木炭

「やったぁぁぁっ」


 スケッチブックを抱えて飛び跳ねたり辺りを走り回ったりする。今日は町の市場へ農作物を売りに行って、そのついでに買って来たそうだ。

 この興奮をどうしてくれよう。それにそれに町に行けば画材屋さんがあるという事だ。お金を稼げば絵の具が買える!

 トープが「ずりぃ」と叫んでいたがこれだけは譲れない。取られたりいたずらされないように対策をしておかなければ。


「フリント、誕生日でもないのに甘やかすのはよくないと思うの」


 冷静なマザーが指摘をする。誕生日と言う言葉に反応して、スケッチブックを抱えたまま動きをぴたりと止める。


「私、そういえば誕生日覚えてません。フリントさん、私の戸籍は役所にありました?」

「ああ、それが―――」


 フリントさんの話によると、開拓村の一つとしての届け出はかなり昔にしてあったらしい。村の名前は後から届けるとして受理されていたそうだ。村人たちの戸籍も棺桶に入れる前に記録しておいたおおよその年齢性別、屋内の遺体については各家のポストに書かれた名前で一致したらしい。


 ただ一人、七歳の少女の戸籍は無かったそうだ。そもそも大人ばかりで子供は存在していなかったと思われる。


「私、何者なんでしょうか」

「誘拐されたのか、知り合いの家に遊びに来ていたとか。着ていた服からして療養に来ていたお嬢さんという事も考えられるな」

「でも、そんなお屋敷のような家はあの村にはありませんでしたよね」


 時間が経って記憶が薄れているにしろ、塗装もしていない木造の粗末な家ばかりだった。


 棺桶に入れられていた時に来ていた高そうな服は、あれから全く着ていない。唯一身元の手がかりになるものだからタンスの中に大事にしまってあって、今はマザーが作ってくれた簡素な服を着ている。

 トープとほぼ同じものだけど、動きやすくて私は好きだ。袖も短めで絵を描くのに適している。


 私にとって服は見て楽しむものだ。絶妙な色合いとかときめいてしまう程美しいひだとか、自分で着ていたら絵に描けないではないか。


「カーマインも調べてくれている。ただ、最初から戸籍が無い可能性もあるからなぁ」


 カーマインか、なんかもう既に懐かしいな。運が良ければ会えるって事は、ほぼ二度と会うつもりは無いって事だよね。結構ひどい言い草だ。この世界で一番最初に会った人だから忘れたくないのに。


 そうだ、覚えているうちにカーマインを描こう。必要なのは鉛筆とせめて赤い絵の具。赤か……最悪、自分の血で描くって手段もあるよねって。いやいやいや、怖いから。それ何だか呪いの絵みたいだから止めよう。そんな絵を他人が見たらカーマインに物凄い恨みを持っているみたいに思われるよ、きっと。


「ノア、不安になるのも分かるがそんな顔をするな。困るようなら俺たちで戸籍を用意するから」


 ごめんフリントさん。戸籍の事なんか忘れてもう既に別の事を考えていたよ。過去の事よりも未来のことってね。


「はい、有難うございます。そう言えばトープが落書きした時ってどうやって描いたんですか」


 いつの間にかトープは遊びに出かけて姿を消している。自分にはもらえないと拗ねたのだろうか。


「かまどのススだよ。危ないから厨房に入れないようにネリが仕掛けを施しておいたんだがな。本当にあいつは悪知恵が働く」

「仕掛け……」


 ネズミ取りでも仕掛けておいたんだろうか。触れた途端にばちーんて挟まって、あれ多分虐待の類になるよね。流石にそんな恐ろしいモノを仕掛けるとは思わずにマザーを見ると、恥ずかしがるように頬に手を当てた。


「神官だった頃にちょっと嗜んでいた、村の外まで飛ばされる魔法陣を少々。兄弟が多い時には作りかけの料理をつまみ食いどころかごっそり食べてしまう者もいましたからね」

「川に落ちてずぶぬれで帰ってくる奴もいたなー」


 地下の貯蔵庫にはそのまま食べられるものは置いていない。近所の畑で盗めば孤児院にまわされる野菜が減らされるだけなので、兄弟間でもそれは厳しく見張っていたそうだ。


 ちなみにトープはマザーが出てきた後にドアの隙間に小さな石が挟まる仕掛けをして、扉が閉じないようにしたらしい。


「えっと、私その話初めて聞いたんですけど、手伝おうとして厨房に入ろうとしてたらもしかして飛ばされていたという事ですか」

「事前に許可があれば入れます。パン作りが得意な子がいたと言ったでしょう?」


 危ない危ない。木炭目当てに突撃しなくて良かった。マザーが何か考え込んでいる。


「ノアなら心配なさそうですね」

「ああ、育ちが良いのか日ごろの行いが良すぎて、盗む行為が全く想像出来ん。ノア、少しずつで良いからネリを手伝ってやってくれ」


 やったね、信頼ゲット。トープに合わせて自分を貶めなくて本当に良かった。


 次の日の夕方、マザーの後について地下の貯蔵庫から薪とベーコンのような物を持って厨房へとやって来る。厨房があるのは一階の北側。それより南側は食堂や応接間や院長室、つまりマザーが事務的な仕事をする部屋になっている。


「ちょっとそこで待っていてください」


 マザーが先に入ると扉の裏側にカリカリと何か書いているような音がした。仕掛けは扉の裏にあるらしい。


「これであなたは自由に入れるようになりました。トープと一緒に入ることが無いように気を付けて下さい」


 セキュリティの中途半端なマンションの入り口みたいなものだろうか。一応後ろを振り返ってトープがいない事を確認してから中へ入る。


 初めて入る厨房はかなり清潔にしてあった。ただ、防火のためか石の床なので冬場は冷えそうだ。棚には人数が多い時に使っていたのか、大きな寸胴鍋が置いてある。もう一つ扉があってそちらにも魔法陣が描いてあった。どうやら外に通じる勝手口のようだ。


 かまどに模様がついている。赤い線で幾何学模様を組み合わせた紋章な様なものだ。


「これは何ですか?」

「赤の女神の印です。赤の女神は火の精霊たちを産んだのでかまどの女神でもあるのですよ。それから転じて料理の女神でもあります」


 マザーは厨房内の倉庫から生でも食べられる野菜を持って来た。テーブルの上が一気にカラフルになる。形こそ八百屋で見かけるような物ばかりだが、その色も味も全く違う。赤い茄子の形をした野菜はジャガイモっぽい食感。黄色い人参型は繊維質が豊富っぽい。ちょっぴり酸味のある青いキャベツ。


 赤、黄色、青。三原色がそろっている。この野菜から絵の具って作れないかな。例えば細かく刻んで絞ったり、熱を加えてみたり、他の果汁などの液体を加えてみたり。

 しかもこの三つから絵の具が作れたら色の幅が広がる。赤と黄色は橙になるし黄色と青は緑になるし、赤と青は紫になる。全部混ぜれば茶色っぽくなる。

 確か綺麗な黒にはならなかったはずだけど黒が欲しかったら炭を使えばいいよね。白が無いのは辛いけれど、炭以外はたっぷり水を含んだ水彩絵の具のような淡い色になると思う。


 気づいてしまったからにはやらないわけにはいかぬ!


「マザー、この野菜下さい」

「今日の晩御飯になるから駄目です。まずはこの野菜の皮をむいてもらえますか」

「皮なら使っていいですか?」

「細かく刻んで炒めたり、別の物と和えるのでダメですよ」


 残念……。気を取り直して次の手段。


「かまどの木炭なら頂いても良いですか?」

「薪を燃やしているだけなので木炭にはなりません。ただの燃えカス、つまり灰です」

「ええっ、そうなんですか」


 てっきり薪の燃えカスが木炭になるものだとばかり思っていた。中学の時は何も考えずにに石膏像をデッサンしていたけれど、調べてみれば良かったな。


 まだ火のついていないかまどの中を覗き込む。トープがいたずらによって煤を取っていったので、中には灰しか残っていなかった。煤でも何かしら使えたかもしれないのに、またトープが邪魔をした。


 火をつける時はカーマインが教えてくれたのとほぼ同じものだ。マザーにやらせてほしいと頼んだが首を縦に振らなかった。こればかりは仕方がない。私が大人でも万が一を考えて触らせないと思う。


 今日中に絵の具が手に入らない悔しさを半ば八つ当たり気味にむいた皮を細かく刻んでいると、木製のまな板にも青い色素が移った。アントシアニンがたっぷり含まれていそうな色だった。


 私の体に食材として取り込む機会は沢山あるのに、絵に取り込めるのはいつになるやら……。

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