孤児の将来

 私は不安になってマザーを見た。もしかして私が思っている以上に差別とかされるのかと心配になってくる。末は乞食や犯罪に手を染めなければならない事になるのかな。

 マザーは焦ることも無く全く表情を変えずに説明する。


「そんなことありません。あなたのお兄さんたちだって、町でパン屋や鍛冶師、仕立屋のお仕事に就いているでしょう?」

「ただ雇われているだけじゃないか。パン作りが上手だった姉貴はパン屋を開きたいって言っていたのに孤児だからできないって事だろ」


 ああ、そう言うことか。トープは孤児だという事にとらわれ過ぎてしまって、無知であることを知ろうとしていない。マザーがうまく説明できればいいけれど、あ、もしかして元神官だから商売に関しては知らないとか。


 七歳で記憶喪失でこんな事を知っているのはおかしいかな。でも、このままだとトープの将来は真っ暗なものになる。


「いきなりお店を開くのは孤児じゃなくても無理だと思うよ」


 バイトもしたことない、全く無知な私でもわかることだ。言葉に気を付けて、子供でも知っていておかしくなさそうなこと……ちょっと難しいな。


「まずはお店で雇ってもらって、店を開く準備の為のお金を稼がなくちゃ。その間に材料の仕入れやパン作りの技術なんかも教わって……」

「材料ならこの村から仕入れることが出来る。金だって銀行から借りるんだろう。孤児院で作ってたパンはめちゃくちゃうまかったぞ」


 トープから反論が来た。なるほど、そのくらいの事ならばわかるのね。銀行もあるみたいだし、私はそれに合わせてさらに反論していく。


「この村の材料だけだと病気や虫の被害にあった時に困るよ。市場でいろいろな場所から仕入れるのもお金がかさむと思う」


 トープの反論を指折り数えながら潰していく。学ぶことの大切さは壁にぶち当たらないと分かりにくい。でも壁に気付いた時には手遅れになる。


「普通の人でも信用も無いのにお金を貸してくれる人なんていないでしょ。返せなかった場合はお家とか自分の持ち物で返すみたいだし。えーっとそれから、家で作れる程度のパンなんか買ってくれる人はいないかもしれない。お店で売れるようになるにはそれなりの技術が必要だよ」


 他にも経理とか必要な資格とか役所への届け出とか、その辺はどうなっているのか知らないけれど言い出したらきりがない。


「自分の家が元々パン屋でもない限り、孤児院でも普通の家でもそんな事教わるなんて出来ないでしょ?最初は雇ってもらって少しずつ学んでいくんだよ」

「その通りです。そしてその前の準備として文字や計算を勉強するのですよ。契約などで騙されてしまったら困りますからね」


 あ、マザーってばうまくつなげたけれど説明を丸投げしたようなものだ。どうやらマザーもその辺はうまく説明できなかったらしい。トープは何か反論しようとして口をパクパクさせている。


 あともうひと押し。自分にも必要な事なんだと分からせる事が出来れば、やる気になるはず。


「それにね、トープが文字を勉強して手紙を書けばみんな喜ぶと思うよ」

「え、でも姉貴たちから送られてこないのに」

「私の元へは送られてきますけどね」


 マザーはポケットから封筒を取り出してひらひらと振った。無表情なのに……何となくにやぁと笑っているような気が……


「ああーっマザーばっかりずるい!」

「あなたはまだまだ字を読めないのだから仕方がありません」


 言う通りなのかもしれないけれど、ちょっとあんまりだと思う。私だってカーマインからの手紙を隠されたら、かなり悲しい。


「いや、それでも読んであげるとか普通はするでしょう。トープ宛てに何も書かれていないのですか」

「トープが字を覚えたら教えてほしいと書かれているだけです。兄弟が居た頃から学んでいるのに未だに覚えられていないから。向こうも心配しているのでしょう」


 無表情だから無感情とは限らない。この一件でマザーはむしろひょうひょうとしている人だと分かってしまった。


「くっそー、絶対に覚えて手紙を書いてやる」


 私に書く相手はいないから、やる気になっているトープを少しだけ羨ましく思ってしまった。



 勉強時間や孤児院の手伝いをしている以外の、お昼過ぎから日が沈むくらいまでの時間帯は自由時間だ。私は画材を手に入れてとっとと絵を描き始めたいのにトープがそれを許してくれない。


 手を引かれて出ていくと、眩しい程の日差しに晒される。おそらく今は春から夏へと移り変わる時期。


「ノア、行くぞ。付いてこい。今日はセージ兄ちゃんの所に行くぞ」

「兄貴じゃなくて兄ちゃんなんだ」

「イメージがなぁ、兄貴ってほど強くなさそうなんだよ。村の中で嫁さんもらって住まわせてもらってる」


 婿入りしたって事かな。なるほど、そう言う道もあるのか。


 村の人たちはとても親切だ。両親に捨てられるよりは両親が死んで孤児院に入る方がおそらく多い。いつ自分が死んで子供が孤児院に入ることになるかもしれない事を考えると、援助をしていた方が憂いが無くなるという事だ。


 助けてくれる人の中には孤児院出身の人もいる。トープに腕を掴まれたまま連れて行かれた先は、野菜を育てている畑が広がっている場所だった。花の根元が膨らみ始めているがまだまだ青い。


「兄ちゃん、遊びに来たぞ。虫取りしても良いか」

「タモと虫かごを小屋から取っておいで。転ばないように気を付けろー」

「はーい」


 既に虫取りに気がとられているのか、トープに置いてかれた。傍には畑仕事をしている緑色の髪のお兄さん。紹介も何もされずにほったらかしで、何を話しかければよいものやら迷う。


「開拓村の子だね?あの時の自警団員の中に俺もいたんだよ」

「え、ごめんなさい。全く気付きませんでした」

「あははは、目立たないからね、僕は。良かった、トープがずっと一人ぼっちにならなくて……あ、いや。君にしてみれば喜ぶべきではないのか、ごめん」


 数年前の流行り病のせいで、去年までは孤児院にもたくさんいたらしいけれど、成人して出て行ったそうだ。

 親から遺産として農地を受け継ぐことが出来る子もいるけれど、成人するまで代わりに耕していた大人ともめてしまう事もある。そう言った子やもともと受け継ぐ物が無い子は町へ出稼ぎに行くそうだ。


 目の前の彼は管理をしてくれた人の娘と結婚することで無事に受け継ぐことが出来たらしい。


「それは乗っ取られたという事ではないのですか?」

「嫁さんは可愛いし親の土地を無事に受け継ぐことが出来たし義両親はいい人だし、これ以上の幸せを求めたら罰が当たるよ」


 そばかすだらけのお日様みたいな顔で笑う。孤児であると言う悲愴な感じは全くない。


「かなり恵まれた場所だよ、この村は。町に出た兄弟たちは少しだけ苦労しているみたいだ。町の孤児の中にはどうしようもないのもいるみたいだからね。同じ目で見られてしまう事が時々あるらしい」


 それは想像に容易い。自分は違うと思っていても一括りにされてしまうのは、どこだって誰にだって起こりうることだ。男だから女だから、若いから年寄りだから、貧乏だから金持ちだから。どこの国の人だから、あの人の子供だから。


 私だって今のところ落ち込むようなことは無いけれど、この先どんな目に合うか分からない。ちょっとした一言だったり理不尽な目にあったりするかもしれない。


「覚悟しておきます。今のうちに聞いておいてよかった」

「君はいい子だね。トープみたいにやけっぱちにならないんだ?」

「大きくなってから初めて知るよりも衝撃は少ないと思います」

「大人だね。言葉遣いもしっかりしているみたいだし、本当はどこかのご令嬢だったりしてね。カーマイン様相手にも普通に話していたから」


 っうわわわーしまったぁぁっっ。フリントさんにも言われたけれど、やっぱり違和感あるのかなぁ。マザーのまねを……って初めてマザーに会った時も敬語だったからこの嘘は通じない。


 冷や汗を垂らしながら誤魔化すようににこりと笑えば相手もにっこり返してくれた。


 遠くでトープは虫を追いかけている。絵に描きたくなるようなとてものどかな農村の風景だ。

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