を立てもう片方の手で落ち着いてと言う様なジェスチャーをされた。


 その通りに黙っているとスケッチブックのガガエの血がすーっと光の球に変わり、くるくると私の周りを飛び回ると胸の辺りに飛び込んでそのまま消えてしまう。


 窓ガラスの振動も止まり、静かになった。心なしか、悲しい気持ちが少しだけ楽になった気がする。


「マザー、今のは?」

「ノア、あなた魔法が使えるのね」


 思わぬ言葉に驚いて「え?」と聞き返してしまった。


「祈りをささげて何か反応があるのは神に愛されている証拠。今のはガガエがあなたの心の糧になったのでしょう」

「心の糧って比喩ではなくてこんな目に見える形でなるものなんですか」


 反応が無ければ心の糧にはならないのかとか、いろいろ突っ込みどころは有るけど、それよりもマザーの真剣な目が怖い。


「ノア、あなたは絵描きよりも神官になるべきです。その齢でこれだけはっきりした現象が起きるのは滅多にないので」

「そんなの嫌です」


 私は即座に答えた。どれだけ魔力があろうが絵描きになる道を諦めるつもりは無い。


「ならば、魔力の正しい使い方だけでも教えます。うまく逃がす方法を知らずに、ある日突然暴走させて誰かを死なせないためにも」

「そんな事あるんですか」

「ええ、時々。闇の神に連れて行かれてしまう者が年に何度か神殿に運び込まれてました」


 亡くなる人をそのように表現するんだ。でも、絵を描く時間が無くなるからほんの少しだけ学べばいいかな。魔法使いになりたいわけでは無いし、あまり力が強すぎてもいらぬ争いを招くことになりそうだし。


 あまりやる気が無いのが顔に出ていたのか、マザーは次の一手を出してきた。


「それにね、絵描きになるなら水や風を扱えるとかなり楽になると聞いた事があるの。筆を洗浄したり絵の具を乾かしたり」

「それは……是非ともお願いします!」

「ええ。それから、このことはトープには内緒にしてください。彼は魔法が扱えませんから」


 言えば嫉妬したりいじけたりする様子が簡単に思い浮かぶ。私は了解とばかりに頷いた。


 部屋を出る間際、マザーは後ろを振り返ってこう言った。


「その絵、とても上手に描けているわ。あなたの友人が亡くなって残念だったけれど、元気を出してね」


 マザーはゴブリンと罵ることなく友人と言ってくれた。血の消えた絵の中のガガエはとても優しい顔で笑っている。「ガンガエ(がんばれ)」と励まされているようで、涙を拭かざるを得なかった。





 マザーと入れ替わるようにしてフリントさんが入ってくる。立ち直りかけている私よりも何だか憔悴しているような顔だった。


「ネリから落ち着いたようだと聞いたが、もう大丈夫か」

「はい」


 口調がぎこちない。何だか最初に会った時を思い出してしまった。泣いている私をどうしていいか分からないと言うような、そんな顔をしている。


「そうか……済まなかったな。お前の友達を殺してしまって。言い訳がましいかもしれないが、どれだけ大人しくてもいつ豹変するか分からないからな。自分で責任持てないうちは近づかないでくれ」

「分かりました」

「お前の父親代わりとして、頼む」


 少しくすぐったいながらも、神妙に頷く。迂闊に森へ入ってゴブリンに会って、もう一度同じ思いをするのはごめんだ。


「それにしても人語を解するゴブリンがいるとは知らなかった。まるで人間の子供を殺してしまったようで……」


 ベッドに腰を下ろして自分の両手を見ている。沈黙が続いて、今度はこちらがそわそわする番だった。


「罪悪感?」

「ああ。―――今は大分治安が良くなったが、北西の国境付近の山岳地帯は大人も子供も山賊だったりしてな。傭兵として雇われていた俺は商隊を守るためにやむを得ず……」


 言葉を濁したが、フリントさんが何をしてしまったのかそれとなく理解する。お互いに生きる為とは言えやるせない。


「向こうにも言い分がきっとあったんだろうし、そんな子供が山賊に身を落としたのは戦争をしていた隣の国のせいでもあるんだが。もうそんな思いをしたくなくて孤児院を手伝うようになったのに、また同じことをする羽目になるとは」


 私と違って涙声にこそならないが、だからこそ背負って来たものの重みが感じ取れる。年月を経て話せるようになっても、きっと忘れられないんだろう。


 もとより責めるつもりは無いけれど、それどころかこちらの方が罪悪感を負ってしまいそうだ。


「私を守るためには仕方がなかった……ですよね。ごめんなさい。私が殺させてしまった様なものです。今度人間以外に会ったら走って逃げます」

「いや、それよりも一人で森に行くのは止めてくれ。ここらは誰かしら野良仕事をしているから大人の目があるが、森に入られるとそれもかなわん。行く時は誰かに声を掛けてくれ。約束できるか?」

「はい、気を付けます」


 私がきっぱりと言うとフリントさんは安心したようだった。満足げに頷いて、傍にあったガガエの絵に目を落とす。手に取ってまじまじと見られると、なんだか恥ずかしい。


「お前……これほど描けるなら売れるんじゃないか?」

「え?」

「街の路上で売っている奴らを時々見かけるが、多分これよりレベルが落ちるぞ。売り物用の絵を描いて、それでお金を稼いで画材買ったらどうだ?」


 私の絵なんてまだまだだと思っていたけれど、本当に?自信持ってもいいのかな。 

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