野菜から絵の具を作ることは諦めた。フリントさんのいる夕食時は大丈夫だけど朝食は未だにトープに奪われるから、提供を拒否されて全体量が減ればそれだけ私がつらくなってしまう。


 それに作りかけて思ったのは先に他の道具、例えば筆やパレット、水を入れておくバケツなどを用意しておいた方が良いという事だ。あのまま絵の具が完成しても道具が無ければ絵を描き始められない。その間に乾いたり変色したり、トープのいたずらに使われてしまったら目も当てられない。きっと怒られるのは私で、絵描きになる為の作業も完全に禁止されてしまうだろう。


 先立つものがあれば別だけど、ない以上は自分で作ってみるしかない。というわけでまずは筆からかな。


太い筆と細い筆があればうれしいけれど、とりあえず作ってみなければ分からない。


 動物の毛を束ねて糸で結んでのりで固めて……テレビで見たことあるんだけど、うろ覚えだなぁ。ネットで調べることが出来ればいいけれどそれも無理だし。図書館のある町なんてここから遠いだろうし。


 取り敢えず動物の毛だけでも手に入れよう、試行錯誤はそれからだという事で夕食時にフリントさんに聞いてみた。


「そう言えばこの村って家畜を育てている場所ってあるんですか?」


 私は食卓に乗っているベーコンを見ながら聞いた。そうすればただ食材に興味があるようにみられるかもしれない。絵に関することは何故かことごとく失敗しているので遠回りしたアプローチをする。


「ああ、ここでは育ててはいない。馬車で半刻ほどの村だな。家畜が好む草が生えやすい場所なんだ」

「へえ」

「豚や牛、馬や鶏なんかを纏めて育てている。うちの村は野菜や穀物だからエサなんかもだしてるな」


 馬はカーマインの馬車で見たことがあるが、豚や牛や鶏も前世と同じらしい。ただ野生の物はモンスター化しているのでジビエは単純なイノシシやシカとは限らない。ここ、バスキ村でも穀物があるので育てられるが、そうなるとそっちの村が立ち行かなくなる。


 持ちつ持たれつ。病気の感染を狭い範囲にとどめる為にも必要な役割分担みたい。


 時間はぎりぎりだけど歩いていけない距離では無い。毛を刈り取る時間は必要かもしれないけれど、筆に使うだけだからそんなに量はいらない。欲しいのは馬の毛かな。扱い方は現地の人の方がもしかしたら私より知っているかもしれないし聞いてみよう。


 頭の中で計画を立てていると、食事の手が止まっているとマザーに注意された。誤魔化すように慌てて食べ始めると、マザーがじっと私を見ている。


「ノア、動物の毛も彼らの大事な収入源なので、くれぐれも筆を作るためにもらいに行ったりしないでくださいね」


 ―――いきなりばれたっ!まだ何にも言っていないのに。


「な、なんのことですか?筆って」

「興味があるのはお肉ではないでしょう?それとも絵のモデルかしら?」

「そ、そうなんです、お馬さん描きたいなって」

「ペンもインクも鉛筆も持っていないのに?」


 なんか引っ掛けられたみたい。誤魔化すつもりが却って怪しくなってしまった。


「なんだ、ノアはそんなことを考えていたのか。肉も皮も毛も内臓も、加工したりして全て収入源にするからな。それで餌や道具を買ったりして次を育てるからきっと無理だぞ」


 フリントさんにため息をつきながら、諭されてしまった。仕方がない、こうなったら自分の髪で作るかとここへ来た時よりも少し伸びた髪を触る。


「もしかして、自分の髪の毛で作ろうとか思っていませんか?」

「えっと、それもダメですか」


 誰も損はしないと思うけれど、と思っていたらフリントさんとトープからも物凄い勢いで声が上がった。


「そんなのはダメだっ」

「止めてくれ、頼むから」


 二人ともあまりに大きな声なので驚いた。自分の髪なのにどうしてだろう、心底わからないと思っているとマザーがそれを察したのか説明をしてくれる。


「女性が髪の毛を切って稼ぐのは最終手段です。孤児にそんなことをさせていると知られたら神殿の監査が入ります」


 トープの前だからはっきりとは言わないが、体を売るのと同等か、それ以上の事らしい。マザーにしては珍しくちょっと呆れた顔にも見える。


「道具は自分で作るよりもお金を稼いで買った方がいいでしょう。いろいろな人の仕事を奪ってしまう事になりますから。それが出来ないのなら諦めなさい」

「……はい」


 そもそもそのお金を稼ぐことすらできないから自前で作ろうと思っているのに。マザーの理不尽な言葉に納得できない。ふてくされながら残りの食事を済まそうと手を動かし始める。


「ネリ、なんだか嬉しそうだな」

「頑張る姿は微笑ましいのですが、間違った道を正せるのがとても嬉しくて」

「間違った道って、トープは?」

「ふが?」


 私が八つ当たり気味に口を挟めばトープは口に物をいっぱいに詰めたまま、呼んだか?というような顔でこちらを見る。


「トープは言っても聞かないから注意のし甲斐がないんです。その点ノアは一度言えばきちんと理解してくれますから」

「人の物は取るし直ぐ殴るしいたずらはするし、このままだとロクな大人にならない気がしますけど」


 あまり気分の良いものではないけれど、フリントさんの前でトープの所業をぶちまけた。フリントさんは眉根を寄せて低い声を出す。


「トープ」


 怖い、私の方へ直接顔を向けているわけでは無いのに威圧感があふれ出してるよ。トープも尋常では無い空気を嗅ぎ取ったようで、慌てて口の中の物を飲み込んで反論する。


「うえぇ!?俺ノアの物なんて何にも盗って無い」

「殴ってるってことは認めるんだな」

「アイジョーヒョーゲンだ。セージ兄ちゃんは嫁に叩かれて嬉しそうにしてたぞ」


 それちょっと歪んでる……って他所の家の複雑な愛情表現はほっておいて。取っているって自覚なしか、なお悪い。でも前に話した時は弱肉強食みたいなことを言われたんだよね。フリントさん、どう出るのかなと思いながら言い返した。


「いつも私のごはん食べてるもん」

「あれはノアが食べるの遅いし、いらないと思って手伝っているだけだ」

「毎回止めてって言ってるのに聞こえてないの?朝も昼もほとんど食べられない時だってあるのに」

「じゃくにくきょうしょくだろ。フリントだって前に言っていたじゃねーか」


 ほら来た。ちゃんと叱っておかないからこうなるんだよ。


「取っている自覚も無いって最低だよね。いつか痛い目にあっても知らないよ」

「みんなそう言うけど痛い目になんかあったことねェし」


 あっかんべーでもしそうな口っぷりだ。フリントさんは盛大なため息をついた。どうしたもんかなと呟きながら頭を抱えている。何かを思いついたようで私に話を振ってきた。


「ノア、自分が食べ物を持っていて、守ってくれる強い大人がいて、トープがお腹を空かせていたらどうする?分けて上げるか?」

「絶対上げない。余るほどたくさん持っていても他の人に上げる。たとえトープが死にそうでも、トープにだけは渡さない。」


 言い過ぎかもしれない。物凄く食い意地が張っているみたいに見えるかもしれない。

 今までしてきたことを思えば当たり前なのに、トープはショックを受けていた。


「なんで、兄弟なのに……」

「弱肉強食なんでしょう?トープがしていることと同じことだよ」

「ノア、トープがノアのご飯を取らなかったらどうする?」

「それだったら分けてあげられる。もちろん叩かない事も含めてだけど」


 日頃の恨みが無かったら、困っている人がいれば助けて上げるつもりはある。もちろん無理のない範囲でだけど。


「トープ、人から奪う時は自分もそれなりの覚悟が必要なんだぞ。嫌われる覚悟は出来ているか?自分も同じことをされる覚悟は出来ているか?」

「……無い」

「だったら止めるんだ。それに齢は同じだがノアの誕生日によってはお前の方が兄貴になるかもしれないんだぞ。お前の兄貴たちは妹をいじめるなんてしなかっただろう。分かったらノアに謝れ」

「俺が…兄貴……ごめん、ノア。俺が悪かった」


 謝ってもらっても困る。どれだけ取り繕ったって、もう既に手遅れなんだから。取り敢えず表面だけは「分かった」と返事をしておく。許すとは一言も言わない。


 真っ白なままのスケッチブックだけが手元に残っている。これでは宝の持ち腐れだ。ベッドに座ってため息をついた。


「せめて鉛筆だけでも手に入ればなぁ」


 ぼやきながら何度か寝返りをうった後、何もない空中からひゅっと何かが現れ、からんと乾いた音を立てて床に落ちた。

 この世界では見慣れない、私にとっては非常に見慣れた物。文具メーカーのロゴと4Bの文字、名前こそ書いていないけれどおそらく私が異次元で失ったもの。


 どうしよう、どうしようか。触っても平気かな。だってあの異次元から落ちてきた物だよ?触った途端にあそこへ戻されたりしない?


 でも、せっかくの画材が目の前に落ちているのを見過ごすことが出来ようか、いや出来ない。


 勇気を振り絞り、ベッドの端をしっかりと持ちながらそろそろと片足を伸ばして突いてみる。足に触れた途端いきなり視界が暗転する……事も無く、私は安堵してその鉛筆を拾い上げた。


 手に取ってまじまじと見ると芯が少し欠けた跡がある。確か異次元に行く前に床に落としたから、きっと同じものなんだろう。

 このまま使ったとして問題ないだろうか。盗んだと言われたくなくて、使い始める前に院長室で仕事をしているマザーに聞いてみた。


「マザー、私の部屋に鉛筆が落ちていたんですけど、このまま使っても良いでしょうか」


 鉛筆を受け取り、しげしげと眺めているマザー。


「見たことのない文字ですね。あの部屋は以前、両親が世界を旅していたと言う孤児が使っていましたから、文化の違う遠い国の物でしょう。忘れ物の連絡もないし、構わないでしょう」

「良かった。削る為のナイフを時々お借りしたいのですが」

「必要になったら私がいる時にここへ来て、ここで削ってください」

「はい!」


 鉛筆が手に入って削る当てまで出来るなんて、かなりの進歩だ。野菜絵の具作りでちょっと落ち込んでたけど俄然やる気が出てきた。さてさて、何を描こう?

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