新生活

 自分に与えられた部屋の木製の床に落ちた陽だまりに目を落とす。もちろん窓を通して入ってきた光だが、そんな光景でさえ一時期闇の中にいた私にとってはひどく幻想的なものに思えた。

 まるで光に飢えているような気さえする。


 病院の一室のような味気ない部屋だが、結構広くてベッドと小さな箪笥が置いてある。これならイーゼルや小さなテーブルが置けるかもしれない。

 孤児院と聞いて狭い部屋に複数人押しこめられているのを想像していたが、プライバシーが確保されていてうれしい。


 自分が居られる場所を与えられてほっとしているせいか、それともいろいろな景色に黙って見入っている時間が多いためか、周囲にはぼうっとしている子供として映るらしい。

 間違ってはいないが、なにかと世話を焼かれる対象となってしまっている。


「ノア、朝めし行くぞ」


 前言撤回、子供にプライバシーなどと言うものは無いに等しい。ノックもせずに部屋の中に入られた。扉に鍵はついていない。


 ノアールと言う名はおそらく黒い髪からつけられたが、孤児院の中では省略してノアと呼ばれるようになっていた。この世界は髪や瞳の色から名前が付けられることが多いらしい。英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、変わったところで日本語の色から付けられた名前まである。


 言語はどうなっているかなんて野暮なことは言わない。それが分かるのはきっと神様だけだ。


 グレイとブラウンを混ぜた髪色の、目の前の同年代の子供はトープという名前だ。孤児院で一緒に育った子供たちは兄弟と言う考え方が定着している。今現在この孤児院にいる子供は彼だけなので、仲良くしたいとは思っているのだが―――


「痛いっ、何するの」


 口より先に手が出るガキ大将と言った感じだ。頭をぽかりと叩かれた。


「うるさい、ぼうっとしているお前が悪い。早く行くぞ」


 腕をつかんで引っ張りながら食堂へと連れて行かれる。手加減を知らないので掴まれているところが痛い。文句は初日に言ったが全く聞き入れてもらえないので既にあきらめの境地に入っている。


 前を歩く彼は腕を掴んだまま、私が食堂の中に入ったのを確認もせずに開いた扉を抑える手を外す。当然支えの無くなった扉は閉まろうとするので、もろに顔にぶつけてしまった。


「痛い」

「本当に馬鹿だなぁ、ノアは。つないでない方の手で押さえればいいのに」


 馬鹿はあんたでしょと、言えるものなら言ってみたい。でも中身は成人に近いものだから、同レベルで喧嘩するのは遠慮しておく。


「ノア、祈りの言葉を」

「はい、マザー。七柱の女神様、我らの祈りを聞き届け今日も恵みを与えて下さり感謝いたします。これらに備えられし実りに祝福が有りますように。御身に宿る力が我らの糧となりますように」


 マザーは元神官だが、フリントさんによると一般の家庭でも使う言葉らしい。普通に話せているのに食前の祈りの言葉を忘れていることで、記憶喪失を信じてもらうことも出来た。七歳の子が覚えている常識を知らない事を認識し、細かいことまで教えてくれるこの環境は本当に有り難いものだった。


「良く言えました。短期間ですらすらと言えるなんてノアは賢いですね」


 マザーの顔が無表情なので全く褒められている気がしない。簡単な言葉だから大げさに褒められても困るだけなのだけど。


 隣に座っているトープは祈りの言葉を言い終わるや否や、がっつき始めている。マナーの悪さなど全く注意しないマザー。何度注意しても無駄だと諦めているのか、それとも最初からまっとうに育てる気が無いのか。この表情からは少しも読み取れない。


 フリントさんは晩御飯は一緒に食べるが朝ごはんの時点では既に畑仕事に出ている。隊長と呼んでいたら名前で呼ぶように注意された。農作業をしているのに「隊長っ」と呼ばれるのは嫌みたいだ。


 私は行儀よく食べ始めた。と言ってもこの世界のマナーがどんなものかは知らないけれど、少なくとも隣の彼のように食い散らかしたりはしない。


 食材はとても新鮮で、この村の中の寄付によるものらしい。色や食感など食べたことのない野菜ばかりだけれど、とてもおいしい。野菜や果物は静物画の題材として良く描かれるが、この世界ではどうだろうか。


 食事ができる幸せをかみしめながら私が三分の一ほど食べ終わったところで、彼は全てを平らげていた。育ち盛りでまだ足りないらしく、視線は私の食事へと向けられる。


「いらないなら手伝ってやる」

「ううん、ちゃんと最後まで食べるよ。って、ああっ」

「ふん、ほうおひょい」


 もう遅い、と言いたいのだと思う。目にもとまらぬ速さで、哀れ私のご飯は既に彼の口の中へ。頬袋に餌をため込んだハムスターのような顔をして、得意げにふんぞり返っている。


「マザー。おかわり有りませんか?」

「ありません」


 ぴしゃりと言い放つマザーも結構食事は早くて、私に分け与える様な食べ物は残っていなかった。


 朝ごはんが終わると孤児院での決まり事を教わりながら皿洗い、掃除に洗濯を三人でやる。

 火を扱う食事の支度はマザーが一人でやる。カーマインが使っていたような精霊石の付いた道具もあり、厨房へは一人で入らないように厳重注意されていた。


 水回りにも精霊石が使われていて、井戸で水汲みなどの労働は必要なかった。トイレやお風呂なんかも、私が戸惑うことなく生活できる程度に整備されている。

 人工の精霊石が開発されたと言う先の産業革命で、生活水準は改善されたらしい。転生するタイミングって重要だよね。


 人数が少ないので一人で部屋を使えるのは有り難いのだが、便利だとは言っても人手が足りないので作業に手がかかる。加えて、マザーと私の他は問題児だ。

 きっと疲れ切ってしまって無表情になっているに違いない。だから精一杯お手伝いしようと思った。


 ―――もしかしたら画材の一つや二つ、もらえるかもしれないし。


 お腹をぐうぐう鳴らし皮算用をしながら、頑張る。トープの所業をマザーが注意をしないので、夕飯時にフリントさんに言いつけたら驚く答えが返ってきた。


「ノア、そんな弱気だとこの先やって行けないぞ。今はお嬢様じゃないんだから自分のものくらい自分で守らなくては。兄弟が多い時なら手助けもするが今はトープだけだろう?弱肉強食、ここに居る間に学んでおけ」


 まるで取られた方が悪いというような言い方だった。最低限の食事マナーさえ教えないから孤児が蔑まれる原因になると思うのに、言えない。ここでは私はよそ者で、きっとフリントさん達のいう事が常識だからだ。

 けれど、私がそれに合わせるのは何となく嫌だ。私は私の筋を通そう。


 町に行かなければ学校などは無く、農村地帯では文字は親に教わる物とされているので勉強の時間もあった。親に余裕が無い場合や読み書きができない場合は、孤児院へ学びに来ることもあるらしい。

 けれど、教室の中には私とトープしかいない。村の中も子供はいるけれどまだ小さな赤ちゃんばかりで、学ぶような年齢の子は他にいないそうだ。


 そうだ、画材は無くとも筆記用具があるなら絵が描ける!


 ……と思った私が甘かった。

 渡されたのは小さな石の板とチョークみたいなもの。


「紙のノートや鉛筆は無いのですか」

「ありません」


 またしてもぴしゃり。怪訝そうな顔をされなかったことからこの世に存在しないものではない事が分かった。


 トープと一緒に文字や計算を教わっていく。前世で勉強をする習慣が身に付いている私と違って、トープは落ち着いて座っているのさえ嫌そうだった。

 これについてはマザーがかなり厳しく注意するが、気にも留めないどころか私を遊びに誘ってくる。


「お前、なんでそんな真面目に勉強してるんだよ。一緒に遊びに行こうぜ」

「勉強しなきゃ将来困ることになるよ」


 特にこんな最低限の勉強も嫌がっているようではまともな仕事に就くことも出来ない。障害があるのか単に不真面目なだけなのか分からないけれど、私の邪魔はしないでほしい。絵描きになる為に必要な事だから。


「良いんだよ。どれだけ頑張って読み書きできたって、孤児が夢をかなえられることなんてないんだから」


 トープの思いがけない言葉によって、絵描きへの道が一瞬だけ揺らいだ気がした。

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