ガガエ視点

 俺はゴブリン。名前はまだ無い。


 成長しても体が小さいので群れからも追い出され、生きる為に人里の中の森に身を隠している。夜中にちょっと畑から失敬したり、仲間に煩わされることも無いので中々快適だ。人間に見つかったら一巻の終わりだから、かなり周囲には気を配らなくてはならないのが難点だが。


 けれどある日、小さな人間が森に入ってきた時に、何をしているのか気になって思わず姿を現してしまった。木を切るでも木の実を取るでも、ましてや狩りをしに来た様子でもない。周りの物を見ながら板のような物に何かしている。顔を上げてはまた何かするの繰り返しで、覗いていたら注意が疎かになっていて隠れてた茂みから飛び出す形になってしまった。


 驚きながらもこちらを見ている人間は、小さくて真っ白な髪と白い肌をしていた。瞳は闇のように真っ黒だ。どうせ悲鳴を上げて騒ぎ立て、武器を持った人間を呼び寄せて狩りをするのだろう。こちらから攻撃をして黙らせるのがゴブリンの普通だが、そんな気は全く起こらずそのまま逃げようとした。


「待って、行かないで」


 人間の言葉は話せないだけで理解できる。その人間は狩りをする人間のオスよりもずっと小さくて声も綺麗だ。聞かずにそのまま逃げなくてはならないのに、なぜか彼女の言葉に従ってしまう。不思議な力で束縛されているようで、けれど嫌な感じは全くしなかった。


 俺をモデルに絵を描きたいと言う。モデルが何かわからなかったが絵は分かる。昔寝床にしていた遺跡に大きなものが描かれていたから。「いいよ」と言うつもりが「ギギゴ」となってしまう。人間と同じ声が出るのどではないのが恨めしい。それでも小さな人間には伝わった。


 普通の人間は聞く耳を持たない。ゴブリンが命乞いをしようが容赦なく殺す。この小さな人間は本当に変わっている。


 明日も来ると言って人間は日が沈む前に帰ってしまった。本来なら昼間は睡眠をとって夜に活動するのだが、今日はずっと起きていたので非常に眠い。寝床にする木の洞に潜り込んでため込んでいる木の実などの食料を齧りつつ眠る。もしかしたら話を聞いて狩りにくる人間がいるかもしれないので、少しだけ警戒をしながら目を閉じた。


 次の日、目が覚めるとすでに日は高く上っていた。小さな人間はまだ来ていない。だまされたのか、それともゴブリンとの約束なんて忘れてしまったのか。刃物を持った大きい人間を連れてくるかもしれない。


 小さな人間は一人でやって来た。心配したうちのどれでもなくて柄にもなく安堵する。同種族のゴブリンも信用したことが無いのに、この人間はどうやら信頼出来そうな気がする。


 「名前?」と聞き返したつもりが勘違いでガガエになってしまった。それでもこの人間がつけてくれたようなものだ、嬉しくて気にいった。おれの名前は今日からガガエだ。


 小さな人間はノアールと名乗った。ノアと呼んでほしいと言ったがきっと「ゴア」になってしまうんだろう。きちんと呼ぶために後で練習しよう。


 今日も絵を描くらしいので出来るだけ動かずにじっとする。ちょっと気恥ずかしいけれどどうせならカッコ良く描いてくれよと気合を入れるのだが、どうにも昼は眠くていけない。


 ノアも同じ種族からいじめられているらしい。いじめている奴の名前はトープ。自分は小さいから仕方ないと思っていたけれど、ノアが苛められるのは何故か嫌だ。もっと大きな奴がノアを守ってやればいいのに。人間にはノアを可愛いと思う奴はいないのか。


 ノアを励ますことしかできないのが悔しい。


 別れ際、ノアは昨日と同じようにバイバイと言った。きっとこれが挨拶なのだろうとマネをしてみるが「ガイガイ」になってしまった。


 寝床の中で小さく声を出してノアの名前を呼ぶ練習をしてみる。


「ゴア、ゴガ、ロガ……ゴガ、ノガ。ガイガイ、ガイビャイ、バイバイ」


 どうにも惜しいところまで言っているのになかなか言えない。バイバイは直ぐに言えるようになったのに、これではノアの名前が呼べない。呼んだらきっと笑顔になってくれる……なってくれたらいいのに。


 一生懸命練習していたらいつの間にか眠りについてしまった。ノアが来るのはいつも昼過ぎなので朝からまたずっと練習を続ける。


「ノガ、ゴア、ノア……ノア!」


 呼べたっ!嬉しい、嬉しい。思わず大声になってしまったので辺りを見回す。ノアの名前が呼べた。そのままいつでも呼べるように練習を続ける。


「ノア、ノア、ノア、ノア」


 しっかり呼べるようになったところでノアが来た。ノアはまた昨日と同じように絵を描きだす。


 いつ呼ぼう、いつ呼べばいい?やっぱりバイバイと一緒に言うのが良いかな。そうすれば最後に笑顔が見られて、明日を待つのがきっと楽しみになる。


 ノアをいじめているトープと言う奴が来た。何かしようとするなら俺が守ってやると思ったのに、姿を視界に入れただけでびびッて逃げ出すのは心底気持ちが良かった。こんなに小さい自分でも傍に居るだけで守れるのは嬉しかった。


 だから、油断していたんだ。ノアがここに来る間は守ってやれるなんて、思ってた。明日もきっと来るんだと、絵が完成しても遊びに来てほしいと言えば来てくれると思ってた。ノアの「できた」と声が上がる。


 ノアは絵をかかげて見せてくれたが、それどころじゃなかった。いつの間にか後ろにいた大きな人間によって、背中から剣が突き刺されてしまった。怒りと恨めしさでいっぱいになったけれど、大きな人間はノアを心配している。


 そうか、そうだよな。ノアを守るのはこの人間で俺の役割じゃない。ノアを守るやつがいて安心した。


 ノアが泣いてる。今こそ練習の成果を―――


「ノア、バイバイ」


 ちゃんと言えた。けれど、もう見えない。笑っているといいな。


 気付いたら真っ暗闇だ。死ぬってこういうことか。ふよふよ、ゆらゆら、何にも見えないけれど何となく気持ちいい。とても遠くからノアの祈る声が聞こえた気がした。


「人間相手の祈りの声は良く聞くが、ゴブリン相手は珍しいな」


 すぐ傍の暗闇の中から声が聞こえる。きっと黒い神さまだ。死んだじいちゃんが言ってた。俺たちを救ってくださる唯一の神だと。


 やっぱり死んだのか。ノアに会えなくなったのは悲しい。


「どうしたものか。罪を犯した人間を他種族へ転生させることはあっても、ゴブリンはゴブリンのまま転生というのが通説だが……」


 神様の姿は全く見えないけれど、多分目と口と耳はあるはず。次の言葉でそれが確信に変わる。


「祈りをささげているのはあの娘か。お前、何に生まれ変わりたい?」

「ノアと」


 自分で話し始めて驚いた。ガギグゲ語じゃなくて人の言葉で話してる。これなら神様にも通じるだろうと生まれ変わったらしたいことを言った。たくさん種族を知っているわけじゃないから、神様に決めてもらおう。


「ノアールと仲良しになれる種族が良い。話したい。できれば守れるようになりたい」

「ふうむ。ならばあれにするか。ノアールに関する記憶は残しておこう。会えるようになるまでは時間が掛かるがそれでも良いな?」

「できればノアがおばあちゃんになる前に……」

「わかったわかった。今度はへましないようにガンガエよ」


 死んだ後なのにとても忙しい。休む間もなく闇の中からどこかへ移動した。

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